3憩 ら寂しき最東端の街に花咲く ニュー娯楽食文化 -
海道室市/
標津町- 第2
第1日
中標津(なかしべつ)
(第2日 朝食)
N03-011(第42号)紅鮭弁当@東武サウスヒルズ →
N03-012(第43号)たっぷり野菜のポテトサラダ @東武サウスヒルズ →

 弁当の基準を知るには鮭弁が一番である。同じく惣菜を知るには、ポテトサラダが一番である。特徴や実力が現れやすい。鮭は本当にバラつきが大きな素材だ。弁当専門店でもマズイ代物に出くわすこと珍しからず。それに比してポテトサラダにはそれほどバラつきはない。が、ここのポテトサラダは面白い。野菜たっぷり。そう云う名前で売っているから野菜豊富なのだが、ポテトの本場だけにポテト推しで行きがちなところの野菜の多さに、何か東武らしさを覚えたりもする。
<紅鮭弁当>
¥580(抜)
形状→★★★★★
風味→★★★★☆
総合→★★★★☆
<たっぷり野菜のポテトサラダ>
¥372(抜)
形状→★★★☆☆
風味→★★★☆☆
総合→★★★☆☆

 土曜の朝の中標津は、見通しは良好だが霧のような静けさに包まれていた。旅先で迎える朝は何度目でも格別なものだ。平凡の中に非凡が隠れている。静けさに包まれた霧の中に熱狂が眠っている。



 ホテルを出発し、中心市街地の核心部へと近づくにつれ、この町の持つただならぬ活況オーラが静けさの中から頭をもたげる。昭和の頃ならいざ知らず、現在基準で捉えるなら明らかに栄えている部類に入る街並みだ。通りの奥の方にある赤と白の看板が一際目立つ。これはパチンコ店ではない。現在はスーパー「フクハラ」の店舗となっているあの場所に、2005年の移転前まで東武があった。フクハラ(福原)は道東に拠点を置き、北海道を代表する流通グループ「アークス」の一員となっており、規模としては東武を大きく上回る。空き店舗として放置されずに後継店舗が入ってくる辺り、「中標津さすが!」としか云いようがない。


 中心部を貫く中央通はまさに中標津の大通と云った威容を誇っているのだが、実は大通は別のところにあって、何とそれは宿泊先のホテル開陽インの目の前の通りなのである。空港とバイパスを結ぶ道路が「大通」であるのはこれまた如何にも中標津らしい。中央通を眺めつつ、丁字路を右折するとそこが嘗ての駅前通りとなる。つまりは突き当たりが駅になるのだ。


 標津線は廃止されたから現在はもちろん駅など無く、交通センターと云う名のバスターミナルになっている。振り返ると中央通からの距離はさほどない。道内でもかなり立地条件の良い駅だったことが分かる。駅が中心市街の中心近くに所在していたことも、中心市街がここまで栄えてきた要因であろう。要するに、昭和になってから駅前に形成された市街地がそのまま中心市街へと成長を遂げたわけだから、この地域の開拓の困難さと云うものが偲ばれる。だがしかし、遅れていたからこそ、その後強力に発展する素地が埋め込まれていたのだ。
 一口に中心市街と云っても多くの町で、鉄道開通前から存在した市街地と鉄道開通を機に形成された市街地の間には柔らかな分断が存在していて、そのことが郊外化に対抗する上でのネックとなっている。例えば内地に比べれば歴史の浅い札幌にしても、札幌駅が時計台の辺りに位置していたなら、大通地区と完全に一体化して、今日のような札幌駅周辺と大通・すすきのと云った区分には恐らくならなかっただろう。広島の紙屋町・八丁堀・流川地区のような一体型の中心市街を構成していたはずである。道内では第2の都市・旭川市が、一体型の中心市街を備えている。他方、第3の都市・函館市は、それとは正反対に極めて中心部が分散した状態となっており、都市運営の難しさに繋がっている。


 バスターミナルへ向けて、駅前の余韻を残す空間を歩いていると、「ジェラート シレトコ」の看板が目に入った。シレトコドーナツのジェラート店である。まだ朝9時過ぎ、店は当然閉まっている。東武に気を取られて、もう一つの中標津のやり手のことをすっかり失念していた。
 そんなわけでジェラートにはありつけなかったが、代わりに、ジェラートのようにそびえ立つ勇壮な残雪には巡り会えた。しかし「駅前」にこのような素敵な店を構えるとは、なかなかのセンスである。中標津は明るい。ああ、ここに本物の駅があればなあと思わずにはいられない気分になった。


 バスターミナルに辿り着くとちょうど根室行の豪華なバスが進入してくるところだった。と云うことは、これは空港連絡バスだ。この時間なら新千歳からの始発便か。バスは嘗ての栄華が偲ばれる駅構内そのままにだだっ広い乗り場の中にぽつんと収まっていった。乗り場も立派なら、ターミナルの建物もまた、見るからに豪華そうな趣を周囲へ漂わせている。
 中へ足を踏み入れると、そこまでの広さはないのだが天井が高い分、開放感があって実際以上に広々としているように感じる。そしてやはり豪華だ。よく整備されている。一応小さいながらもテナントも入居している。バスターミナルの多くは自治体が設営する。自治体主導で観光窓口や土産物を扱う売店などが入る。他方、駅はJRのもの、と云う意識が強い。また実際、その通りである。地元は駅に目を向けなくなる。思い通りになるバスターミナルへは目を掛ける。JRは少しでも支出を減らそうと躍起だから、不採算の駅にカネを掛けようとはしない。駅弁業者は撤退し、キヨスクも撤退し、旅行センターも閉鎖されて、駅の中ががらんとしてもそのままだ。放置される。窓口の営業時間は短縮され、仕舞いには終日無人化される。バスターミナルのように色んな機能が付加されない駅には、列車を利用する人しか寄り付かなくなり、街からの孤立化に拍車を掛けることとなる。国家資本主義と市場原理と縦割り意識が密接に絡み合って、鉄道の衰退は進行している。



 このバスターミナルは駅の跡に所在しているが、廃駅になった後に新たに建設されたものだから、この建物の中に駅の遺構を偲ばせるものは無いはずである。ところが、だ。窓口は根室交通と阿寒バスの二つが隣り合って設けられている。そして根室交通の窓口を覗くと何やら硬券を彷彿させる切符のようなものが常備されているではないか。今から乗るバスは厚床行で根室交通だ。折角だからこの切符が欲しい。車内で小銭を用意する手間も省ける。


 けれども根室交通の窓口には人が誰も居ない。仕方なく、人の居る阿寒バスの窓口に問い合わせてみたところ、この時間には誰も居ないとのことだった。他にも訊きたいことがあったから質問してみたが、根室交通の路線に関することなのに親切にも、阿寒バスのスタッフは可能な限り答えてくれる。阿寒バスの株が上がったのは云うまでもない。同時に根室交通の存在感の低さ、ひいては中標津に於ける根室の存在感の低さもまた際立つものとなった。


この路線図を目にすると阿寒バスの大きさが際立つ。遠くオホーツク管内の美幌も営業範囲。根室交通は「根室市のバス会社」の趣。


 櫛形をした乗り場がずらりと並ぶ光景は清々しい。ここが全てバスで埋まる日などこの先も無いのだろう。尤も都会のバスターミナルでは最近、このような櫛形の乗り場は姿を消してきているらしい。出発時に一旦バックしなければならない等、運行に不効率な面があるようだ。したがってバスの発着の少ないところならではのものになりつつあるのかもしれない。厚床行バスは定時に出発した。客は他に誰一人として居ない。
 さらば中標津。寂寥たる最果ての地にて一人気を吐く「道東の札幌」よ。魅力の大きな町であった。


 バスは途中、別海の町を通る。乳牛の方が人の数よりも多いことがある種の売りになっている別海町だが、人口も1万5千を数える大きな町である。出発時には他に居なかった客も2-3人ほど現れていた。別海は、AKB48・川本紗矢の出身地。AKBグループには道内出身者が割と散らばっている印象を抱くが、彼女のようにドが付く田舎出身の人は他にも居る。クラスのちょっと可愛い女の子が突然「東京」になってゆく。「東京」は意外と身近なご時世と云うことか。同じように「東京」にとってもこの地が「すぐそこの場所」になれば良いが。

 別海の市街地を過ぎると、車内も車窓も再び無人空間となった。荒涼とした広大な大地が、人間文明的には、ただ酪農によってのみ成り立っている。この辺りには春別と云う地名もある。すぐそこにまで迫ってきた春は、大地に目覚めを本格的にもたらすことになろう。人口減少とグローバル化と云う寒波襲来が激しさを増す環境で、この地の人間文明の近未来もまた、自然の恵みに引っ張られる形でそのようになるのだろうか。
厚床(あっとこ)

 厚床は根室市の西端に位置していて、中標津からの標津線廃止代替バスはここが終点となる。標津線は廃止となったが、厚床には今も駅がある。北海道を東西に貫く根室本線が通っているためだ。ところが肝心の終点根室へと向かう釧路-根室間の根室本線は、花咲線の通称で呼ばれている。根室本線は釧路を境に運行体系が分かれており、釧路を跨いで走る普通列車は無く、特急も釧路から先は走らない。実質的に「釧路本線」+花咲線なのである。標津線廃止後に建てられた厚床の駅舎はなかなか立派だ。中標津行のバスの他にここからは根室市街へ行くバスも出ている。交通の結節点としての地位の高さは標津線廃止後も些かも変わっていない。

 駅前はただただ、だだっ広い。立派な駅舎ではあるのだが、余りにも周りに何も無いから、駅だけがぽつんと建っている趣が漂う。駅の周りに何も無いのは、嘗て鉄道官舎や貨物・荷物扱いスペースがあったからであり、鉄道黄金期の名残である。何も残っていないのに名残と云うのもおかしな云い方だが。


 駅から厚床のメインストリート・国道44号まではすぐの距離である。この辺りには並行する高速もバイパスも無いのだが、通行量は少なめ。静かである。しかし郵便局があり、コンビニがあり、ガソリンスタンドもある。コンビニはこの先にもう一軒ある。北海道でコンビニ探しに苦労することは無い。そして意外にも飲食店が何軒かある。寂れている割に、街としての機能が揃っている。



 コンビニで買い物を済ませて駅に戻ると、バスがまだ停車していた。まるで無人の駅前の番人のようだ。そんな駅前以上に、駅の中は静まり返っていた。もちろん、誰も人が居ない。余り座り心地の良くない椅子だったから、駅の中をぶらぶらすることに決めた。掲示物は非常に多い。中標津のバスターミナルにも掲げられていた根室交通の路線図もあった。厚床が根室の入口であることがよく分かる。札幌から見て根室地方は遠いが、根室市はその中で最も遠くの距離にある。中標津の勃興が追い打ちをかける形で根室市は、根室地方の中心から逆に辺境の地になりつつあるようにみえる。
 けれども厚床であれば、わざわざ足を延ばす感覚にならずに、中標津や別海に行ったついでに立ち寄れるロケーションだ。釧路-標茶-中標津-別海-厚床-浜中-厚岸-釧路のようなサークルを形成することが出来る。厚床は根室復権のための要地となる場所である。その点、小樽市でありながら小樽よりも石狩や札幌に近い銭函を思い起こさせる。斜陽の小樽の中で札幌に近く比較的平地も多い銭函は希望の星だ。水産都市である根室市は、周辺町村ほど酪農一色と云うわけではないのだが、厚床周辺は酪農が盛んであり、観光化されている牧場もある。根室市の中にあって根室市離れしているのが厚床である。



 駅の一角にはささやかなギャラリーがあって野鳥の紹介を行っていた。他にも厚床ならではの印刷物が所狭しと置かれていて、一大情報発信拠点の様相を呈している。地域の貴重な対外窓口として、一丸となって活性化に取り組んでいるさまが伝わる。道内でもここまで見事な駅は珍しい。あの寂しい街並みのどこにこんなパワーが眠っていたのかと驚かされた。
 それでも時間はたっぷりと残っているからホームに出て散策をする。何せ2時間弱の待ち合わせ時間だ。無人駅の良い点は、自由にホームに出られるところだからこれを活用しない手はない。
 厚床駅は駅舎側単式ホームと島式ホームの2面からなり、両者は跨線橋ではなく構内踏切で連絡している。元は島式ホーム両側に線路を配していたが現在は内側が撤去されており、2面2線の構造となっている。花咲線は単線だから、どこかの地点で上下列車をすれ違わせる、即ち列車を交換させる必要がある。普段は下り根室方面も上り釧路方面も駅舎側の1番線が使われるが、使用優先権は下り列車にある。下り列車が1番線を使う際に上り列車もやってきたら…その瞬間、眠っていた2番線の出番となり、当駅での列車交換実現と相成る。
 ひょろっとした線路の間に浮かぶ孤島・2番線プラットホームは、上品なお婆のような高貴な枯れ方をしている。それはナチュラルなものであり、決して人為的に狙って真似出来るものではない。必然と必然が重なり合って偶然を生み、偶然と偶然が重なり合って必然を生んでいるのだ。機能美の「美しさ」はその辺りに眠っているのだろうと思う。
 もう長いこと腰掛けられた形跡の無いベンチには冬の間、人の代わりに雪がのしかかってくる。しかし雪に占拠される前に果たして腰掛けられる機会があったものか甚だ疑問だ。ベンチは古びているが、それでもこの荒涼とした風景の中で馴染まずに視界の中で浮き上がってくる。恐らく昭和後期のものだろう、都会の駅のベンチと同じデザインである。設置された当時はお洒落なものとして持て囃されたはずだ。
 秋の長い夜のような時間を存分に駅で過ごし、それでもお釣りが返ってくるような状態になった頃、2番線に列車が入った。毎日2回しか繰り返されない待望の光景だ。3月26日のダイヤ改正で花咲線の列車は削減される。それに伴い厚床駅での上下列車の交換が取り止めとなる。列車行き違いは全て浜中町の茶内駅で行われるが、茶内から根室までは約70キロある。加えて根室駅にも交換設備が無い。この間、交換設備のある駅が一つも無いことになれば、柔軟なダイヤ編成が出来なくなるから、どこかの交換設備を残すことにはなろう。標津線の廃止で乗換駅ではなくなった厚床だが、2番線の存在は乗換駅としての威容を今に伝えるものとなっている。しかし厚床は茶内から20キロの位置にあり、茶内に近過ぎる。同じ20キロでも根室の20キロ手前にある落石駅の交換設備を残す方が合理的だ。厚床の2番線は廃止の公算濃厚である。あのベンチに誰かが腰掛けることは、もう無い。


 私が厚床から立ち去る時も来たようだ。1番線に列車がやってきた。当初はどうなることかと思った2時間弱の厚床でのひとときは、心の内に低温やけどを起こすような、緩やかに濃密なものだった。この次は是非、食事をしてみたい思いに駆られていた。
 列車はほぼ満席で思いの外、賑わっていた。いきなりの人口密度の高さにたじろぐと同時にホッとしたものも覚える。ここまで特段、大自然の中を彷徨ったわけでもないのに、専ら片手で数えられる程度の人しか居ない空間で育まれてきた。人間の密度と云うものは、黙っていても、自動的に熱を帯びるものだなと感じた。
 いざ国境の根室の町へ。日本の最果て道東の地。その中でも半島と云う行き止まりの孤立地帯の中に佇む正真正銘の最果ての地・根室。そこには独自の食空間が花咲いている。花咲線は魅惑の食卓へと誘う使者である。鹿もやっぱり出てきた。先導役のようになって軽やかにうろつくも仕方なし。
根室(ねむろ)



 到着した根室駅は人でごった返していた。留萌などと比べても小ぶりな駅で、長大な本線の終点とは思えない簡素な趣がしてくるものだから余計に、人沢山な光景には強烈さが宿る。この根室駅の活況は、中標津の東武に足を踏み入れた時分よりも、意外性と云う点では衝撃的なものだった。よれよれの花咲線の線路のようにくたびれた情景しか想像していなかったものだから。
 根室は十数年ぶりである。前回来訪時はほぼ納沙布岬との往復に終始した恰好で、満足に街を歩いた覚えはない。活気溢れる駅を背に、期待に胸は膨らむ。昼時を過ぎた腹の中は湧き上がるように、リズミカルに躍っている。

 駅前にはクルマがぎっしり、タクシーもばっちりと待機、すぐ横のバスターミナルからは大小のバスが街へと繰り出す。一見、クルマ社会の猛烈なるストームに見舞われているようにも映るが、これもまた一つの理想形である。別にここには「道の駅」が併設されているわけでもない。本当に駅が寂れていたらクルマすら集まってこないものだ。根室交通のバス路線は釧路線を除いて鉄道とは競合しておらず、鉄道を補完する役割を担っている。鉄道を中心にして交通体系を、駅を出発点にして市街地を構成するのは、理想形であると同時に地道な地域づくりのための王道となる。根室と云う町は冗長だが、街はコンパクトに収まっている。

根室駅舎には、どことなくロシア的な雰囲気も漂う。まだ稚泊航路が健在で、北方領土が北方領土になる前の時代感をも纏う。
 駅の外には、潤いと枯れ具合のバランスが実に良い塩梅の駅前風景が広がっていた。観光地でもある根室だから、観光客向けの店も当然あるのだが、地元客向けに歴史を刻んできた店も生きていて、それもまたこの良き風景の醸成に繋がっている。私はすっかり根室に鷲掴みにされた。この「鷲」は、クレムリンの黄金の鷲よりも、魅惑的だ。

 根室市役所脇から緩やかに二股に分かれて下る道があった。人の生涯は二股の連続であり、町の将来もまた二股の連続である。人にとっては正しい選択も、町にとってみればそうなるとも限らない。その逆もまた然り。未来は、我々をどこに運んでゆくのか。街並みの向こうにある海の気配を望みながら、ふとそんな思いに耽る。海は恵み。海は障壁。この町ほど国に行く末が握られている場所も、他に余りなかろう。

 根室駅の賑わいにも大いに衝撃を受けたが、根室中心部の洒落た雰囲気もまた意外性のある素敵さである。ロシア語表記の道案内もあり、日本から最も近い西洋・極東ロシアの街角の佇まいを、さほど無理することなく感じられる仕上がり具合だ。洒落ているだけではない。人の体温が感じられる。イオンがあって、タクシーがズラリと待機している。地方ではお馴染みの光景だが、中心部に大型商業施設が存在しているところは町興しを展開する上でも、根室の強みとなろう。道東の拠点都市・釧路の中心部は、食品スーパーすらも満足には探せない状況だ。嘗て根室と同程度の人口規模だった網走にしても、人口減少は根室に比べて遥かに緩やかなのだが、郊外化が進行したせいで中心部の空洞化は酷い有様。根室の郊外は自動車販売店やパチンコ店が目立ち、大型商業施設や量販店が少ない、まるで90年代初頭の地方都市の状況が21世紀に随分と突入した今日に至るまで続いている。
 ところで、このお洒落な雰囲気の一角に、漸く辿り着いた本日の昼食の舞台がある。その店自身もまた、この付近の雰囲気を構成するキーパーソンと化していた。
(第2日 昼食)
N03-015 (第46号) オリエンタルライス@どりあん →

<オリエンタルライス>
 根室のご当地グルメと云えばエスカロップが最も著名でこの「どりあん」も元祖エスカロップのモンブラン直系である。が、しかしこの店でエスカロップを上回るオリジナル感を醸しているのが、オリエンタルライスだ。カレーピラフに牛サガリを載せてデミグラスソースを掛ける。軽さと本格洋食の味わいの共存が面白い。

¥980(込)
形状→★★★★★
風味→★★★★☆
総合→★★★★☆

 日本最東端、最もオリエンタルな街は、文化文明の曙が展開された空間である。90年代以降は沈静化していた北海道分県論がこの根室来訪後に再浮上してきたが、明治の一時期、3つの県に北海道は分かれていた。函館県に札幌県、そして残りの一つが根室県だった。今日、道東を代表する町と云えば先ず釧路を思い浮かべるが、その釧路よりも根室の方が格上だったのだ。根室の街を歩いているとよく分かる。港町の代名詞と云えば坂である。根室にも坂はあるのだが、さほどの険しさはなく、平坦な土地も多く広がる。都市建設をする上では楽だ。小樽のように土地確保に四苦八苦することも無い。

見事な「トマソン」である。扉の内側に梯子等は設置されているのだろうか。この町がトマソンにならないことを願う。

 暫く前から尖塔がちらちらと見えては消えて気になっていたのだが、そこはやはり教会だった。
 近代の文明文化をあまねく全国に行き渡らせたのは、お雇い外国人の協力を得た政府主導の上からの近代化のみに因るものではない。海を渡って数多くの宣教師が来日し、各地で伝道活動を行った。キリスト教を広めると云うことは、近代的な思想、例えば教育や福祉の概念を広め、これらを実践することとイコールの間柄だった。実に教会は単にキリスト教と云う宗教を伝道するだけの場ではない、文明文化の集まる広場であった。信徒になった人々の中には、地域の有力者も少なからず存在し、いわば下からの近代化を担っていった。草の根レヴェルで近代化が定着し、一応の成功を見たのは、彼らの貢献によるところが大きい。日本各地には風格漂う教会が残っていて、宣教師や信徒たちの功績を今に伝えている。このような立派な教会があると云うことは、今は幾らくたびれていようとも、嘗ては経済的に繁栄し、文化面でも先進的だった証である。県の名になるほど栄えた根室の遺産なのだ。

 教会の隣が魚屋であるところなど、実に根室らしい光景である。魚はキリスト教的にも意義深い素材であるから、似合っている組み合わせだとも云えるだろう。ちょうど明日は日曜日。礼拝に出席してみることにした。

 小雨降り注ぐ間に浮き上がる根室の街には、落ち着いた貫禄がある。そこは明治の頃より栄えてきた町である。パッと出の新興都市ではないのだ。根室管内唯一の市であり、釧路本線が根室まで延びてきた時分にはわざわざ、根室本線と名称変更が為されたのである。それだけの都市なのだ。駅は留萌よりも小さいが中心部は、留萌よりも中身が詰まっている印象を受けた。道東の盟主の座はとっくの昔に釧路に明け渡しているが、釧路はその大きさ故に中心部の空洞化が進行してスカスカの状態である。根室の方が健康的に生きている趣がしてきて、実に好ましい。



雨に濡れる交差点の角を曲がると教会の尖塔が滲んで見えた。絵になる風景だ。

北海道では「月決」表記が一般的。一大駐車場コンツェルン「月極グループ」の駐車場は、さほどは見掛けず。

農業関係ではなく水産関係の金融機関を目にすると、ああ港町に居るのだなと思う。キャラクターもなかなか可愛い。

 雨脚が強くなってきたところでホテルへ入る。案内されたのは高層階だったが、この天候では眺望など期待出来るものではない。代わって最も印象に残ったのは、机の引き出しの中にモルモン経が入っていたことだった。色んなホテルに泊まってきたが、モルモン経のお出ましは初めての経験だ。この下にはお馴染みのギデオン協会による聖書が鎮座していた。聖書と並んでよく見掛ける仏教関係の書籍は、置かれていなかった。

余計なものは継ぎ足さない。素材の味を大切にする。これが基本である。これを真理とも呼ぶ。

(第2日 夕食)
N03-016(第47号) 北あかりポテトサラダ@マルシェ・デ・キッチン →
N03-017(第48号) 絹艶サンド 黒胡椒チキン&ツナチーズ(日糧)@マルシェ・デ・キッチン →
N03-018(第49号) アメリカンドック@マルシェ・デ・キッチン →


 「マルシェ・デ・キッチン」は、中心部にある地元資本の食品スーパー。中標津の東武にも驚かされたが、ここも目を見張るものがあった。食品スーパーだから東武に比べれば規模は物凄く小さい。けれども東武同様に、プチ高級感が漂っている。如何にも田舎染みた白色の蛍光灯的照明塩梅ばかりが目立つ、素朴で古びた趣の店内ではない。喩えるなら東急ストアと云うよりも一段上の東急プレッセのようである。日本の東の端っこでこんなにも洒落た雰囲気に包まれた消費空間が広がっていることに、血液がサラサラになる思いがした。それも、郊外ではなくバリバリの中心部に店を構えているのだ。ここには根室を代表するパン屋の「山森パン」のプロダクツも豊富に取り揃えてある。このスーパーに引っ張られる形で山森パンのお洒落度まで上がっているように感じた。


<北あかりポテトサラダ> ¥126(込)
 ポテトサラダは小ぶりだが「北あかり」使用を謳い、芋味は濃厚である。
 形状→★★★☆☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★☆☆

<絹艶サンド 黒胡椒チキン&ツナチーズ> ¥260(込)
 「絹艶」は日糧の食パンでそれを使ったサンドウィッチを日糧自身が製造していたのであった。日糧のパンは北海道に居る時分によく食してきたがサンドウィッチとなるとこれが初回である。中国地方のスーパー・コンビニでタカキベーカリーのサンドウィッチと出くわした時のことを思い出す。山崎を除くと大手製パン業者のサンドウィッチは見掛けないから(サンドウィッチ用のパンならよく見掛けるが)何かウキウキする。
 形状→★★★☆☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★☆☆

<アメリカンドック>
 最後はアメリカンドック。特異な姿をしているのだが、それは一体どの部分か。

あんドーナツとアメリカンドックの表面の様子が同じである。
アメリカンドックにも、砂糖をまぶしているのだ。

根室ローカルのコンビニ「タイエー」で売られていたアメリカンドックもこの通り。
北海道内でも道東限定で、このような風習が存在している。
しかしこれが結構合うのである。酢豚にパイナップルよりも齟齬なく馴染んでいる。

¥100(込) 形状→★★★★☆ 風味→★★★★☆ 総合→★★★★☆

 ニュースを見る限り、新幹線開業ムードがここにきてかなり高まっているように感じられるが、東の果ての根室では薄い関係性しか見出せない話だ。東京から北海道へとやってきたが、殆ど実感が湧かない。北海道新幹線は走り出すのだろうか。東京と余り変わらない、根室はそんな北海道である。
→第2日旅程→
中標津バスターミナル 9:30 →根室交通(バス)→ 厚床駅前 10:50  
厚床 12:41 →根室本線(花咲線) 快速ノサップ(3631D)→ 根室 13:22
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