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<後篇> |
素晴らしきかな、好敵手…分かり合えなくとも分かち合うことは、出来る |
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キリストはなぜ、この罪を犯した女を救いだすことが出来たのでしょう。それはこの場に居合わせた…聖書の中では悪役となっている律法学者やファリサイ派の…人々が論理を重んじた状態にあり、徹頭徹尾、感情に支配されていないからこそ…と云うことに目を向けなければなりません。少なくともこの時の律法学者やファリサイ派は、キリストに「論破」されたことで(昨今は、この言葉も随分と安っぽく使われるようになりました。屁理屈を並べ立てて相手を呆れさせて黙らせただけで「論破した」と称する人が少なくありません)、形勢不利を悟り、潔く引き揚げたのです。
→vol4-02: 「汝らのうち、罪なき者、まず石を投げうて」の精神とは<後篇> uploaded:2018.0805 |
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<前篇> |
聖句を理解する際に必要なこと、それは「罠」に嵌らないこと。 |
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週刊誌の報道により先日明るみになった小室哲哉の不倫並びに彼の釈明会見に対するバッシングに対して、前東京都知事の舛添要一が、ヨハネ伝8章の一節「汝らのうち、罪なき者、まず石を投げうて」を引用する形でこれを批判しました。やましいことをしている人間たちが、正義感ぶって、特定の個人を攻撃するものではない、と云うことであるわけです。この有名なイエス・キリストの聖句は、まさに不倫現場、即ち姦通罪の現行犯で捕まったケースでの出来事でしたから、舛添要一の捉え方と云うものに特段の間違いはないのですが、しかし、この聖句はそのような硬直的な解釈を超えた日常的精神性を、私たちに問い掛けるものなのです。
→vol4: 「汝らのうち、罪なき者、まず石を投げうて」の精神とは<前篇> uploaded:2018.0701
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復讐心を煽るとして余り良いイメージを持たれない、この名文句。
しかしその神髄とはどのようなものか |
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先日、AKBのメンバーが「韓国が好きな日本人は嫌い」と発言したと云うことで非難を浴びました。実際の発言内容のニュアンスは少し異なるようですが、しかし、韓国や韓国好きの人間に対する嫌悪感を増進させるような発言を有名アイドルグループに在籍する立場の人間が云うことは、甚だ不適当であると云うことなのでしょう。AKB運営からの指導が入ったと見えて直ぐに謝罪をしました。AKBに韓国人ファンは多くないと思われますが、同じく、日本との関係が芳しくない中国のファンは大勢います。人気低落に頭を悩ませているであろう運営としては、これが中国相手だったらと思うとゾッとしたのではないでしょうか。
→vol3: 目には目を!歯には歯を! 話はそれからだ uploaded:2018.0302
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自分の物差しを持つことと、
自分が物差しになっていることとの違いとは |
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J-POPの歌詞の世界などでも見受けられますね…「自分の物差しを持とう」「自分の物差しで見よう」と。それでは、そもそも、自分の物差しとは何か、と云うことになるわけです。全ての権威や秩序を否定して、自己中心的に、自分勝手に生きること…なのでしょうか。しばしばこの「自分の物差し」とやらを強調する人にありがちなことではありますが。
しかし確かに、自分の物差しを持って生きることは…自分の物差しによって生きることは、大事なことなのです。ところが上述のような大いなる誤解と云うものが蔓延っており、それが結局のところ、「自分の物差し」を携えずにいる元凶となっているのです。
→vol2: 自分の物差しを持つと云うこと uploaded:2018.0222 |
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柔軟性か、それとも頑固一徹か。
著作権的思考法で物事の整理を図れば、採るべき道が見えてくる |
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あらゆる物事は、統一と融合、並びに分断と分割によって成り立っています。別離があれば、合体もあります。独りが寂しい夜もあれば、独りで過ごしたい夜もあります。状況に合わせて変わることが良い場合もあれば、ぶれずに頑として佇むことが良い場合もあります。
人生は難しく、世界は複雑です。別に複雑怪奇なのは、欧州情勢だけではありません。さて、ここで問題なのは、一体化されるべきものと分離させるものをどう見分けるかであり、それは別の角度から眺めれば、変えない部分と変えるべき部分とをどう見分けるのかと云うことでもあります。そこで私は「著作権的思考法」と云うものをお勧めします。
→vol1: 著作権的思考法の勧め uploaded:2018.0214 |
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