雪印

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これからの雪印を見てもらうしかない

キーワードと
キーセンテンス


エンテロトキシン毒素:詳しくはこちらを参照。

つらら

停電

思いが至っていない

殺菌神話

八雲事件

黄色ブドウ状球菌



 
雪印乳業 土岡英明+稲葉聡 



大阪食中毒事件の原因

(モニターを使って説明)

土岡さん 最初にですね、大阪の食中毒の話っていうのは、ご存知ですよね?それでですね、ここでザーっと申し上げますと、実は最初に報道されたのは大阪工場での衛生管理が悪かったから食中毒を招いたという報道が2ヶ月くらいされました。で、その後実は北海道にある大樹工場で作った脱脂粉乳に原因があったという報道に変わりました。で、大概私たちがお話させていただくお客様は、大阪工場だけが原因ということがインプットされているんで、お話してても時々噛み合わない時があるんで、改めてこういう話をさせてもらいます。

で、流れを言うと実にシンプルな話で、北海道の大樹工場で製造した脱脂粉乳の中にエンテロトキシン毒素Aっていう毒素が混入をしていたと。それを脱脂粉乳ですから原材料として、例えば、(雪印)コーヒーっていう飲料ありますよね・・・コーヒー牛乳とか、あと低脂肪乳とか、そういうのは脱脂粉乳とかバターを使って作るんですよね。そういうのでない製法もあるんですけど、そういうのがメジャーでほとんどだった、その原料として大阪工場に送られました。全国にいろいろ送られたんですけども、その中でこの毒素が入ったものが大阪工場に行ってしまっていた。で、それを製造してお客様に買っていただいたのが、最終的には1万4780名という発症者を作ってしまった。これはもう、被害者を出したという大きな罪なんですけど、一方で大阪工場の衛生管理が問題となったので、最初は「そうだ」っていうふうな話になって、じゃあ大阪工場で作っている商品全部が大変なんじゃないかっていうこと、それから雪印でやっていること自体は、おかしなことやってるから東京だとか青森だとか九州の方も、「私が飲んでいるの、ホントに大丈夫なのか」っていう不安と混乱になってしまったという、はっきり言ってこの2つの大きな罪があるんです。

で、なぜこうなったのかというと、2年前の3月31日ですけど、停電がありました。ちょうど北海道は雪解けが近いところなんで、つららが落ちたんですね。屋根の上から。北海道のつららっていうのは、岩なんですよ。岩石なんですよ。何トンとかいう。つららが落ちると、震度何ぐらいの地響きがあって、わかるぐらいなんですよね。それが2階屋、3階屋からまともに落ちてきて、屋根を突き破って、ちょうど真下が電気室だったんです。電気室まで直撃をして、雪解け水がダァーっと流れ込んで、停電が起こった。それが第1の発生ですよね。それで工場としたらまずこれを復帰しなければいけないですね。これはもう、マニュアルに書いてある「復帰」ですね。その時、製造は全部終わってたんですね。専門用語で言うところのCIPといって、配管パイプの中に(原料の乳を)全部押し出しませんよね、残っていますよね、ずうっとこう、滞留していますよね。これ1回、ズーっと押し出してタンクに溜めるんですよ。で、これを、原乳としては全然問題ない商品なんで溜めた上で、次の工程の時に使うんですね。

で、その時ちょうど、それを水でズーっと押し出す時に(つららが)ドカンと落ちた。で、工場全員が復旧にかかっていくわけですけど、3時間後に動いてるんですね、動いている時に、(モニターにある図を示しながら)こういうふうにズーっと冷却してここに入っていくんですね。ここで冷却プレートというのがあるんですけど、本来はここで冷やされて、ここで入って、さらにここで冷やしていくんですけど、これがポーンと停電で飛んだんですね。で、復帰するんですよ。3時間後に。復帰して(冷却)プレートのボタンを押して冷却をするんですけど、これが働いてないんです。動いてないんです。それが、ここが適正に冷却をされているかというところの思いが至ってないんですよね。もう、復旧の話だけで。で、オペレーターは、これはもう動いているものだと。ここにまず大きな錯誤があった。

で、さらにその後に、全体をもう1回復旧させるために計画的な停電をさせるんです。その時も、もうこの状態が動いていない(冷却プレートが動いていない)状態なんですよ。ところがもう、このことを認知できない状態なので、結局延べ10時間、40度の状態でこの中に、結果論から言えば、放置されていた。で、なぜそういうふうに復旧を急いだかっていうと、あの、酪農家から来る牛乳を大きなですね、よく工場にタンクがあると思うんですけど、そこに全部貯めるんですね。でもこれ、早く復旧しないともってきた牛乳が入らないから、どんどんどんどん溢れていくんですよ。土壌に溢れるくらいの感じになってしまうんで。自動的に送り込みますから。復帰しないとこっち側がアウトになるっていうところの、意識がそこに集中しているんですよね、この段階で。で、まず早く早くっていう時に、要するにこのパイプの中まで思いが至っていないんです。で、それが作りました。で、その日これで終わってるんです。で、実はその前かな・・・これズーっと停電してまして、今度ホントはですね、これ夜にも作るんですけど、日付が変わるぐらいの遅い時間になって製造が始まっているんで、4月の1日にもう1回、(冷却されていたと思い込んでいた原料を使って)次の生産を始めるわけです。

で、ここで作った商品が食品衛生法上のいわゆる微生物検査上では全く問題ないんですけど、雪印の中で設定をしている基準があるんですね。社内基準なんですけど。これをオーバーしたものがあるんです。おかしいなっていうことになったんですけど、でもそれをもう1回溶解して殺菌をしてみたところ、社内基準以下に収まるんですね。それを4月10日の脱脂粉乳の製造の中に溶解したものを一部入れてるんです、あの、殺菌すれば大丈夫っていう「殺菌神話」っていうのが当時あるんですよね。あの、これ言い訳でもなんでもないんですけど、事実としていうと、あの、極端なこというと、ある工程上に少し問題があっても、最終商品としての殺菌をすると死滅するという「殺菌神話」っていうのが、食品業界全体にあったんです。毒素という考え方なかったですから。で、食品衛生法上にも毒素の検査っていうのがないんですよ。で、その時点に於いては、完全に合格品なんで出ていくんです。外へ。

---つまりその、ブドウ球菌が問題なかったということで・・・

土岡さん そうそうそう。で、1955年、昭和30年に北海道の八雲という工場で作った脱脂粉乳を使った、東京都で学校給食に出したもので児童が2000人ぐらい食中毒になってるんですよ。全然教訓生きてないじゃないかっていう話になるんですよ。で、その当時、事件が起きた時に、いち早くやったのが、昭和30年に品質検査室とか管理室とかっていうのが世の中に存在しない時に、雪印は全工場に作ったんです。で、衛生教育やりました。それからもうひとつはですね、この脱脂粉乳に対してさっき言った黄色ブドウ状球菌の検査っていうのを、全然義務付けられていないんですけど、雪印はもう、そういうことがあったんで、脱脂粉乳については全てその検査をするということを、あの、全部作ったんですね。ですからこの事故起こった時でも、いち早くそれやってるんですよ。黄色ブドウ状球菌検査って。で、黄色ブドウ状球菌はゼロなんですよ。存在しないんです。で、製品中だとか脱脂粉乳中には一切存在しなかったんですよ。

だからそれは教訓としてはある程度生きているわけですよね。工場長もいち早くそれをやっている。ただ全然セーフだった。だけど黄色ブドウ状球菌っていうのは殺菌されて死滅する時に、身代わりにエンテロトキシン毒素っていうのを残していくんです。それが、あの・・・思いが至ってないんですよね。黄色ブドウ状球菌が全て陰性だけど、でも、おかしな現象は社内基準を少し上回っていたというあったんです。でもそれ、再殺菌したらなくなったから死滅したという認識で進んでるんですよ。で、それが大阪工場に行って、大阪工場は何も知らないでそれを使ってしまった・・・というのがプロセスですよね。

---前回の八雲の時には、そのエンテロトキシンってのは、発生したんですかね?

土岡さん あの、八雲の時には黄色ブドウ状球菌がそのまま生きていました。

---じゃあ、そこで異常があっただけであって・・・

土岡さん 黄色ブドウ状球菌がこの場合でも生存していれば、これはもう完全にアウトですから・・・

---そうですね。わかりますもんね。その時(八雲事件の時)は毒素だけが残ったわけじゃなかったということですね。

土岡さん ええ。

土岡さん(左)と稲葉さん

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