7憩 ート371 -東海道鰻遊記-

岡県津市/川市- 第1
 2012年1月。私は小田急町田駅に居た。小田急と云えばロマンスカーである。ロマンスカーと云えば箱根である。しかし数あるロマンスカーの中で私が最も好きなタイプは「JR」のもので、その行先は「沼津」なのであった。
 ところがこのJR車両371系によるロマンスカー、そして沼津行きのロマンスカーがこの3月に廃止されることになってしまった。そこで無くなってしまう前にこの変わり種のロマンスカーに乗って、その活躍ぶりを拝察することとしたのである。
 371系を一言で評すると「デカい」、これに尽きる。兎に角、図体がデカい。実に堂々としている。それもそのはず、中間の2両がダブルデッカー仕様なのである。そしてその2階部分がグリーン車になっている。グリーン車は北海道や九州同様に3列シートで、2階だから多少の圧迫感はあるが眺めは良好、広々としている。展望車窓で名高い小田急ロマンスカーだが、展望席を除くと実はさほど窓は大きくない。371系の普通車両の窓は、ロマンスカー随一の大きさを誇り、ダブルデッカー車の大胆なデザインと共に、その図体の大きさを大いに引き立てている。
 町田から小田急の線路を走り続けてきたロマンスカーだったが、新松田の手前で遂に小田急の線路に別れを告げて、JR御殿場線に続く連絡線へと進んだ。この連絡線は沼津との間を結ぶロマンスカーの他に、新車を車両工場から小田急に搬入する際などにも使われている。
 沼津行きロマンスカーは3月で無くなるが、御殿場線直通ロマンスカー「あさぎり」号自体が無くなるわけではない。「あさぎり」号は、御殿場行きとして存続する。小田急から御殿場線への乗入れは戦後間もなくの1950年に遡る。区間は御殿場までであった。それが1991年に沼津まで延長されて、小田急の車両だけでなくJR東海の371系も導入されたのである。3月のダイヤ改正以降は再び91年以前の状態に戻るだけとも云える。それではなぜ折角の沼津までの延長運転を取り止めるのか…JR東海が小田急の線路を使ってJR東日本の本社所在地・新宿に乗り込むさまは画期的なことですらあったのに…それは「利用低迷」の一言に尽きるだろう。
 本厚木到着時点でグリーン車から人影が無くなった。或いは一人位は居たかもしれないが、御殿場到着時には完全なる貸切状態となった。普通車も似たり寄ったりである。御殿場から先はほぼ空気輸送で、終点沼津到着時の乗客数は、辛うじて二桁を少し超えた程度に過ぎなかった。
沼津(ぬまづ)
 沼津に到着すると向かい側のホームには、東海道本線の静岡方面行き列車が待ち合わせている。私も以前2回ほど、このルートを使って旅したことがある。しかし乗換客は今回、何と一人も居なかった。沼津のホームには熱量に乏しい空気だけが漂っていた。
 利用低迷の原因は色々あるだろう。先ず、バブルが弾けて不況が深刻化した。また官庁を巡る汚職事件も多々明るみになって、接待需要が激減した。御殿場線沿線にはゴルフ場が多い。このゴルフ客の減少は痛かったはずだ。それから安さを求める層と速さを求める層の二極分化が進み、前者はバスに、後者は新幹線に以前よりも顕著に流れるようになったこともあるだろう。但し、都内各所と沼津とを結ぶバスの便は、人口20万の都市規模の割に、さほど多くはない。つまりはバスに食われて需要が激減したわけでもなさそうなのである。したがって沼津自身の求心力・都市力の低下が進行したことが第一の原因であるようにも感じられる。
 もちろん、新幹線駅を擁する隣町・三島の台頭…このことが決して無視することの出来ない要素と云うことになろう。更には人口で沼津を上回るに至った工業都市・富士市の興隆もある。沼津はこの二つの都市に挟まれてしまっているのである。新幹線の駅は、沼津にだけ無い。だからこそ沼津発着のロマンスカーが誕生したのだとも云える。しかしそれも物にすることは出来ず仕舞いであった。
 伝統的に静岡東部第一の都市は沼津であると見做されてきたが、三島と富士の勃興はこの座を危ういものとさせつつある。しかし流石は近代都市として歴史を刻んできただけあって、西武と富士急、二つの百貨店を擁する駅前の賑やかさは、この二市を優に上回る。
 しかしこれもよく見てみると、例えば富士急百貨店については殆ど開店休業状態であり、昔日の繁栄の名残を我々に見せつけているかの如きものとなっていた。
 しかし狩野川沿いの空間を眺めながら、なるほど、と感心せずにはいられない。静岡東部を代表する都市としての風格を十分に感じさせる景観が展開されていたからである。人口20万と云えばちょうど甲府と同規模だが、県庁所在地でもおかしくはない趣に包まれている。
 沼津と云えば御用邸の存在も忘れてはなるまい。ここは海の那須だったのである。商業都市であると同時に、帝都東京の保養地としても賑わった沼津。海と川の存在がこのような繁栄へと導いてくれた。しかしそのために軟弱な地盤だったことが、新幹線通過を忌避させて、今日の衰退の元凶にもなった。「塞翁が馬」は、都市に対しても云える事柄である。

(第1日昼食)
N07-001(第191号) ハヤシライス@千楽 →
<ハヤシライス> ¥700(込)
半熟系オムライスのように、もこもこっとしている。頬肉をほぐしたような趣で、筋っぽくなく、ごりごりしたりこりこりしたりの感覚が無い。柔らかくて非常に滋味深い。デミグラスソースは浅草グリルグランドのツンツンした風味を1/2〜1/3程度にマイルドに抑えた感じ。温かみと上品さがうまいこと融合している。
形状→★★★★☆ 風味→★★★★☆ 総合→★★★★★
 食後、街なかの住宅地を港へ向かって南下した。ニッポンのふるさとの光景と云うと、農村風景ばかりがクローズアップされがちだが、この都市の時代にあって、街なかの住宅地の風景もまた、或いは農村以上にふるさとの光景に似合うものだと感じる。初めての道なのに、昔何度も通った感覚に襲われた。
 港にはタクシーが待機している。この港が現役であることが伝わってくる。ここから戸田(へだ)まで定期船の便がある。離島でもないところに船便が設定されているのは今や珍しいことだ。港には高速バスのバス停が設置されてもいる。交通の結節点として港が機能しているのである。しかしそれは定期船を始めとする日用の糧によって維持されているわけではない。港一帯が一大観光スポットとして整備されているのだ。沼津は東京にも轟く寿司ブランドの地位を確立している。
 沼津港周辺の施設の中でも殊に「港八十三番地」は、面白い。テーマパークのようなノリで横丁が整備されているだけではない。奥には深海水族館と云うものがあるのだ。
 深海水族館ながら深海の特徴を知るためにも浅い海の展示も併せて行われている。ハリセンボンが2種類存在したとは知らなかった。なるほど、このような展示を見れば、知られざる深海の姿と云うものが奥底から浮き立ってくる。しかしここの売りは何と云っても、冷凍シーラカンスの展示である。
 沼津は寿司の町だが昼が洋食屋だったせいだろうか、生ではなくフライにしたらシーラカンスはどんな味がするのだろうか、美味しいのだろうかと、ふと思った。世界的な魚であるシーラカンスの展示に力点が置かれているものの、駿河湾の生態を再現する等、身近な環境への関心喚起についても怠りが無く、施設面積の割に充実した印象を抱いて退出した。
 寿司を食べるには未だ腹が空いていないし、沼津港で寿司と云うのも芸が無い。寿司が幅を利かせる港の傍に佇むあんぱん屋と云うのもなかなか風情があってイイものだ。

N07-002(第192号) チーズクリーム(恵比) → N07-003(第193号) こしあんぱん(恵比) →
 駅への帰り道にもってこいの散策路がある。昔は貨物輸送の大動脈も鉄道だったものだ。沼津港へも東海道本線から貨物線が延びていた。1974年に廃線となった後は、遊歩道になっている。よくある廃線跡のパターンだ。しかしこの遊歩道…蛇松緑道…の素晴らしさは、完全無欠に整備されることなく、レールが残されている点にある。流石はシーラカンスの町だ。この生きた化石精神は素敵である。
 しかしながら残りの大部分の区間ではガチガチに整備されてしまっており、確かに雰囲気は悪くないのだが、メモリアルな趣に薄い状態となっていて、最初が良過ぎただけに若干がっくりと来てしまったことは否めない。
 廃線跡としてではなく、普通の遊歩道として見た場合、蛇松緑道はマァ、なかなかの雰囲気のものだった。もちろんその道の魅力と云うものは道そのものだけで生まれ出るものではない。この町の色んな街並みと云うものが情趣あるものであるから、道の良さも引き立つのである。
 宿泊先は「沼津グランドホテル」と云う格式ばった名前だが、何のことはない普通のビジネスホテルである。ただ、このホテルが伊達に「グランド」を名乗っていたわけではないことは翌朝、思い知らされることにはなるのだが。そのことは色々な所に泊まってきた中で初めての経験であった。
 そしてご当地NHKニュースを愉しんだが、なかなか面白い天気予報だった。中部地方の天気予報と云うものを初めて見たが(以前、愛知や岐阜に滞在した折に見たことはあるはずなのだが記憶には残っていない)、東京と大阪に挟まれて正に真ん中に位置している地方である。更には静岡の詳しい天気予報の中でも、三島と富士に挟まれて沼津の存在が喪失しているのは、気掛かりであった。ロマンスカーが新百合ヶ丘と相模大野に停車して、間の町田は通過するのと同じだなとも思った。有力者に挟まれて存在感を失うか、それとも有力者に挟まれている立地性を活かしてそれ以上の主役となるか…激しい綱引きが続けられることになるのである。

(第1日夕食)
N07-004(第194号) 伊豆の思ひ出 文士の玉手箱 夏目漱石編@沼津駅(桃中軒) →
<伊豆の思ひ出 文士の玉手箱 夏目漱石編> ¥1,050(込)
洋風弁当だが、これも漱石の嗜好を反映したものらしい。そんなわけで本品は何気にステーキ弁当なのである。駅弁でステーキと云えば、ゴージャス&デラックスなものと相場は決まっているが、本品に関しては非常に売店同様にコンパクトに収まっている。肉は柔らかい。御飯はピラフ。ステーキの下に半分隠れているのは、駿河湾真鯛のけんちんフライである。これがおかずの中では一番美味しかったように感じた。
形状→★★★☆☆ 風味→★★★★☆ 総合→★★★★☆
→第1日旅程→
町田 10:51 →小田急小田原線・JR御殿場線 特急あさぎり3号(3M)→ 沼津 12:18  
 1 →第2日→
東美餐珍帝國風土記目次
as of 2012.01 / uploaded 2018.0309 by 山田系太楼どつとこむ

©山田系太楼 Yamada*K*taro