夜景評論家丸々もとおさん
2003/11/12@立教大学
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夜景評論家・丸々もとおが愛する夜景スポット

---今までで一番印象に残っている夜景とかあります?

---あ、それ聞きたいなあ(笑い)。

「あー、それはねぇ、まあ・・・いや、さっきねぇ、わたしコンビニって話したんですけど、新潟の寺泊とか出雲崎っていう町にあるね、良寛記念館っていうところがあって、良寛記念館のちょっと高台になっている・・・で、その下にも神社があるんだけど、神社とかね、良寛記念館の高台から見下ろす出雲崎の街並みとね、荒れ狂う日本海の冬の夜景っていうのはね、最高なわけよ。これ、漁火じゃないんだけどね。で、漁火だったらね、新潟のね、例えば弥彦山っていうスカイラインがあって、スカイラインから見るね、やっぱり出雲崎とか寺泊の日本海に浮かぶ・・・ぽんぽんぽんと列をなして浮かんでいくような、夕方のね・・・夕刻から夜にかけて、染まりゆく日本海の中で浮かぶ漁火っていうのが結構好きで」


「で、もっと俗っぽくいくと、例えば全日空ゲートタワーホテルっていうところの、「スターゲート256」っていう・・・もしくは部屋でもいいんだけど関西国際空港の夜景で、関空のスターゲートブリッジの手前にこういう大きなゲートタワーホテルが建って、で、そこのお部屋から見る関西空港の夜景なんだな・・・これがあの、凄く好きなんだ。海に向かって走っていく橋が突き抜ける・・・ズドーンって。部屋のね、デスクがあってさ、こういうところに座って見てると、それが眼の前にこう、見えるわけよ。で、これがね、見てるとね、ポッと気付いたら朝になってるっていう。ズーっと見てる。で、やっぱりね、黄色とオレンジ色の光る橋なわけよ・・・ブルーの、その海の中に。これね、コントラストでね、空とか海とか青く見えるし、逆にあの、オレンジ色のほうは際立つし・・・っていう感じの暖色と寒色のコントラストなんだけど、飛行機が飛び立つとかって全然関係なくって、ただこの夜景自体を見てるとね、ホントにね、もう・・なん・・・眠れなくなる。やっぱり日本中の中でも、こんなの見れるのここしかなくって。もう日本でいえば、そういう夜景かねえ。でもやっぱり夜景の場合って、そういった質問よくあるんだけれど、やっぱり・・・。ね、例えば好きな女の子と別れた(ときの)夜景って、嫌な夜景になったりとかするわけじゃない?」

---一同笑い

「例えば、今、関空のね、その部屋で女の人と別れ話になったら、次ここ来る機会があったとしても、関空の夜景ってたぶん、言わないと思うんだよ」

---一同笑い

「結局、そういうなんか、日々、夜景の裏側にある思い出みたいなものとか、うーん、なんかそういうものに引きずられながらね、自分の中の一応ベストな夜景っていうものが決まってくる気がしてて。新潟の寺泊の神社っていうのがなぜかっていうと、わたしはね、なんか父親の温かみっていうか強さを凄く感じた場所でね。学生のやっぱり大学時代のときに、新潟にガイドブックの取材に行ってね、そのときにあの、階段の上にいたわけですよ。で、父親と一緒にこう、いたわけだね。で、出雲崎の街が見えてて、で、突風が吹いたのね・・・バーンと。で、わたしがね、階段からちょっと転げ落ちそうになったんだけど、そのとき俺の腕を掴んでくれたのが親父だったのね。あれ、掴まれなかったら、かなり大怪我したと思うんだけど。だからそんときにね、父親の強さっていうかね、親のなんかこう、愛みたいなものがね、妙にこう、グーンって・・・寒い場所なんだからなおさらなんだけど、熱く入り込んじゃって、そのとき見た夜景っていうのが凄く綺麗に見え・・・ちゃったんだよね。だからたぶんそういう、わたしの中のベストな夜景って、これはこの先も変わらないのかなっていう気がするんだけど、まぁさっき言ったようなところにはそういう理由があって。だからちょっとね、フォルム的な美しさであったりとか、その色彩の数だったりとか、なんかその、ね、伝統的文化的な、例えば裏付けがあったりとかっていうことの価値・基準で夜景を推し量っていくだけではなくて、なんかわたし的には、どっちかっていうと、そういう思い出とかね、自分のその、そういう裏にある記憶みたいなところとも関連した中で、一番ってここなのかしらとかね・・・結構」


「まぁ、仕事の場っていうかね、雑誌とかで関西ベスト5を決めて下さいって言われたときには、「まぁ、じゃあこういうところにしておこうかな」って話はするんですけど(笑い)。あの、ま、こういう場ではもうちょっとプライベートな感じで。とにかくレストランとかホテルとか、語り始めればね、どんどん・・・例えば東京なら、例えば竹芝のホテルインターコンチネンタル東京ベイのね、18階の01タイプの部屋でバスビューで・・・ベイビューでね、バスビュールームのお風呂にお湯を入れて、10時55分に浸かってですね、11時に新島に向かう船がボーっと竹芝を離れてレインボーブリッジを渡っていくさまっていうのがわたしは好きなんですよっていうことを言ってもですね、やっぱり「あー、それはねえ(笑い)」みたいな。細かすぎるな。でもねそういう感じのね、瞬間瞬間で、結構夜景って見てるんですね。で、たぶんこういうのが逆にね、また、価値になったりとかしてて、人が体験できないことを・・・例えばこういう話をまた同じように次の2時間ぐらい渋谷で話すわけなんだけど(笑い)、まぁそんな感じで、そういうことで結構、そういうときのリラックス感っていうのは、やっぱあるんだなっていうことで受け取ってもらえれば、それはそれでよかったし。なんか、そんな見方で見てて・・・まぁそんな感じなんですけどね」


夜景文化後進地・東京

---今、夜景の需要が上がっているみたいなことが書いてあったんですけれども。

「あー、はいはいはい」

---どういう・・・どういうのがあるのかなっていう。

「それはね、整理していくと簡単なんだけれども、結局ね・・・そうね、この話をしてなかったんだけど、日本で一番・・・これ結構意外なんだけどね、都市としては夜景の文化って東京が一番遅れてる。夜景の鑑賞文化っていうのは、東京がわたしは一番遅れてると思う」

---それは日本のほかの県(と比べて)という意味ですか?

「あのね、都市の中でね。だから、なぜかというと、わたし一番高いのは関西圏だと思ってるんだけど。あの、やっぱりね、夜景ってね、さっきのわたしのあの、住宅街から育っていった・・・で、大パノラマ見て感動したっていうことっていうのがあるんだけど、結局、関東って山、無いでしょ?」

---あー、そうか!

「凄くそれって大きいことで、わたしが東京にいて一番苦労したのは、結局夜景見るとなるとね、サンシャインのスカイデッキ上るとか、東京タワー特別展望台に上る。もしくは今で言ったら、六本木ヒルズとか。まぁ当時でいえば、新宿のNSビルとか住友の三角ビルだとか。そういうところに上らなければ、夜景って見れないっていう。で、つまり夜景って見れないって言ってる傍から、その夜景っていうものは、パノラマ的に夜景を見るっていう価値が、そういうところにもそこそこ生きてきたっていうのが、東京のパターン」


「ところが関西の場合っていうのは、水辺があって・・・水辺もね、東京よりも工業地帯があったりとかっていうことが密集してて開発されてるんだけど、山があるんだよね。例えば大阪だったら五月山とか生駒山。で、神戸には当然、六甲っていうのがあって。でね、小さいときからね、お父さんとかに連れられてね・・・向こうって坂が多いからクルマ文化でしょ? だからね、クルマに乗ってね、六甲山牧場行ってね、チーズ食べてね、で、帰りがてらにね、夜景見ながら帰ったりとかするわけ。で、向こうに行くとわかるんだけど、関東で・・・じゃあ例えばこういうサークルとかの活動終わった後にね、「じゃあ、これから夜景見にいこうか?」とかって・・・授業終わった後に「夜景でも見にいこうか」って言うヤツなんてたぶんひとりもいないと思うんだけど・・・かなり少ないと思うんだけど、関西ではね、割と言うの。「夜景行こっか」とか「山、登ろうか」っていう言い方をするわけよ。日常的に。・・・っていうぐらい彼らっていうのは、土地から受ける環境っていうのが凄く大きくって、小さい頃からやっぱり高いところから見下ろしたりとか、低いところから山を見上げたりとかいうことっていうのは、凄く慣れていたのね。でも東京の場合っていうのは、そういう施設に上らなきゃ見れなかったじゃない?」


「東京が、夜景がこれだけ一般的になったっていうのは、1995年ぐらいからで。それは、例えば横浜夜景のベイブリッジが完成したりとか、お台場ができて、レインボーブリッジが完成したということ。で、今、お台場に行けば、みなさんも行ったことがあると思うからわかるけど、普通に海抜の0メーターとか・・・お台場海浜公園とか潮風公園とかね、例えばそういった、施設でも2、3階レベルでね・・・例えばヴィーナスフォートとかあの辺の商業施設から普通に歩いてて見上げるような、東京のその、レインボーブリッジとか東京タワー・・・やっぱり出てきてるわけで。そうやってね、下から見上げるところから、夜景ってね・・・東京の場合ってね、凄くメジャー化して、年齢層が拡がっていったっていう経緯がやっぱり、あるの。そういったところからね、夜景の鑑賞文化が遅れてるっていうのは、「下から見ても夜景なんだ!」。・・・六本木ヒルズとか東京タワーの、上から見るだけが夜景なんじゃないっていうところとか含めて、夜景っていうものが媒体なんかに取り上げられてきて、活性化してきたっていうのは、やっぱり95年ぐらいなんだよね・・・っていう流れがあって。ただ、日常の中にはまだ、根付いてはなくって」


「関西の人たちっていうのは、夜景っていうものが日常の中に結構根付いててっていうようなのがあって。こう、違いがね、凄くエリア性がある。例えば、広島と岡山は違うし。広島の人たちのほうが夜景好きが多くって、岡山のほうが夜景好き少ないの。なぜかっていうと、やっぱり山に登れる・・・普通の人がクルマ乗ってポーンって登れる山っていうのが、広島は多いんだけど、岡山ってなかなか登れる場所がないっていうか、結構道も狭くてね、険しい山が結構多かったりして、なかなかパノラマ的に夜景を見下ろせない。で、意外と街も暗い。広島はね、夜ライトアップしたりとか、丘陵地が住宅地として開発されて、その上の公園からとか夜景見てる人が結構いたりとかする」


「そういうね、立地的な特徴っていうのは凄く大きくて、全国的にもね、東京っていうのがいかにも夜景だっていうふうに言われているけれども、夜景を好きな人たちとか夜景を昔から愛している人たちっていうのは逆に地方の人・・・東北はイマイチなんだけど、地方の人たちっていうのは、凄く多い。それはね、例えば「夜景スタイル」っていうケータイ(サイト)の会員さんの分布かんかを見てもそうだし、例えば・・・データでも裏付けされてるんだけど、ホテルプランなんかをやっても、関西と東京、どっちが夜景好きが多いかっていうことで同じプランをやるでしょ? そうするとキャンセル率がほとんどないのが、キャンセル率が低いのがやっぱり関西なのよ。で、東京はね、やっぱりエンターテインメントがたくさんあるから、夜景見るだけじゃなくて、映画見にいったりとかさまざまエンターテインメントがあって、夜景は逆に通過点の上のひとつ、なんだよね。で、関西の場合は、夜景がひとつのメインで、記念日・誕生日の行事のひとつになっちゃうっていうぐらいで、やっぱり価値が少しはあるわけ。東京に比べては。だからほとんど夜景で、このプランを使って、このお部屋っていうの、何月何日って予約したら、関西の人っていうのは、ほとんどキャンセルしない。東京の人っていうのは、だいたい2割ぐらいはキャンセルするっていう、そういうのが例えば一年間ぐらいやってくると見えてきたりとかするわけ。っていうふうに、夜景の文化っていうのは急速にわかってきたし、変わってきてるっていうところがあって」


「東京はだから、逆にその、遅いんだけれども、都市の灯りであったりとかビルだったりとか再開発っていうのが著しいし、まぁ、いろんな資本っていうのがやっぱり入ってくるんで、いろんなお店ができるじゃない? だからこそ、東京では見れる夜景スポットっていうのは、たくさん生まれてきている。商業系の夜景スポットだけどね。そういうものがたくさん生まれて、情報誌とかネットを含めて、凄く膨大に話せる・・・そういったところで急速に文化として鑑賞するという行為自体が高まってきたっていうのが、ホントに90年代後半から2000年の現在にかけて、出てきたっていう流れなのね。だからこそ90年代の初頭とかね、例えば80年代の後半に夜景特集を「ぴあ」でやろうよってわたしが言ってもですね、「No!」って言われて。そんなんで客が来るかいみたいな、誰も本なんか買ってくれないよっていう時代がね、やっぱり80年代後半って凄くあったし。だから毎年毎年、こう夜景という眼でいろいろ見ていくとね、いろんなものが見えてくる・・・まぁ、ちょっと(質問の)答えになってるかどうかわかんないけど、まぁ結構面白い」


夢を叶えるために心掛けること

「だからわたしがやっぱり夜景をその、考えていくときには、そこの人の・・・なんか関わり方っていうのかな。ま、これもいろいろ見ていきたいなって思うものはやっぱりその、エンバイロメンタル・・・わたしが勝手に作っている言葉なんだけど、エンバイロメント・・・「環境」っていう言葉と、メンタル・・・精神性とか。ま、そういう掛けの言葉なんだけど。環境は、人の精神を作って、人の精神っていうのは新しい環境をやっぱり創造していくっていう関係性っていったものが地方に於いてどういうふうにね、形として現れているのかっていうところを見ていきたいなっていう気はしているけどね。関西に於ける夜景っていうものがね、人が生まれ育っていく過程の中で・・・成長していく過程の中で、どういうふうに関わって、どのように美的価値をね、例えば創造する手助けをしてたのか、役割を担ってきたのか。夜の景観が人の成長とか精神に与える影響力みたいなところってものも見ていくとですね、面白い・・・それぞれの地方特有のですね、性格とかアウトプットみたいなものが出てくるっていうふうに思ってるんですね。まぁ、追々そういうことを・・・そういうことガァーっと考えてるわけ、日常的に。これからやれそうだなって感じたらやっていくって感じで」


「まぁ、社会人ね、これからみなさんなっていくと思うんですけど、さっきの見極めていくっていうね、社会人になって何が自分にとって吸収できるのかっていう、見極めっていうのは凄く大切なことだと思うんでね。あと、社会人になってから5年経って自分を振り返るっていうことは、必ずやっぱりして欲しいなと思うし、これはリクルートにいたときにも、リクナビを使ってた人たちに結構、モニターとかいう繋がりでさ、そういう人たちをずっと未だに集まりがあって行っちゃ、いろいろ学生の人たちに教えたりとかしてるんだけど、やっぱりこう、つい働き始めてしまうと、自分が自分としてオリジナルの自分の人生を生きるためにはどうしたらいいかって漠然と考えながらも、なんとなく日常的な時間の中であっぷあっぷして、どんどん見失っていくわけよね。で、そのストレスで別なものに発散して、なんとなく自分を納得させようとしているっていう方向にもう、だいたい陥る」


「で、それは振り返るとそういうヤツは凄くたくさんいて・・・だってあんなに夢を持って「ぴあ」に入ったときにね、そのパーティーをやったときに、最初の仲間とか集まってきたらだいたいもう話していて、みんな夢を語るんだ。例えば、30歳になったらイタリアンの店をやりたいとか言ってるような女性がいたりとかね。みんなそうやって何かを持ってパーティーに集まってくるんだけど、結局ね、振り返ってみて、何百人何千人って会ってたんだけど、それが実現できている人たちっていうのはね、ホントにね、10人とかいないから・・・っていうぐらい、みんな、例えば結婚して家庭ができて、ま、それによって・・・それを理由にして、自分のオリジナリティーを棄てていくっていう人も当然いるし。べつにそれは悪いことじゃない。それで自分が納得していればいいんだけれども、ただ、あのとき熱く語ったお前の夢っていうのが本物であれば、今頃実現していてもおかしくはないってことは、凄くたくさんあったのね。で、そうやってその、大学を卒業して、社会人になっていろんなもの吸収して、夢を持った人たちっていうのは、強く持っていても・・・強く持っていても30になったら、その想いが続いてるヤツってほんの一握りになってるの。そのぐらい、組織とか社会、ルールであったりとか会社生活みたいなところ、そこから課せられるタスクっていうかね、いろんなことに、ま、あっぷあっぷして、どんどん見失っていくっていうのは凄くある」


「ま、新しい価値を見つけていくっていうのは、いいことだと思うんだよ。構わないと思うんだけれども、自分が正直に気持ちイイと思った軸に集めてきて、自分が気持ちイイ・・・この道で進めたら気持ちいいなって思った夢があるんであれば、叶えていくことは可能だと思うし、叶えていけた人っていうのはいくらでも知っているから。あとはそこを継ぐ意志を持って、あとは計算して効率的にね、道の中で一歩一歩、それに向かって進むってことは、凄く必要ですね。さっきは言わなかったんだけど、5年後に何をやっていたいっていう(目標を持っている)ときには、いつもわたしは・・・考えているのは、5年後にやるってことは、人生繋がってるわけよね。5年後に自分がこうなっていたい・・・例えば5年後に本を出していたいと思ったならば、その5年間で、例えば3年目までに何をやらなくてはいけないのか、2年目までに何をやらなければ・・・1年目には何をやるべきかって具体的にやっぱり考えるぐらいの頭はみんな持っているわけだから、考えるわけだよ。で、その一年間の365日のうちの前半の例えば一ヵ月っていうのは、何をするべきなのか。ちゃんとね、日々の中に自分が5年後に達成する目標のための、この一日、今日明日っていうのをどう動くべきなのかっていうところを、やっぱりその辺までね、自分をね、追い込んで、なかなかやっていかないとですね、叶うものも叶わない、みたいな。なんとなくタイミングが良くて、風が吹くっていうところで、もしかしたら叶えられる夢っていうのはあるのかもしれないんだけど、基本的には努力していくっていうことを前提に考えないと。いかに5年先のこととか10年先のことを今日一日に集約して・・・一日の動きに集約してやっぱり考えられるか・・・ぐらいまでやっぱり、追い込まんとっていう。まぁ、その分、羽目を外す3日間とか、べつにいいんだけど、全然。それだけは社会人になったときからは、ずっと思う・・・」 (おわり)


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