3憩 ら寂しき最東端の街に花咲く ニュー娯楽食文化 -
海道室市/標津町- 第1
方ぶりの羽田空港にて驚いた第一の事案は・・・

 手荷物預け入れの受付がセルフ化されており、機械と格闘せねばならないことだった。しかもエラーが出てしまい、どうにも作動しない。係員のヘルプを受けたが、これもすんなりとは行かず。オートメーション化は諸刃の剣だ。機械がご機嫌斜めなら、却って手間と時間が掛かる。出だしから躓いてしまった。


まぁ、謝られてもね...

 この度の行き先は根室中標津。道東の空港に降り立つのは帯広以来2回目のこと。道東扱いされることが多いが寧ろ道北だと個人的には思っている紋別を含めれば、3回目か。ところが、当初はブリッジにて悠々搭乗のはずが、マイナーな行き先ゆえの悲しみか・・・急遽バス移動に変更と相成り、割と焦る羽目になった。お蔭で空港内部の風景を、至近距離からじっくり見物することが出来たのは良かったのだが。


 東京はその名の通り、日本の東に位置する大都会だがその東京よりも、もっと東に、忽然と姿を現す都市がある。真っ白な春採湖が印象的な釧路上空に差し掛かった時分、広い北海道の中でも一段と広い釧根の大地に到達したことを確認すると同時に、メルヒェンなる根釧の台地が近づいたことをも実感する。このフライトでとても楽しみにしていたことがあった。


中標津空港内に掲げられた格子状防風林の解説

 根釧台地を代表する景観である格子状防風林の見物である。北海道開拓の息吹きを今に伝えるこの風景をリアリティ豊かに俯瞰し、体感するには、中標津空港着陸時が最適だろう。







中標津(なかしべつ)







 素晴らしく奇想天外な機窓風景を凝視しながら降り立った中標津空港は、イメージ通りの小ぶりな空港だったがパワフルに、酪農王国根釧をアピールする拠点と化していた。格子状防風林と云う特色ある景観が広がる場所柄を感じさせる木の使い方もまた、印象的だ。ところで通常は、到着ロビーを出ると真っ直ぐに迎えの交通機関に乗って市街地へと向かうことが殆どである。空港内を探索するのは、出発時の時間潰しに限られるのが相場だ。しかし帰路は中標津発と云うわけではないから今のうちに売店へと向かって、少しばかりの食料、それから土産品を物色することに決めた。
 売店は「グリーンショップ」と「タニー」が隣り合って出店しているが、まずはグリーンショップから。店内に入ってすぐ目についたのがこちら・・・


 今や中標津を代表する産品の一つになった感のある「シレトコドーナツ」。東京でも結構な人気を博しているが、その冷凍されたものが販売されているではないか。中標津町は平成の大合併の時分に羅臼町と合併して「東知床市」になることを狙っていたものだが、中標津を知床呼ばわりすることには若干の無理強い感を禁じ得ない。

 N03-001(第32号) シレトコドーナツ コロコロ →

 この店は土産物中心でパンや弁当類に乏しい。そんな中にあって異色の存在感を周囲へと放っていたものがあった。


レトロな感じ。ロシアな根室でオランダと云うのも面白い。
N03-002(第33号) オランダせんべい →


 続いてタニーへ。この店には弁当・サンドウィッチ類が存在した・・・はずなのだが、全て売り切れていた。昼の札幌便が出発する前に完売してしまうとの由。しかしレジ脇にパンの用意があったのは嬉しい。

山崎パンだらけだがこの中から選んだのが・・・
N03-003(第34号) みそぱん →


「ハイヤー」と云う表現に接すると北海道にやってきた気分になる。連絡先は、ここに記されていた・・・

 十分にショッピングを愉しんだ後、表に出てみて驚いた。タクシーが1台も止まっていない。ああ、その発想は湧かなかったなと痛感するのみ。なるほど、ここは試される大地なのだった。空港にタクシーが止まっていない状況が起こり得ると云うこと。何度となく利用してきた旭川空港には一応、慣れてはいたのだが。脳内が綺麗さっぱり広大な原野になった状態でターミナルビルへと戻って、インフォメーションに駆け込む。早速、タクシーの相談をして手配して貰った。親切な笑顔を前に、色とりどりの景色が甦った。



 連絡バスには乗らずにゆっくりと過ごして、タクシーを使おうと考えた理由はもう一つあった。「ラ・レトリなかしべつ」への訪問である。空港から程近くのところにあり、もし残雪が無かったなら、天候も良いから、或いは歩いたかもしれない。そんな距離感。乳の流れる地が空を飛ぶことで発展したこの中標津と云う町を感じるには、ロケーション面を鑑みても、一番であると思った。

(第1日 昼食)
N03-004(第35号) かぼちゃだんご→
N03-005(第36号) みるくしるこ→




<かぼちゃだんご>
 昔ながらの北海道がちょっとモダンになった感じがしてくる。これは美味しいに違いないと思っていたがその通りだった。素材の持つ素朴な甘み。ほっくりとした風味がもちっとした食感にほわっと閉じ込められて佇んでいる。のむヨーグルト、これはもう本当に濃縮の趣。還元しない美味しさがそこにはある。市販のものほどさらっとしていないから、かぼちゃとの相性も良いものがある。

単品¥300(込) セット¥500(込)
形状→ ★★★★☆
風味→ ★★★★☆
総合→ ★★★★☆

<みるくしるこ>
 もう一品、どうしても堪らなく頼みたくなった「みるくしるこ」。何故なら如何にもここならではと云った雰囲気がひしひしと伝わってきたから。酪農郷ならではの一品に思えたのと同時に、汁粉と云う伝統的和スイーツにミルクと云う洋物が加わり融合した姿は、素朴とお洒落の融合したこの店にもぴったりな一品であるように思える。果たして椀の中には、思惑通りに、滋味深きハイカラお婆ちゃんの微笑の大河が流れているのであった。しばしば米飯の給食に牛乳は合わないと云われるが、牛乳は和にもよく似合うものだと思う。但し、牛乳をホットな存在にするためには、ホットに温める必要はあるだろう。冷たいままでは難しい。ところで本品には餅の代わりにいもだんごが入っている。これにより、かぼちゃだんごといもだんご、双方を食むことが出来たわけでもある。

¥400(込)
形状→ ★★★★☆
風味→ ★★★★★
総合→ ★★★★★



 昔ながらの素朴さと当世風の洒落た趣が同居している美味しい空間でのんびりと過ごしたお蔭である、腹の中も胸の内もすっかり北海道気分になった。無論、窓の外にも北海道が広がっている。こうしてラ・レトリに居て、空港から真っ直ぐに市街地へと向かわない面倒を価値へと変換して、北海道の時間を満喫している。けれどもこの度の旅は、まず根室へ向かうのが目的の第一であったから、ラ・レトリとは云わずに、そもそも中標津の町へ立ち寄る面倒をも省いて、根室へと直接向かうことも可能だったわけである。しかし私は中標津と云う町に大きな魅力を覚えて、この町に少しでも滞在したいと思っていたのだ。


 再びタクシーを呼んで貰って、中標津市街へと向かった。途中、少し遠くの辺りに見えている銀色のドームがやけに目立つ。運転手はニコニコしながら運転している。町の自慢らしい。「ゆめの森公園」の中にあるビジターセンターのようだがパッと見、札幌ドームに見えなくもない。これでも中標津には、財政再建団体に転落の過去がある。近年では夕張でお馴染みだがどうやら夕張と同じく「積極的」な行政運営が仇となったようだ。

 だが中標津にはそれをはねのける活力がある。

 函館近郊の北斗市や七飯町のように隣に大きな都市があって、その郊外化の恩恵に浴しているわけではない。それでも1946年に誕生して以来、2010年の国勢調査に至るまで、一貫して人口増加を記録している。15年国勢調査で初めて微減に転じたが、過疎化著しい道内の中ではなかなか異色の存在なのだ。この町のことを「道東の札幌」と呼ぶ人も居るらしい。人口2万4千。中標津「町」ではあるが、北海道基準では十分に「市」として通用する。留萌や紋別、富良野と云った著名な市も、今や中標津よりも人口が少なくなった。

 中標津市街にはすぐに辿り着いた。福岡空港のような例外も存在するが、そこはやはり「町」である。それでも中標津の市街地は広大である。当地で最も著名なホテルのトーヨーグランドホテルは生憎、中心部から2キロほど離れている。新興都市であることに加えて台地上に位置し、概ね平坦な地形であることも手伝って、市街地にはかなりの広がりがある。宿はロケーションの良い「開陽イン」にした。

 日も暮れてくる頃合になってきたから、休憩もそこそこに街へと繰り出すことにした。明朝までの飲食物を調達しなければならない。ちょうど新興都市中標津を象徴するスーパーな場所がある。

 突然のパイハウス。そこにあったのは…苺のショートケーキではない。ストロベリーパイケーキだ!

 薄明るい街並みを歩く。幾らこの辺りで一番栄えている町とは云っても人口希薄とモータリゼーションを突き詰めている「ニッポンの地方」であることに変わりはない。人通りもなく、賑わいに欠ける。しかし雪がそこまで積もらない土地柄を反映してか、意外と道幅は狭い印象を受ける。無論、内地ほどではないが、根釧台地のだだっ広さとは裏腹に中心部は建て込んでいて、如何にも北海道の田舎町と云った広々とした光景には襲われない。
 買い出しの目的地は街外れだから距離もある。往路くらいは手ぶらで向かいたい。復路は復路で抱えきれない荷物を手に、疲労困憊になるかもしれない。だが薄明るさの中で輝くケーキ屋を見つけた時分に、その予定をひっくり返して立ち寄りたい衝動に駆られた。ただのケーキ屋ではない、世にも珍しいパイ専門店なのである。しかもここは東京に非ず。日本の端っこ・中標津にあるパイ専門の店である。

パイハウスくさかべで遭遇したもの →
N03-006(第37号) ストロベリーパイケーキ N03-007(第38号) ブルーベリーパイ
N03-008(第39号) アップルパイ

 興味深い店と食べ物に遭遇したお蔭で、次第に暗くなる空とは対照的に気分は明るさを増した。改めて街の様子に目を向けてみると、ここが道東の十字路だと云うことが分かる。道東では馴染み深い「大地」の文字を冠した信金・大地みらい信用金庫があり、傍を阿寒バスが走る。根室管内なのに町内路線は釧路の阿寒バスが受け持ち、根室交通は蚊帳の外である。実に意外だ。他に町営バスも走る。別海・根室市へは根室交通の出番となるほか、札幌への夜行バスもある。阿寒バスは町内路線に加えて標津・標茶、それに釧路や羅臼行きがある。「道東の札幌」も伊達ではない、釧根(根釧台地関係以外、釧路根室地域の総称は「釧根」とする場合が殆ど)の交通が集まってきている。そこに東京・札幌と直結する空港の存在が決定打を放つ。当地での根室交通の影の薄さはそのまま、根室市の影の薄さを物語っているようでもある。

 中心部から中標津高校方面へと進むうち、生々しい現場に出くわした。向こうからこちらへ、一面に、白い帯が流れている。街を貫くその白い川に勇躍する自然の営みは感じられず、どこか物悲しさが漂う。飛行機と自動車交通の集う道東の要衝・中標津だが嘗てはもう一つ、メジャーな交通機関が存在していた。

 鉄道である。

 1989年までこの地には標津線が敷かれていた。標津・標茶への阿寒バス、別海・根室市厚床への根室交通は、元を辿れば標津線であり、廃止代替バスと云う位置づけとなっている。自治体としての中標津は1946年、標津から分立して誕生した。その立役者となったのが他でもない、この標津線だった。標津線のお蔭で内陸部の開拓は進み、人と物の集積もまた進んだのである。まるで川のような佇まいの線路跡を道路の上から眺めていると、鉄道は陸上の川であることを思い知らされる。決まった場所を着実に、這いつくばるように歩むが故に、大量の物と人を運ぶことが出来る。しかし気まぐれに脇に逸れることは出来ず、ひらりと跨いでかわすことも出来ない。相手の変化に合わせることが出来ず、柔軟性に乏しい。しかし、だからこそ、人と物のほうからこの川に寄り添うように集まってもくる。その集積が都市を勃興させる。文明をもたらし、文化を生み出してゆく。全ては行く川の流れのお蔭だ。

 今の中標津の発展は鉄道によって進んだ集積が、道路によって広められたことで成り立っている。そして市街地に隣接する空港の存在、これがやはり大きい。空港は、空の駅だ。本家本元の駅を失った中標津だが、このもう一つの大きな駅のお蔭で集積が止むことは無かった。結果、集積と拡散の双方が進むことになり、それは中心市街地と郊外の発展と云う現代的都市成長の二つの要素を満たすことになった。中標津の中心部には個人商店に加えて、幾つかのスーパーも立っている。都会に比べてさほどの活気は見当たらないが、さりとて全てを郊外に収奪されてしまい死んでいるわけではない。場所や時間帯によってはそれなりの賑わいが展開されていることだろう。まず第一に、商店が営業しているのだ。ニッポンの地方では辺り一面のシャッター通りが、街の定番風景である。

 中標津高校方面へ進んでいると記したが、中標津高校と云えば1990年夏の甲子園での出来事が脳裏に浮かぶ。当時の北海道勢は、初戦敗退が既定事実だった。夏の甲子園で北海道勢が勝つ姿を、私は目にしたことがなかった。ところが中標津高校は同点のまま試合を進めて、遂に勝ち越すチャンスを得た。走者二塁。ここで三遊間へと打球が飛ぶ。誰もがこれで勝ち越したとあの瞬間には思ったはずだ。ところが打球は外野へ抜けることなく走者の脚に直撃したのだった。不運では片付けられない痛恨のシーン。明から暗への劇的な転換を見た。チャンスの雰囲気は一気に萎み、中標津高校は結局勝ち越すことが出来ずじまい。こうなっては、結果は見えているようなものだ。その裏にサヨナラ負けを喫してしまった。あれは北海道勢が最も勝利に近づいた瞬間だった。それでも勝てなかった。北海道はどんなに良い場面まで行っても勝てないものなのかと子供ながらに痛感させられた。
 その後、93年春に駒大岩見沢が四強入り、94年夏には共に初戦を突破した北海と砂川北による史上初の南北北海道対決、95年夏には旭川実業が旋風を巻き起こす等、北海道勢活躍の場面を目撃することになるのだが・・・あの中標津高校の前に私は今佇んでいるのだ。俄かには信じられない。果敢に相手に立ち向かうメガネ姿のエースの波動が甦る。北海道の高校野球は、この空のように薄暗いものだった。それがまさか優勝までするとは。
 標津線・中標津高校と、淡い昔の中標津の面影にどっぷりと浸った先に巡り合ったスーパーな光景。その名を「東武サウスヒルズ」と称する最先端的中標津の中心拠点である。不思議な不思議な中標津。システマティックな防風林が広がるだけでも、根室市にはない空港があるだけでも、パイ専門店が営業しているだけでも、根室なのに釧路の阿寒バスが市中を闊歩しているだけでも、鉄道が廃止されてもお構いなしに発展し続けているだけでもない、不思議なもの。池袋の西口ではない北の大地に佇む、横に広がる「東武」あり。東京郊外に引けを取らない暮らし広がるショウケースあり。

東武鉄道グループとは無関係。様々なフォントを駆使しているが東武百貨店を思わせるデザインのものも中にはある。
 「東武サウスヒルズ」に一歩足を踏み入れた途端、目の前に現れた鮮烈な光景に一瞬足が止まった。広々としているのは当たり前のこと。照明が大胆だ。天井を白い川が流れる。躍動感豊かに悠々と。
 先刻、脳裏に焼き付けた標津線跡の白い川を思い起こす。あの川は地を這うようにして佇み、如何にも愚直であった。だがこの川は、天空を泳いでいるかのようだ。優雅さと共に、高揚感を覚える。荒々しい自然環境に囲まれた最果ての地に花咲く消費空間の殿堂だけに、実に刺激的なものとして映る。

フードコートにはマクドナルドもある。最北端の稚内に比べて注目されることは少ないが、日本最東端のマクドナルドだ。

 広い店内を巡っているうちにだんだんとこの店の野心的姿勢を覚え始めた。バイヤーが全国に出掛けて行っては良い産品を仕入れてきていることが見て取れるのだ。その分、道産品の存在感は低めである。北海道の店はかなり道産品推しのところが多いだけに、全国から取り寄せるスタイルを前面に打ち出す東武の戦略は余計に、野心的に映る。中でも成城石井プロデュースの売場まで設けられていることには驚かされた。成城石井が未進出だった東北では、地元スーパーの一角に成城石井売場があることは知っていたのだが、東北以上に日本の北と東の果てに位置するここ中標津で、馴染みの成城石井に遭遇することになろうとは。地方に於ける百貨店とは、憧れの「東京」の展示場であった。「東京」の消費生活を中標津にて展示をする・・・それは新世代の百貨店と云った趣のするものである。そもそも東武鉄道を差し置いて「東武」を名乗る辺り、十分に野心的なのだ。東急のイメージを想起させる「東横イン」と同じ匂いがする。
 「東武」の名の通り、勇ましき野心溢れるこの企業は北見郊外にも同じように店を構えており、道東の小売業の覇者にならんとしている。東武に興味を抱いた理由としてはもちろん、そのネーミングに因るところが大きいが、もう一点、道北の小売業の雄「西條」との類似性を覚えた点も大きい。西條は本拠地の名寄のほか、稚内・枝幸・士別に店を構える。シベツ繋がり・・・道東の標津に対する道北の士別である。このうち稚内と士別は駅前から周辺への移転を経験していて、これは2005年に中標津中心部から移転開業した東武サウスヒルズと同じ構図となる。西條は旭川郊外にショッピングモールを開業させてもいる。両者とも時代環境の変化に合わせて、斜陽の中心市街地にはさっさと見切りをつけたことで飛躍を遂げたわけである。ただし西條の稚内店移転先は、もはや新たな中心部と云ってよい南稚内駅に近く、士別も市街地の外れへの移転だ。郊外遠くへと転出したわけではなく、この点も市街地に隣接した場所に立地する中標津の東武同様である。興味深いことに西條は池袋に於ける東武のライヴァルとの関わりを持っていた。百貨店業界で西が付くところと云えば「西武」である。西條のデザインには西武と類似した部分があるのだが、これは嘗てセゾングループと提携していた名残なのだ。つまりこちらは本家公認、と云うことになる。

名寄の西條。「西」の字が使われていることもあり西武感が漂う。白地に青と緑のコンビネイションは、西武の包装紙等でお馴染み。



 華やかだった東武を出て暗い雪原を視界に捉えて歩いていると、殊更にヒリヒリと情感が込み上げてくる。東武は、なかなか刺激的な中標津の中でも素晴らしく熱い空間だった。この地で「東京」の消費文化に触れられることが文化的生活と云う名の先端的文明なのである。ことによると、内地の品物と道産品が同等だった場合は敢えて内地の品物の方をセレクトしているようにも思えてくる。それもまた、戦略である。内地と地元北海道とのギリギリの境目のポジションに立つことで、繁栄を手にする・・・その飛び越え方はしかし、空の駅のある町・中標津らしさを発揮しているようにも思えた。

中標津で「エシカル」と云うワードに出逢っちゃうとは・・・「東京」だ。20世紀末に岐阜の山里でキャリーケースを引っ張っていたら
地元民の注目を一身に集めたことを思い出す。今ではごく普通のものになっていることだろうけれど。
それにしても需要の掘り起こしに妥協が無い。収益よりも先ずきっかけ。提案を即実行している趣。
東武サウスヒルズで遭遇したもの →
N03-010(第41号) 東武特製弁当 N03-011(第42号) 紅鮭弁当
N03-012(第43号) たっぷり野菜のポテトサラダ N03-013(第44号) タマヤパン 天然酵母あんぱん(さくら)
N03-014(第45号) ラグノオ ポンショコラ・ダブル

(第1日 夕食)
N03-009 (第40号) チーズトースト@ラ・レトリ →
N03-010 (第41号) 東武特製弁当@東武サウスヒルズ →



<チーズトースト>
 実はラ・レトリからチーズトーストをテイクアウトしてきていた。美味しそうなチーズもあったものだからこれも是非食してみたいと思ったのだが、胃の容量には限界もあるわけで、それならば、と。スライスチーズ状であるのに、もっつぁりとした食感がふんだんに保たれていて快感である。チーズの食感と風味に引っ張られてパンまで数段美味しくなっている。黎明然とした静かに立ち上ってくる味わいが良い。まろやかだ。ゆで卵のサーヴィスはホスピタリティー然としていて素敵であった。

¥450(込)
形状→ ★★★☆☆
風味→ ★★★★☆
総合→ ★★★★☆


<東武特製弁当>
 名前買いである。自らの屋号「東武」を冠し、更には「特製」と来ている。この店の弁当や惣菜の矜持を見るには最も適当な一品だ。兎に角、七分精米に拘っている店である。白米の美味しさと玄米の栄養分や旨みぎりぎりの接点がそこにある、と云うことなのだろう。この値段からしたら仕方がないが、おかずには、一抹の寂しさがある。それ故にご飯の存在感は大事だ。

¥380(抜)
形状→ ★★★☆☆
風味→ ★★☆☆☆
総合→ ★★☆☆☆



 明日はバスと列車を乗り継いでの根室への移動となる。3月26日の北海道新幹線開業を前にバタバタしている北海道内。3月25日と26日では見える世界が大きく変わる。明日乗る花咲線から花咲駅が消えるのも、その事象のうちの一つとなる。華やかな新幹線開業の陰に隠れる格好で、合理化と云う名の単なる衰退追認策もまた進む。
 花咲線から花咲駅が消える・・・何か冗談のような話である。この次はもしや花咲線の番ではなかろうかと疑心暗鬼に襲われもする。北海道では超現実的展開が今、起きつつあるのだ。東京と云わず内地の大半の地域で普通に暮らしている分には、そのことを実感することなど殆どない。
→第1日旅程→
羽田 12:15 →ANA377→ 中標津 13:55  中標津空港 →タクシー→ ラ・レトリ →タクシー→ 中標津市街
→第2日へ→ →第2日へ→ →第2日へ→
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as of 2016.03 / uploaded 2017.0930 by 山田系太楼どつとこむ

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