2 憩 の伊豆トリクルダウン記 -静岡県熱海市/下田市-

小田原城は、桜が醸成する湿った熱気に包まれていた。


城を取り囲むようにして人が群れ、猿は乱舞し、豆汽車がカタカタごっとんと走り抜ける。如何にも春爛漫な情景である。

そんな桜前線の進行方向とは逆行するようにして、伊豆半島を南下する。昔、相模国、伊豆国。今は、神奈川県、静岡県。小田原と伊豆との間には、このような境目が存在する。しかし明治の一時期、神奈川西部と伊豆から成る足柄県と云う県が存在した。つまり両者の間に、境は無かった。小田原から伊豆にかけてうっすらと感じる一体性は、歴史的裏付けのあるものだったことを知る。その足柄県の県庁が置かれたのが他ならぬ小田原。伊豆への出発点としてここに勝る場所も無い。

伊豆と云えば踊子。踊子と云えば、伊豆。そういう名前の特急列車が走るほど、川端康成は伊豆と踊子に代名詞を与えてしまった。伊豆は東京から最も近い現実逃避郷である。しかしそこには土着の人々がいて、ありのままの足腰を使った日常がある、鳥の自由さにも葛藤があることを知り、子供は大人になる。何かつらつらと、魯迅を読みたくなってくる。旅と故郷はセットのものだ。故郷が無ければ、それは流浪になってしまい、旅は成立しないのだ。

バブルの薫り漂う「スーパービュー踊り子」号。普通の「踊り子」号が特急車両にしてはチープな造りであることもあって、実に対照的にゴージャスな「スーパービュー」が、東伊豆観光のフロントランナーになってきた。新幹線と並走しつつ、都心部を抜けて、横浜を過ぎてもなお、未だ風光明媚は遠くの彼方。東京は余りに大きい。意外と海が見えない東海道線。車窓の本番は小田原(1時間3分頃)を過ぎてから。熱海(1時間20分頃)からは伊東線、伊東(1時間45分頃)からは伊豆急となるが、黒船開国の地・下田はまだ遠い。時流れて、近代開始の頃の記憶が次第に遠のくように、終点・下田は遥かなる存在。因みに本稿のもう一つの舞台・伊豆多賀は、1時間29分頃に通過する。

風光明媚な東海道本線を下って熱海へ向かうと、東京の代名詞を構成する一員であり続ける東急が待ち構えていた。熱海から伊東までがJR伊東線、伊東から先、下田までが伊豆急行線だが、走行する車両は伊東線の区間でも殆どが東急のお古を使った伊豆急のもの。今回の目的地は、伊東や下田ではなく、熱海から二つ先に当たる伊豆多賀である。


初めて降り立った伊豆多賀の駅は、暗闇の高台の上に佇んでいた。周囲には桜の木も多い様子だが、夜桜見物を愉しむには些か暗い。しかしこの次は昼間に訪れてみたいと思わせる位の、趣ある薫りを滲み出していた。斜面を下り、海岸線まで到達すると、ピアノの旋律のように光が飛び跳ねている。「とんかつKOIDE」は、すぐに見つかった。待ち遠しかった本日のディナーも、近い。


伊豆にやってきて、それも海を目の前にしても、海産物ではなく、とんかつを愉しむ。なかなか得難いチョイスである。この「とんかつKOIDE」は、東京・青山の有名店「まい泉」創業者がリタイア後に開いた店だ。海と山に囲まれた鄙びた土地に、植樹された「東京」がリラックスして佇んでいる。古くから伊豆には、東京に憑かれた人々が一時の羽休めで疲れを取るために、或いは永続的に羽を伸ばして憑かれを引き剥がすために、やってくる。この店を橋田壽賀子、片岡鶴太郎と云った著名人が後押ししているのだ。


とんかつと云えば、まずはロース。とんかつ屋にとってのロースは、パン屋にとってのクロワッサンなのだと思う。それすなわち、基本存在。存在価値の披露。けれども生憎この日は切らしてしまっているらしい。そこで「特選 沖田六白黒豚ヒレカツ膳」を注文する。「沖田」と云えば、まい泉でも馴染みのあるブランドだ。








心の隅で、ロースにありつけなかった無念さを引きずっていたが、眼前に現れたヒレカツを見て、その邪気も吹き飛んだ。ふっくらと揚げられたヒレカツの姿は、優美と云うほかなく、その上、本格的にわさびまで供されるとは。きちんと伊豆にも根差している趣が漂ってくる。

早速わさびをすり下ろし、まるで刺身のようにとんかつを食す。…口もとを思わず凍らせてしまう美味しさ。とんかつにこんな食べ方があったとは。なかなか刺激的にして上品な味わいだ。それもこれもヒレカツの素晴らしさあってのことである。

「まい泉」直伝、“箸で切れるやわらかなとんかつ”そのままに、ふわっとまるく、食むごとにじんわり風味が輝く。「まい泉」のものよりも、とろけるやわらかさの中にハリを感じさせるヒレカツ。カツに負けぬほど美味しいのが、釜戸で炊いたごはん。米が活き活きピチピチしていて、大層うまい。




それから3日が過ぎ、今度は昼間の伊豆多賀に私たちは降り立った。だいぶ桜は散っていたが、遠くに海、近くに桜、その間には味わい深い風情の商店。全てが静謐の額縁の内に調和する光景。

行き先はもちろん、「とんかつKOIDE」。貸切状態だったあの夜の透き通った店内とは打って変わって、大変な賑わいだ。千円前後の手頃な価格帯で用意されたランチメニューもあったのだが、一目散に食らいついたのは「特選 沖田六白黒豚ロースカツ膳」。前回訪問時にありつけなかった一品、とんかつの王道・ロースカツ。是非ともこれを賞味しなくては、胃袋も廃る。









あの「まい泉」の“箸で切れるやわらかなとんかつ”は、ロースよりもヒレでその真価を発揮する。ヒレカツはやわらかさに包まれた上品さがあれば成立する。それだけで良い。だがロースとなると、話は別だ。やわらかくて上品なだけではどこか物足りない。響き合う肉と脂のムラッとした狂騒こそが、ロースカツの神髄だ。

「KOIDE」のロースカツもまた、「まい泉」の流れを汲んで上品だが、ムラっとした匂いがぺしゃんこに抑えられた趣がした。美味しくないワケでは決してない。とても上品に仕上がっており、肉質も別段問題があるものではない。けれども、あのヒレカツの素晴らしさと比較すると、どうしても一段落ちる。その上品さ、ヒレカツには敵わず。そうかと云ってロースカツの魅力である野趣溢れる風味には少々欠ける。




「まい泉」同様に、シャーベットで〆て、お開き。潮風吹く店の前には、長閑な長浜海水浴場の砂浜が広がっている。特に観光客がいるわけでもなく、時折地元人と思しき面々が海浜沿いに歩いている。昼下がりのぼんやりとした空気の下に、所々、砂場のお城のような姿の東京が点在していて、その周りはどこまでもコンパクトに鄙びている。多賀には、伊豆の面白さがふんだんに盛られていた。だが今日の最終目的地は、多賀ではない。長居は出来ない。先はまだ長い。





明治の文明開化期の食として、あんパンの存在はやはり忘れ得ぬものがあるだろう。饅頭の生地に豊潤な乳を添えて分厚く小麦の園とすれば、あんパンに成れる。だからそこへの「慣れ」には、肉を食らうことと比較して清らかなエレガントさが伴っている。いきなりステーキ!ならぬ、いきなりの肉ではなく、その間に、あんパンと云う、まさに和との親和性を備えた最上のクッションを持てた幸せは、運動会のパン食い競争がうまく運べた際以上の達成感があろう。

明治の文明開化のご時世に、食を通して日本人が近代を受容していくさまを綴った興味深い二冊。「とんかつ」と「カレーライス」は、やがてニッポンの国民食になり、身近な胃袋から近代を受容する上で双璧を成す存在である。一つは市井から、もう一つは軍隊から伝播しているさまは、車の両輪のようである。「肉食」それ自体は、原始から人の習俗だったのに、「肉を食べる」ことが近代への入り口となり、「肉を食べない」ことが脱近代への一つの入り口になりつつある点は実に興味深いことだ。


そのまま半島を南下し続けた私たちは、1時間半の乗車の後、終点・伊豆急下田駅に到着した。元東急の車両は半分がボックスシートに改造されているが、ちゃんと海側の席がその改造を受けており、ボックスシートならではの観光気分醸成威力を遺憾なく発揮している。



下田まで来て、東京から離れた感覚がどっと湧いてきた。線路が行きどまりになっている光景が、東京からの旅の終わりを語りかけているように思えた。伊豆急下田駅には、私鉄では珍しい駅弁もある。ペリーの黒船来航がきっかけとなって締結された日米和親条約。その開港地となった下田は、その歴史を観光に転換して前面に押し出している。下田に流れる時の河は、多賀以上にゆっくり、ゆっくりと、鈍く漂っていた。


「伊豆と云えば踊子、踊子と云えば伊豆」であるように、ペリーと云えば黒船、黒船と云えばペリーである。ペリーの来航とは、とどのつまり、高度でありつつも屋根につかえて未分化だった文化・文明が一旦解体していくための作業であり、浮世絵から写真へ移る、記憶と記録の媒体の世界的転換であった。そしてその隙間には緻密なスケッチ画の世界が広がっていた。この浦賀沖に現れた黒船の衝撃を下田の地で定着させたのが、ハリスである。生粋のメジャーリーガーの如きインパクトのペリーに対し、ハリスのそれは、あたかもマイナーリーガーが日本でホームラン王になるような役回りだった。


それだから下田には、歴史しかないのだ。そこにマリンレジャーが、現代を生きる下田観光には加わってくる。この街には、東急系の施設も西武系の施設もある。そこで東京郊外を彷彿させる風景がピンポイント的に配されることになる。ピンポイント的であるが故に、それはごく狭い一角に過ぎない話なのだが、人口3万を割る鄙びた地方の小都市にしては、やけに東京郊外寄りの風が吹き抜けている。



駅から少し離れると都会的な匂いは急激に薄れ、地方都市の風情を感じさせる商店街が広がった。人はあまり歩いていないが、建物が作り出す雰囲気は賑やかだ。観光業が苦戦をし、人口流出に悩んでいるが、この街はまだ死んでいないと感じた。店頭ではためく「下田あんパン」の幟を見初めて興味を抱き、立ち寄ることにした。ご当地的なあんぱんは、パン受容の歴史を追うようにして、温泉まんじゅうの如きものとなりつつある。






平井製菓
ハリスさんの牛乳あんパン

日米和親条約締結を受けて下田に赴任してきたハリスが、日本で初めて牛乳を飲んだことに因む一品。非常に下田らしい由緒を情緒的に働きかけてくる一品である。フランス人技師がワインを飲んだら生き血を吸っていると噂されたものだが、牛乳という白い血を飲んだ時分の人々の反応はどのようなものだったか興味を抱かずにはいられない。

ほぼ一口サイズの小ぶりなあんぱんの中にはこしあんのほか、やわらかにバターが詰められており、ミルキィな生地の風味に駄目を押す。“あんバター”と云うネーミングが存在するように、両者の相性は素晴らしい。




下田があれば、上田がある。信州上田は、山の下田。それなら豆州下田は、海の上田。菅平高原は、昭和的風情を感じさせる言い方をするなら、スポーツに取り組む人々の“メッカ”である。それなら、下田は?

マッチョに憑りつかれた作家・三島由紀夫由縁のスイーツがここにはある。




大正11年創業の日新堂。毎年当地で休暇を過ごしていた三島は、この日新堂のマドレーヌを殊の外、愛でたそうである。日本一の味である、と。

それにしても三島と云うマッチョな軸があると、こうも華やぐものなのか。その対象が西洋菓子だと、こうも浪漫が染み込むものなのか。思い出の家庭の味は、肉じゃがではなくクリームシチューの時代に、ハイカラは日常風景へと同化される…その寸前の輝きに溢れた景色が、日新堂のマドレーヌの先に広がる。


川端康成は伊豆で踊子と出会って青年期を終えたが、三島由紀夫にはそれが叶わぬ夢となったのである。叶わぬ、と云うよりも三島にとっては「適わぬ」と云った方が良好なのかもしれぬ。以来、終生、三島は仮面を身にまとう。彼が身体の開発を積み重ねて、鋼の肉体を手にすればするほどに、仮面の内もまた分厚くなっていくのである。そうして、仮面のあるなしの境目が彼の中から消えて、混沌の内に終幕へと向かうのだ。 伊豆は田舎であり都会である。東京に近く、東京の人間が余った日々を過ごすために、いや、何とか日々を余らせて押しかける土地柄である。本来は半島の鄙びた田舎であるはずが、こうして都会風が吹き渡る。本作の舞台は三重県だが、伊豆でも相応に腹八分目である。それと云うのも本作が描き出す田舎は、すこぶる奇麗だからである。「潮騒」と題しつつ、ぞくぞくと騒がしくない本作は、温かな日差しを浴びる農園での収穫から、こたつに入ってのんびりと、テレビでも見ながら頬張りの中へと納まるみかんの後半生のようである。メロスよ走れ、エロスよ落ち着け。 お遊びに命を懸ける三島の真骨頂である。兎に角、仕掛けが凝っている。「手紙教室」ではなく「レター教室」と題している通り、大いに華美甘美に気取っているのだ。材料と技巧を検討した末の手品師のようなオムニバス。芸術と実用の垣根を取っ払ったスタイリッシュさは、ソ連的芸術への西側からの、或いは右派からの回答であり、意地である。それを大仰なモチーフではなく、生活現場に落とし込む辺りに三島の非凡さと云うものを感じさせるのだ。

 


日新堂を通り過ぎると街並みも目立って落ち着いてきた。それは、下田の礎がだんだんと近づいてきた証左。開港地・下田。彼方から覗きかける湊の風景が、まぶたの裏でいにしえの光景を遡らせる。
下田は三島由紀夫のみならず、川端康成所縁の地でもある。ハリスと三島の間には「伊豆の踊子」が頃合となって息づいていた。今でも下田の街には、時を遡らせる情趣が残っている。だが昭和戦前期を直情的に感じさせるものは、多く残ってはいない。埋め立てられた水辺の風景は、過去との断絶と云うものを間隙なく語りかける。大きな船とその周りを行き来する無数のはしけで賑わったであろう昔日の光景を、停泊したままの漁船やプレジャーボートの群れから答え合わせするには、猛烈な想像力が必要になる。
学生と踊り子は、思いを衣の中に仕舞い込んで、ここを引き揚げ、交わることのない道を歩んでいった。ヒレとロースは、とんかつと云う一線上で交差するが、その交わりは油でカラッと揚げられた一瞬の間だけで、その後は決して交わらない。昭和は昭和を生き、平成は平成を生き、伊豆には伊豆の時が流れ、東京には東京の時が流れる。だがそれぞれの心根が交差する時分に、街はごった返し、尽きることのない物語が生まれる。マドレーヌを通して、三島由紀夫に触れることが出来るように。

「今」の頭上に「昔」が降りそそぎ、「伊豆」の頭上に「東京」が降りそそぐ時、終わら物語が書き綴られる。
第2憩 味の伊豆トリクルダウン記
本文参照→
舌自心 INDEX
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