6憩 イヅネノアンアイヅ -

島県津若松市- 第1
 2012年12月。対岸のスカイツリーや通称うんこビルが朝日に照らし出されて、妖しく光り輝く冬の朝の浅草に、私は佇んでいた。このところの東京は、雪が降っても余り積もらない(何と翌年の1月、大雪に見舞われることになったのだが…)。降り積もる雪を見なければ、踏み固めなければ、どうにも冬将軍の気分にはならない。
 思い立った私は、雪に会いに行くために、会津行きを決めた。東京から近場で交通費もさほど掛からない雪どころ・・・と云えば、「会津」だろうと。
 新幹線ではなく東武にしたのは、単純に安く行けるから。これが第一点。そして二点目として会津を、裏口から舐めるように北上してドゴール=会津若松へ至る感覚が、東武経由の方により濃密的に、感じられるからである。要は東武経由の方が、会津に沢山会えるような気がしたのだ。出発早々、浅草名物の急カーヴにキィキィ鳴いているスペーシア号を後目に、先ずは空いている腹にチャージすることにした。
(第1日朝食)
N06-001(第158号) 深川めし@浅草駅(優味) →

N06-002(第159号) ミックスサラダサンド@浅草駅(タカラ食品工業) →
<深川めし> ¥1,000(込)
最近の駅弁にありがちなチープな箱だが、中身は詰まっている。JR駅の深川めしとはだいぶ異なる。ハゼの甘露煮が無く、その代わりにあさりがかなり大きく、そして多く配されている。全体的に柔らかくまろやかな味わい。磯の香漂うものとなっている。JRのものより一回り高い分だけ、一回り大きな満足感も得られる。
形状→★★★★☆ 風味→★★★★☆ 総合→★★★★☆
<ミックスサラダサンド> ¥280(込)
パンが白と茶のしまうまになっていると、見た目的に非常に美味しく、また高級そうに見えてくる。実際中身も玉子やハムが滑らかに挿入されていて悪くない仕上がり。
形状→★★★★☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★☆☆
 北関東へと張り巡らされた東武線は、なかなか重厚長大にして勇壮である。春日部駅の風格など、東京近郊の私鉄風景のようにはとても思えない国鉄臭濃厚なものだ。この会社が「東武電鉄」ではなく「東武鉄道」と名乗っている所以であるように感じるほどである。実際に東武では嘗て貨物輸送を行い、更にはSLも走っていたのだから、納得の国鉄感だ。
 相互直通運転の友である東急田園都市線の車両も休む南栗橋を過ぎると、遂には関東平野のド真ん中に放り出されたような景色が広がった。以前のスペーシア号であれば、日光・鬼怒川の分岐点となる下今市までノンストップで走っていたが、今は栃木・新鹿沼と北関東の中小都市にも、まめに停車する。小田原までのノンストップを止めて、町田や本厚木に停まるようになった小田急ロマンスカー同様に、お仕着せレジャーの衰退とビジネス・ショッピング需要の高まりに応えているわけである。
 新鹿沼を過ぎると、関東平野も終わりが見える。山が急速に大きく近づいてきて、奇岩のような形をした峰々が左右の車窓を彩り始めた。関東だけに人の気配はなお濃密だが、落ち着いた里の風景が続く。この辺りまで来ると、複線電化の大手私鉄の本線とは思えない、うら寂れた小さな駅も登場する。会津が近づいている合図だ。彼方にそびえる雪山もかなり近くに寄り沿ってきている。
 下今市を出て、鬼怒川線に入ると列車の速度は極端に落ちた。じりじりと秘境感が出てくる。本来はメジャーな観光地のはずなのだが、不景気に見舞われているせいで、余分な秘境感も出ているのだろう。終点の鬼怒川温泉駅に到着すると、向かい側に会津鉄道の快速「AIZUマウントエクスプレス号」が待ち構えている。東武鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道・JR只見線と進んで、会津若松まで直通で行ってくれる便利な列車だ。車内はクリスマス風に可愛らしく飾り付けられていた。なかなか温いもてなしである。加えて驚いたのが、座席の豪華さだった。2両編成の内の前の1両が、今乗ってきた「スペーシア号」同様に、リクライニング式のクロスシートとなっていたのである。背面にはテーブルだって付いている。それでいて特別料金は一切取らないと云う。何ともお得な車両に巡り会えたものだ。この座席のお蔭で全く疲れずに会津まで到達することが出来た。浅草からスペーシア、そしてこの快速列車と乗り継いで会津若松まで4時間…のんびりと景色が愉しめて、良い座席のお蔭で殆ど疲れずに済む。それでいて新幹線利用よりも断然安い…となれば、この東武ルートを是非とも薦めたいものだ。
 新藤原で東武鬼怒川線が終わり、野岩鉄道の区間へと入る。特急の殆どが鬼怒川温泉までの運転であり、途中駅の雰囲気が濃厚である。特急も利用低迷打開に苦戦している時分に、呑気に普通列車を使って旅する人は更に減っている。嘗ての繁栄と今時分の寂しさ、両方向から誘ってくる売店跡の姿には芸術的な風格が漂っていた。ともあれ、ここで東武は終わる。いよいよ会津界へ突入したいところなのだが…
 未だ栃木県の中なのである。野岩鉄道とは下野と岩代を結ぶ鉄道と云う意味だから、これは正しい状況だ。しかし川治温泉を過ぎたところで遂に、積雪を確認するに至った。会津は近い。
 野岩鉄道線は1986年の開業と新しい路線のため、トンネルが非常に多い。その長大なトンネルを抜ける度に、辺りの白さは増して、その質量は厚く重いものへと変わっていった。
 会津高原尾瀬口から先は会津鉄道線となる。長い関東地方を通り抜けて漸く会津入りすると共に、辺りの景色はいよいよ雪深くなり、現れた除雪車を横目に、完全に雪国仕様の只中へと入り込んできたことを実感する。
 ヨークベニマルを目にすると東北にやってきたのだなと云う感覚が自然と湧く。浅草からやって来た東武電車の最終的な折り返し駅となっている会津田島は南会津の中心点だ。ここまでが電化区間。ここから先はディーゼルの世界となる。会津若松まで行く「AIZUマウントエクスプレス」はそのためにディーゼル車だったのだ。つまり東武線内をディーゼル車が走っていたことになるわけである。大手私鉄の線内に於いてディーゼルが走ると云うのは、なかなか珍しいことだ。
 さながら「まんが日本昔ばなし」の世界のような会津の磁界へぐんぐんと引き摺り込まれてゆく感覚は面白い。表口からではなく裏街道を下ってゆくからこそ味わえる後ろ向きの醍醐味である。
 昔と今の違いは、色の多彩さにある。それが暗くなりがちな里の冬の光景を明るくしている。この世の光であるクリスマスを飾る装置もまた、その彩り鮮やかな冬の光景を醸成する手段として有効に作用している。
芦ノ牧温泉(あしのまきおんせん)
 もうちょっとで会津若松まで行くところを少し手前となる芦ノ牧温泉にて下車した。あんなに素晴らしい座席の列車が来るとは思わなかったから多少降りるのが惜しい気もしたが、美味しく昼食を摂るためには、ここで降りるのが一番なのである。鄙びた山里に溶け込む駅の風景と「あいづっこ宣言」の看板のお出迎えを得る辺り、全くの偶然ながらこれぞ会津に来たよなァと思わせるものがある。尤も、あいづっこ宣言の最後にある「ならぬことはならぬものです」と云う台詞は、真理の追究を拒否する姿勢、思考停止を意味するものであるから、全く感心しないところではあるのだが。
 ちょうど大河ドラマ「八重の桜」開始前の時期に当たり、各所での宣伝も忙しく展開されている時分だが、八重は同志社創立者の新島襄の妻となり、キリスト教信徒となったものである。「キリシタンなどとんでもない…ならぬことはならぬものです」と云っていたら、八重のその後は有り得ない。八重は忽ち近代化していったが、守旧意識の蔓延り易さにより、会津自身の近代化は、随分と遅れてしまったものだ。
 ところでこの芦ノ牧温泉駅には、猫の駅長が居て、かなりの人気者となっている。昨今のローカル線では珍しくない、棲み付いた野良猫の活用例だが、猫でさえも駅に寄り付くのだから、もっと人間にも駅に寄り付いて、列車へと乗り継いでいってもらいたいものだなと思う。自動車依存は鉄道を始めとする公共交通機関を弱らせ、その皺寄せは交通弱者や結節点となってきた中心市街地へと及び、車が無ければどこへも行けないような歪な社会をもたらす。しかしながら、自動車依存状態が「ならぬことはならぬもの」とはならないところに、闇の深さと云うものを感じさせる。

N06-003(第160号) 猫駅長ばすクッキー@芦ノ牧温泉駅 →
 元々、芦ノ牧温泉郷への玄関口となってきた駅ではあるが、この猫の駅長「ばす」のお蔭で(鉄道なのに「ばす」と云うのも面白いネーミングだ)、とても華やいだ雰囲気の、商魂の逞しさを覚える駅の風景が展開されることとなった様子である。これなら列車の待ち時間も余り退屈せずに過ごせるであろう。
 外へ一歩出ると、賑やかだった駅の中とは全く違った落ち着いた雰囲気の街並みが広がっていた。山の麓に抱かれたその風景は、素朴な美麗さの極致以外の何物でもない。フランス人は嫌いだがフランスは好きだと云う人が少なくない。たとい人の心の底に闇が潜み、退廃的であっても、人と自然の交わりによって生まれる風土の素晴らしさに変わりはない。反対に、その部分すら荒廃したものとなるなら、いよいよ社会は危うくなってきたと云う警告のサインなのである。
 芦ノ牧温泉駅が芦ノ牧温泉駅になったのは、国鉄・JR東日本から会津鉄道に経営移管された1987年のこと。それまでは上三寄(かみみより)駅と云った。そのことからも分かるように、温泉郷の中に駅が位置しているものではない。温泉郷へは寧ろ、隣の大川ダム公園駅からの方が距離的には近い位である。それがこの飾らぬ、変わらぬ駅前の風情を生み出してきたわけである。
 静かな駅前通りを突き当たる寸前に一軒だけ、賑わいを感じさせる建物が見えてきた。現にそこへ向かう人の群れもある。これがこの旅での会津最初の食事処となった「牛乳屋食堂」だった。この辺りでは知られた店のようで芸能人も多数訪れている様子だ。

(第1日昼食) N06-004(第161号) Bセット@牛乳屋食堂 →
<Bセット(半カツ丼とラーメン1人前)> ¥1,050(込)
単なるソースカツ丼ではない、ソースで煮込んだカツ丼を初めて食したのだが、結構ソースの風味が強烈に染み付いているものだなと感じた。醤油系統の割下のような、穏やかさと云うものは無い。中国人直伝と云うラーメンの麺は太く、ストレイトな趣がして特徴的だ。牛乳付なのは、流石牛乳屋と云った風情を醸成している。素晴らしい。
形状→★★★★☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★★☆
 静かな場所にやってくると、時を刻む感覚と云うものを物凄く覚える。しんしんと降り積もる雪のように、穏やかに、しかし着実に時と云うものは積もるものなのだなと感じる。これは都会では決して味わえない心地である。都会では周りの物すべてがどんどん次から次へと流れ去ってしまって、後には塵と埃しか残されていない。時として時を覚える時、決まってそこは静かな里に佇んでいる時だ。変わらないものにこそ、時と云うものを感じる。変わり過ぎてしまうと恐らく、その断絶感故に時を感じることもないのだろう。2012年暮れの降り積もる時を、私は眠り続ける「駅猫」と共に、刻んでいった。ものの10分15分が、永遠と連綿に降り積もるように感じられた。
 鉄道と云うものは時を刻む番人である。鉄道を全く利用しない人でも、通過する列車の音を時計代わりにすることは少なくない。文明とは、時を支配する営みだ。やってきた列車には、この鉄道の一般的車両が使用されており、ローカル線らしくボックスシートが用意されていた。そして思った。会津は柿だらけなのだなと。そう云えば、芦ノ牧温泉駅前の住宅にも、干し柿が吊るされていたことを思い出した。

七日町(なぬかまち)
 じきに列車は会津若松の市街地に入っていった。そしてあともう一息で、もう一駅で会津若松に到着と云うところで再度、私は列車を降りた。七日町と云う若松の街なかにあるその小さな駅にはしかし、妙に色気のある風格が漂っていた。わざわざ下車したのには、もちろん理由がある。
 駅舎の中は小奇麗に改装されていて、洒落た雰囲気のカフェが入居しているのだ。だいぶ時間は経ったが、ここで食後のお茶をゆっくり愉しもうと思っていた。
 カフェの一角には…と云うよりも店内全体に亘っておびただしい量の食品や小物類が置かれている。見るからに目移りして飽きが来ない。これなら、もし、ぼんやりすることに疲れてきても、刺激的で心地良い。
N06-005(第162号) プレーンスコーン(食工房) → N06-006(第163号) そばマフィン(食工房) → 
N06-007(第164号) ココリス(食工房) → N06-008(第165号) 会津のたまごぱん(オノギ食品) →

(第1日八つ) N06-009(第166号) 会津坂下・やまひろファーム特製アップルキャラメルジャムのケーキ 飲み物付@駅Cafe.(七日町駅) →
<会津坂下・やまひろファーム特製アップルキャラメルジャムのケーキ 飲み物付> ¥500(込)
ぴゅぴゅっと、ねっちりと、ジャムが入り込んでいるパウンドケーキは、生地も引き締まってきて美味しくなる確率も上がってくる。異質なものが入り込んでくるとアクセントになって飽きにくい。加えて、デコレイションされたりんごやホイップの存在がハルモニアを引き立てる。
形状→★★★★☆ 風味→★★★★☆ 総合→★★★★☆
 窓の外には七日町のホームが見える。会津若松で折り返した会津鉄道の列車がゆっくりとホームに進入して、ゆっくりと離陸していった。「アイヌネノアンアイヌ」と云う小さな頃に記憶された言葉が脳裏にこびりついて離れない。私は今回、旅の間ずっと思っていた。この時の積み重なり方は「アイヅネノアンアイヅ」なのだと。これが人間らしい平和な日常と云う時の積み重ねなのであると。
 そして私にも離陸をする時がやってきた。そうは云っても、たった一駅だけの小さな旅路に過ぎないが。見ればJR只見線の、昭和のディーゼルカーがやってきたではないか。七日町は只見線の駅なのだ。会津鉄道はこれに乗り入れを行っている立場となる。

会津若松(あいづわかまつ)
 会津若松は流石に大きな町だ。駅も一大ターミナルの様相を呈している。この駅は郡山と新津を結ぶ磐越西線の途中駅となっているのだが、磐越西線はここでスイッチバックを行う構造となっていて、線路の一部は行き止まりとなっているから、途中駅の雰囲気は甚だ希薄である。磐越西線の大半の列車は会津若松を始発・終着としており、磐越西線郡山方面・新津方面・只見線・会津鉄道線の都合4線が乗り入れている恰好だ。
 駅には会津を代表する民芸品の赤べこがユニークな顔をして色んなところで躍っている。赤べこをモチーフにしたマスコットの「あかべぇ」だ。駅だけでなく列車にもペイントされている。
 会津若松駅は中心部から若干離れた位置にある。駅は物流の拠点だったから広い土地が要る。現在の磐越西線には貨物列車が走っておらず、トラック便による代行輸送が行われている。が、駅の脇には、貨物用のホームがそのままの形で残されていた。
 貨物を完全に自動車に奪われた以上、頼みの綱は旅客と云うことになるが、ここでも高速バスの攻勢の前に苦戦気味だ。流石に東京までとなると幾ら相手が格安でも新幹線擁する鉄道の方が優位だろうが、郡山辺りであれば、バスの方が便利で快適かもしれない。JRも昔の特急車両を使った快速を走らせたりして対抗してはいるのだが。
 ところで私は雪を踏み締めに会津へとやって来たわけだが、会津若松駅前は除雪が行き届いているのか、北海道張りにヒーティングでもしているのか、兎にも角にも積雪が基本的には無い状態であった。雪自体は、気まぐれのように降ってはいた。しかし余り積もりそうには見えない降り方に思えた。
 市内中心部の積雪は、ほぼ無い状態である。この様子からすれば、駅前がカラッカラだったのも除雪と自然乾燥に因るものだったのだろう。伝統ある地域の中心都市、そして観光地としても名高いものがあるにも関わらず、中心部から遠くない位置に東山温泉が控えているために、これと云ったシティホテルが会津若松には無い。このワシントンホテルが恐らくは一番手と云うことになるのではなかろうか。視界からちょうどマンションが外れてくれたお蔭で眺めはなかなか良好である。
 休息の後、ホテルから程近い菓子店へと向かった。何か独特な匂いのする店頭風景だが、この店の商品にも郷土に因んだ面白いものがある。隣町の名物・喜多方ラーメンを模したケーキが存在しているのだ。昔懐かしい食品サンプルのような趣だが、これが食べられるのである。

N06-010(第167号) 喜多方ラーメンケーキ(太郎庵) →
 それから近所をぷらっと散策したが、何てことのない素の街角の風景に勝る面白いものなどないものだなと改めて実感した。会津若松は観光都市ではあるのだが、この素朴な日常を映し出す景観ほど素敵なものは無いのだ。素の美しさに敵う者なし…だから素敵なのである。
 旅先の愉しみ、それはNHKを始めとする地元ニュース番組を眺めること。「はまなかあいづ」と云うシンプルなネーミング(=浜通り・中通り・会津)に仰天しつつ、震災を機に所縁の深い福島に異動した伊藤アナの姿・声を、久しぶりに視聴した。もうすぐ2年が経過するがやはり、原発事故絡みのニュースが盛り沢山の状況である。放射線量一つ取っても、会津は浜通り・中通りとは全く違った様相となっているが、市内には原発避難の大熊町の出張所が設けられている他、仮設住宅が多数建設されている。

(第1日夕食)
N06-011(第168号) ソースカツ弁当@会津若松駅(ウェルネス伯養軒郡山支店) →

N06-012(第169号) 会津のおばあちゃん@会津若松駅(ウェルネス伯養軒郡山支店) →
<ソースカツ弁当> ¥800(込)
ソースカツだから予めソースが掛けられた状態だが、更にソースは別添えでも控えている。カツの下にはキャベツが隠れていた。生ではなく茹でられた状態であることが、駅弁らしさ炸裂と云ったところか。
形状→★★★☆☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★☆☆☆
<会津のおばあちゃん> ¥1,000(込)
孫として云いたくなるだろう…おばあちゃん、これ食べ続けていたら寿命縮むよと。味付けが濃い。甘くてしょっぱい。特に棒鱈の煮つけなどは。郷土色を感じさせる幕の内弁当として良く出来ているようには思うのだが。
形状→★★★★☆ 風味→★★☆☆☆ 総合→★★☆☆☆
→第1日旅程→
浅草 8:00 →東武伊勢崎(スカイツリーライン)・日光・鬼怒川線 特急きぬ103号(1103)→ 鬼怒川温泉 9:58  
鬼怒川温泉 10:01 →東武鬼怒川線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線 快速AIZUマウントエクスプレス号(3111→3112D)→ 芦ノ牧温泉 11:41
芦ノ牧温泉 12:55 →会津鉄道会津線・JR只見線 普通(2314D)→ 七日町 13:24
七日町 14:23 →只見線 普通(428D)→ 会津若松 14:27
 1 →第2日→
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as of 2012.12 / uploaded 2018.0225 by 山田系太楼どつとこむ

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