6憩 イヅネノアンアイヅ -

島県津若松市- 第2
第1日
会津若松(あいづわかまつ)
 目覚めると、朝日を浴びたアイヅネノアンアイヅは、うっすらと雪化粧していた。

(第2日朝食)
N06-013(第170号) 朝食ヴァイキング@会津若松ワシントンホテル →
<朝食ヴァイキング>
このホテルの朝食で最も思い起こされることは、「バナナの姿造り」である。この大胆さは、その血色の悪さと共によく覚えている。血色が悪いと云うことは、甘く熟れていたと云うことでもあるのだが。一品一品のレヴェルは比較的高い。堅実にまとまっている印象がある。
形状→★★★★☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★★☆
 ホテルの部屋から良く見えたこの大きな建物は、会津バスのものだと云うことが分かった。そして確かにこの街は、街歩きには最高の場所だ。素晴らしく味わい深いストリートよ。この何の変哲もない素敵さと云うものを、風土そのものを愛でる人が増えれば、日本の観光は万々歳だ。
 ストリートの趣に何となく水戸っぽさを覚えていたら常陽銀行が現れてびっくりした。しかし威厳ある門構えの土地建物をファミリーサポートセンターとして使っていたり、このジグザグ感などは城下町である。水戸からは「ザ・城下町」と云う趣が余りしてこないものだが。
 ホテルの前から続く道をそのまま辿って歩いていると、ヨーロッパの広場を思わせる建物が正面に立ち塞がった。辺りは昭和40年代にタイムスリップしたかのような世界だ。加えてそれが現役の市役所なのだと云うのだから、素晴らしさ倍増である。
 鶴ヶ城に近付くにつれ、空間が次第次第に広々と顔を覗かせてきた。こうして都市の威厳が徐々に醸成されてゆく。やはりこの町には、県庁所在地の風格がある。会津県でも若松県でも、独立した県になっていたらどんな未来が描かれたのだろうか。
 しかし「ならぬことはなりませぬ」は、どこに行っても目に入る。これはもう、宗教だ。事実、頭ごなし、有無を云わせぬ姿勢は、宗教原理主義そのものだ。本来、宗教と云うものは真理の探究である。教育と云うものも、その答は何故か、理由を問うものだ。そう云えば以前、ムスリムの知人が「決まりだから」と云って、或る菓子に洋酒が使われているかどうか矢鱈と気にしていたことがあった。が、しかし、ムハンマドが…より正確にはイスラムの神が何故飲酒を禁止したか、その心が分かれば、料理の風味付けの類を気にすることなど全くない。「ならぬことはならぬ」では、どうにもならぬ。なるほど、あの猛々しくも瑞々しかったイスラム文明が衰退してしまったのも自然の流れだったと思ったものである。
 ま、しかし、この「ならぬことはならぬ」会津精神と「目的のために手段選ばず」の長州精神の融合によって、近現代の日本を支配する精神と云うものが形作られている。幕末維新に敵味方同士だった精神がそっくり奇妙な融合を遂げてしまったものだから、ジェットコースターのような掌返しがまかり通るのもマァ、当然である。
 鶴ヶ城を訪れるのは二度目である。博物館になっている城の中を巡りながら、城と云うものにはこう云う使い方があったものかと妙に感心したことを覚えている。
 城を去って街に戻ると、現実に引き戻された気分になった。天と地と…と云う言葉がしっくりとハマる。今の私は、先程天守より眺めたミニチュアの一構成要素に過ぎない。天からの眺めは確かに壮大で美しいものがある。しかし地を這う営みの艶かしさもまた捨て難いものばかりだ。身命を賭して、神明通りは、会津若松のメインストリートである。
 神明通りの中心部には若松で創業し、福島の他、新潟や栃木にも進出している「リオン・ドール」と云うスーパーが鎮座している。元々はライオン堂と云っていたものを、CI導入に伴い、リオン・ドールとラテンな響きに改名したものだ。特に「堂」を「ドール」としたところにセンスを感じる。そうすると会津若松と喜多方の間にある磐越西線の駅・姥堂は、「ウバ・ドール」になるわけだ。嘗て会津を治めた蒲生氏郷の洗礼名がレオだったから、リオン・ドールは、なかなか似合っているネーミングであるようにも思う。核店舗が存在することで神明通りは何とか多少の賑わいを保っている。核のある中心市街には公共交通機関が強い。会津バスの営業所がすぐ隣に待ち構えて、互いに集客役として一役買っている。
 他方、その目と鼻の先に、一面のシャッターが風に吹かれた寂しい空間が待ち受けていた。2010年に閉店した会津唯一の百貨店「中合」の夢の跡である。火の気のない家の侘しさが漂っている。核店舗の動向一つで右にも、左にも、中心市街は変わるものである。旧中合の建物は年明け早々から解体工事に入るようだ。最近の傾向からすると、商業施設なども併設された高層マンションにでもなるのだろうか。
 「北大進学会」が東北では「東北大進学会」になるのかと思ったり、「本は心のゆとり」と云うフレーズを見て、「本屋は街のゆとり」なのだろうなと思ったりしながら、一路北へ向けて歩き続けた。
 郊外の鄙びた田園風景になりかけたところで、すっきりと整備された一角が現れた。会津大学である。会津唯一の大学でコンピュータ理工学部のみの単科大学だ。
 なぜ会津大学までやって来たか、それは「ソースカツ丼マップ」にここの学食が紹介されていたからである。当時の私は、学食巡りを趣味にしており、それなら是非とも学食のソースカツ丼を頂戴したいと思ったのだ。

(第2日昼食)
N06-014(第171号) 会津ソースカツ丼@会津大学食堂 →
<会津ソースカツ丼> ¥440(込)
お品書き的にはド真ん中に配されており、正しく看板メニューであると云えよう。何気に本品が、私の会津に於ける普通のソースカツ丼第1号と云うことになった。カツがぺらっとした趣であるのは、仕方のないところである。安さ一番の学食なのだから。しかし溢れんばかりに、カツがハミ出ているさまなど、フォルムとしては美味しい。
形状→★★★★☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★☆☆
 進んでいたところが遅れて、遅れていたところが進む…そう云うことは、よくあることだ。遅れていることに対して、これは不味いと気付き、がむしゃらになって脱却しようとした瞬間から、イノベーションは起きる。あとは小さな島の中で起きた変化を、もっと大きな島へ、全体へと、どう波及させるかだ。そこで「手段を選ばず」と「ならぬものはならぬ」の上意下達が手を取り合うと、非常に強力な対流と成るのである。
 朝時分には、ただ眺めていただけで捉えどころのなかった市街地が、こうして一日歩き回って暮れる頃には、糊が落ちかけたシャツのように柔く微笑みかけてくる。そこに物語が流れていることを感じる。そして夜は、その物語性を最も覚える時の連続でもある。酒とも、女とも、縁遠くとも、夜は街の供である。

(第2日夕食)
N06-015(第172号) 桜ソースカツ定食@桜鍋吉し多 →
<桜ソースカツ定食> ¥1,260(込)
桜だから馬である。馬のソースカツとはレアだ。それならウマいと行くのか…これまたレアなのだ、肉が。やはりそれだけに馬肉の風味はカツ化してもなお、割と濃厚に残り、そしてやけに硬い肉質だったことが印象に残っている。伊達にトンカツは、トンカツをやっていたわけでは無かった…のである。
形状→★★★★☆ 風味→★★☆☆☆ 総合→★★☆☆☆
 八つの重なった人生の内、一つ目と二つ目辺りをこねくり回して永続化したところで、終の棲家に辿り着くことなど出来やしないであろう。物語とは心の中に流れるもの。それを大々的に表沙汰にすることは、騙り物となるだけである。それがアイヌネノアンアイヌ、人の性と云うもの。そして心地良く今宵も眠りにつく。そのためにだけ、生きている。
(第2日夜食)
N06-016(第173号) 手作りロースのソースカツ重(リオン・ドール) →
  N06-017(第174号) ピザトースト(ホームシェフコンプリート) →
<手作りロースのソースカツ重> ¥498(込)
味が濃くてソース感には濃密なものがある。流石にカツの肉質は余り良い感じはしないけれど、御飯と一緒に勢いで食べられる雰囲気は湛えている。キャベツが甚だしょぼい。
形状→★★★☆☆ 風味→★★☆☆☆ 総合→★★★☆☆
<ピザトースト> ¥150(込)
兎に角、枝豆のトッピング具合が凄い。多過ぎてバランスを欠いている。お蔭で、トマトソースの薄っぺらい風味が掻き消されている点は評価することが出来るのだが。割と具沢山でパンの厚みもそこそこあり、ねっちりと仕上がっている。
形状→★★★★☆ 風味→★★☆☆☆ 総合→★★★☆☆
→第2日旅程→
終日会津若松市内滞在  
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as of 2012.12 / uploaded 2018.0226 by 山田系太楼どつとこむ

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