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創業の精神
土岡さん (創業者の)黒澤酉蔵という人は、NHKでちらっとね、前あったんですけども、昔あの田中正造という人がいますよね。あの、足尾銅山事件というとこでどんどんどんどん、その、手足がしびれてる不思議な状態を起こすのに、銅山の垂れ流しをしていく。生活用水、川の水ですから、みんなおかしくなっていく。田中正造という人がそのことを国民、市民運動として変えていくんですね。そこに小僧っ子としてくっついていて運動してたのが、黒澤酉蔵なんですよ。で、彼が北海道に渡って、当時の北海道酪農民っていう、ホント、ないんですよね、北海道って。米作もできないし。ちょうど位置が一緒なんですね。デンマークと一緒ですから。デンマークが酪農地帯だから、なんとか北海道民を豊かにするのは酪農しかないって言って、牛1頭から始めていくんですよ。
それをやり出したのが、彼・・・黒澤酉蔵で、企業の使命って儲けることじゃなかったんですよ。国民の体位向上だったのと、さっきの、牛の乳をどうやって大事にして北海道酪農民を育てていくかっていうところがスタートなんですね。品質を守るために入社条件が、禁酒・禁煙に丸坊主なんですよ。私たち、今やれって言われたムリですけど。これが入社条件です。東洋一の品質設備を導入した・・・これ大きいだけじゃないですよ。サニタリーがすごかったんですね、当時。それから第一人者を採ってくる。だから当時の創業者は全部、オハイオ州立大学とかで最高の乳技術を学んだ人たちしか、入ってこなかったんです。で、ロンドンに初めて日本からバターを輸出して、日本人がこんなことができるのかって言われるバターを作るんです。当時、バターをカットに売りに来るとお婆さんが「いやあ、いい鬢付け油だけど臭いね」とかって言ってた、そういう時代ですからね(笑い)。
で、「健土健民」っていうのは、あの、これ、健やかなる大地には健やかな民を育てるって直訳するんですけど、ホントは違ってて、これ循環農法なんですね。今でいう循環農法なんです。太陽が当たって牛が芽踏みをして最後は堆肥を土に戻すんですよね。それを牛が食(は)んでまた牛乳を作るという、今でいう循環農法の創始者なんです。この人の最大のは、あの、いわゆるキリスト教徒ですね。だから全て、祈りです。そういう人たちが本当は作った会社なんですよ。というところに戻ろう、というところで、社員に聞いていくんです。で、社員に聞いていくのに、こういうペーパー作ってみんなに持っていって、ホントに、「ちょっと集まって」ってとかってやって回していくと、「雪印の存在価値って何?」それから「雪印で誇れることって何?」「雪印の強みって何?」っていうのを書いて下さいっていうのを出すんですよね。書けない。
稲葉さん 書けないですね。
土岡さん この当時、みんな、書けない。なんにもなくなりましたっていう。で、その時に言っているメッセージは、「忘れているんなら思い出そう」と。「弱まってるなら強くしよう」と。「ないんなら作ろう」と。ということをずうっと訴えてこれを読んでいくんですよ。
ち←此方 り 彼方→ぬ
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