夜景評論家丸々もとおさん
2003/11/12@立教大学
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会社で何が得られるか。
どれだけ自分が成長できるか。


「だからよく夜景の仕事なんかで、何がキーワードになってるんですかっていうときに・・・この間のテレビでも聞かれたんだけど・・・やっぱりものを見る、その見方っていうもののバリエーションをやっぱり発展していくっていうことだよね。見るっていうことだけに集約しないで、例えばそれをいろんなね、嗅いでみると・・・みたいなものもあるし。本人がやれるバリエーションっていうのがいかに確保できて、それを見たことによって逆にイマジネーションをいろいろこう、膨らますっていうね、そこにねやっぱり一番の源があるような気がする。そこからたぶん、自分のやりたいことが見つかってくるし、自分が生きていきたい方向性が見えてくるだろうし、やりたい職業なんかも出てくるかもしれない。なんかそんな気は、やっぱり凄くするんだよね。これは、ま、38年間生きてきて、凄く一番自分が大切にしていることだし、凄く今まで一貫してやってきたことで、凄くいろんな失敗もしたけれども、なんていうのかな・・・今、分け与える上では一番効果的な方法論かなあという、まぁ、気もしてるんですね」


「ごめんなさい・・・べらべら話して。質問とかも、していいですよ。まだ、時間ありますし。なんか、聞きたいことあったら、ホント聞いていいですよ。たぶんちょっと、普通のサラリーマンとまず立ち位置が全然違ってて。おのずから就職した時点で。あの、会社の仕事っていうのが、どれだけ自分にメリット・・・とにかく自分中心に考えたときに、会社の仕事がどれだけ自分にスキルとか与えてくれるのかって考えたときに、全てを吸収しようとするとですね、なかなかムリなんですよ。難しいと思うんですよ。で、そうなったときに、この会社に於いては、何が自分にとって一番メリットなのかって考えたときに、それに対してどれだけの時間を費やせばいいのかっていうふうに考えていくわけですね。「ぴあ」に入ったときには、たぶん2、3ヵ月ぐらいで、ここでわたしが得られることっていうのはなんだろうって考えたときに、人脈であり、原稿にする能力と編集的テクニック、この3つです・・・っていうことは、もう見切っちゃったんです、勝手に。これで見切らないでいくとね、だらだら働いていくだけなんですよ、所詮。忙しくどんどんどんどんなってきて、いろんな仕事任されていくと、どんどん自分が見えなくなって当然なんで、ある程度入って、もう、半年ぐらいの間に、この会社で何が自分が得られて、自分がどれだけ成長できるのかというのを、とりあえず、ま、質素に考えるとですね・・・で、それに対してこの会社で何年間ぐらい努力すればそれが得られるのか。で、逆に仕事上で得られなかった場合には、自分でその、わたしがやったようにパーティーやったりとかね、人脈、別に作ればいいだけの話であって、そうやって自分の目標を達成できるのかというのをね、最初から割と考えてましたよ。考えて、で、入って、それをやって、で、この辺りでいいなと思ったら、今度は次の課題に対して入っていくっていうことで」


「別にあの、会社って、自分が辞めたって代わりなんていくらでもいるんですよ・・・正直言って。べつに、「あなた特別じゃない?」って、そういう中でそういうふうに言われるとそうかなって気にもなってくるんだけど、全然実はそうじゃなくて、ひとり辞めたぐらいで会社なんて全然潰れない。勝手に回っていくわけ。で、代えが利くわけ。代えが利かない人間になりたいわけよね。あなたじゃなきゃいけない・・・人間になりたい。代えが利いてしまう社会に対して適応していこうなんて、会社に対して適応するなんて、さらさら思ってなくて、もう自分が目標達成するための方向論として、この会社に入ったということであって。で、その入るためには、いろんな、ま、手段を使って、その会社なり新しい会社になりね、転職するなり、入っていくということで。なんでも別に想いを切り開いていけるはずだから、あとはそれを強い意志を持って、要はやっていくっていうことだけ、大切なわけですね。で、さっき言ったみたいにとりあえず、5年ぐらい働いたら、一回、自分を絶対振り返るっていうことをもう忘れないでやっていって欲しいなと。振り返ると本当に社会人時代の自分がいかに怠慢だったりとか、自分がいかに5年間、無駄に過ごした部分がいかにあったかということもそうだし、自分が自分として見失ってきたものだとか、いろいろこう、理解できてくる。それをまたステップにして、次の5年とか10年というのを考える、っていうことなんだよね。


外向きの夢。内向きの夢。

「割となんていうか小さいときからそうなんだけど、計画的に物事をザックリ考える。元々、変更・・・計画変更は前提なんだけど、30になったらこうなりたい、40になったらこうでありたい、50になったらこうしたいってわたしも一応、路線があるわけ。で、例えばあの、前は・・・言ってたのは、とりあえずホテルは・・・自分がオーナーのホテルは一軒持ちたい。でも、きっとすっげぇ何億もかかると思って。そんなお金はどこにもないんだけれど。お店なんか作るなんて当然思ってなかったんだけど。昔は、とりあえず30までにお店っていうのを、例えば何軒か持ちたいと思ってて、まぁ、40あたまぐらいに例えば夜景の見えるバーっていうのを、自分のお店っていうのを例えば3軒ぐらい。で、それを自分の力でヒットさせて、それ、人に売っちゃって、そのお金でホテルの資本にしよう、とかね。で、とりあえず60ぐらいに自分のホテルができてて、みたいな流れを一方では掲げているわけ。これは俺の人生設計で、それはあの、アウトプットしていくっていう意味での人生設計。その間にもいろんな本を出したりだとか、違うアウトプットを夜景的にね、いろんなテーマをこなしていくっていうのは当然あるんだけど、まぁ、ホテルを自分で持てたら・・・稼動できたらいいなっていうのは一方である」


「だけど、これってね、なんか、夢・・・それもひとつの夢なんだけど・・・夢であり計画なんだけど、もうひとつあるのね。で、これは全く相反していて、やっぱり外向きの夢と内向きの夢があるような気がするね。わたしはね、内向きの夢も凄く大切にしたいの。で、これ何かっていうと、簡単に言うと新潟のね、コンビニで働きたいんですよ。コンビニで働いて・・・なるべく12時ぐらいからがいいんだけど・・・で、働いて・・・あ、12時じゃないな。10時ぐらいから働いて、で、5、6時間働いて。時給で。新潟の日本海沿いの海って凄く好きなの。あれ見てるといろんなイメージが湧いてきて、気持ちが豊かになるんだよ・・・わたし的にはね。人の生命力の強さを、日本海ってなんか抱えてて、出雲崎とかね寺泊っていうのは、良寛もいたんだけど、その辺でアパートか何か借りて、自分と向き合って・・・何ていうのかな、自分と向き合って自分の頭の中でいろいろこう、想像する。気持ち悪いのかもしれないけど、そういうことを・・・何ていうのかな、幸福としながらも余生を送っていくっていうのは、自分にとって内面的に凄く幸せなことだなとホントに思ってて。ただ、全く稼げないっていうと死んじゃうから、死なない程度に稼ぐには、まぁ、時給ぐらいでいいと。で、コンビニなんていうのは、お客さんとの対面っていうのが、ま、非常に簡素化されてシステマティックでしょ。マニュアル的に。で、別に「ありがとうございました」って言えばいいんだし。だからあんまり余計な会話がそれ以上必要ないから、人と会話する必要があんまりない。人と最低限の会話で、最低限のお金で、自分の好きな時間・・・ゆるゆると流れてくる日本海の時間というのが、凄いいいなあと思っていて。今すぐにでも過ごしたいと思っているぐらいなんだけど、思ってるのね」


「凄くお金かかる夢とお金がかからない夢。で、凄くアウトプットして自分が出ていかなきゃいけないっていう部分と、なんていうのかな・・・自分が内側にこもって自分に向き合っていく時間っていうね、こういうふたつの相反する夢みたいなことがあったりとかすると、凄くね、気持ちが楽になるんだよね。あの、お金だけを追い求めていると、だんだん卑しくなるし、節操なくなってきちゃうし。といっても、内面だけを突き進めていくと、外に出てこうやって話すということもだんだんできにくくなってくる・・・性格的に、っていうのもあって。そういうね、ふたつっていうものが、バランスを取りながら自分がこう過ごしていくっていうことが、凄く、今はですね、ひとつの計画になっているっていう。ま、変な話なんだけど、ふたつともマジにそう思うってことがね、凄く大切で、全く相反するものを持とうとしても、持てるものじゃない。ただ、出てって叶う夢っていうのと、こもって・・・ひとりになって叶える夢っていうのがあってもいいのかな。別にどんな形があったっていいわけですしね、夢のバリエーションって。このふたつに集約されているっていう感じですね。っていうことを思いながら、クルマをこう、たまに運転してニヤニヤしてるっていう・・・」

---一同笑い

「そんな感じなんですけどね」


上昇志向の源は、ボーイスカウト活動から

---上昇志向が強いっていうのは、大体いつぐらいからそうなっているんですか?

「たぶんボーイスカウトのときにね、養われたんじゃないかと思って。で、それは凄く生命力との闘いで、死ぬか死なないかじゃないんだけど・・・」

---そんな厳しいんですか(笑い)?

「あの、ボーイスカウトってね、ナメちゃいけなくって、すっごいんだよ。やったことないかもしれないけど。俺結局ね、大学3年までやってたのね。だから12年やってたんだけど。だからこう見えてもね、キャンプ経験は何百回もしてるんだよね。で、例えばボーイスカウトって、見習い、初級、二級、一級、菊っていう段階になって、で、入ったときは見習いで、ま、バッジ付けてるのね。それが黄色いバッジで、いかにも見習いっていう感じなんだけど、そこからあの、緑色の初級っていうようになって、二級で青になって、一級で赤になって、で、最後に菊の紋章が付くわけよ。これを取るためには相当努力が必要で、二級にならないと火は使えない、ナイフは、ま、使えないですね。包丁使えないんですよ。だから薪切ったりとか、二級になるまで使えない。早い話が初級まで全部使い物にならない。もう、小学校6年のときなんていうのは、上の一番・・・グループのリーダーっていうのが、中学校3年なわけじゃない?ガタイとか違うわけよ。で、知識も全然上なわけ(笑い)。同じ蟻がいたら、ああ、俺なんか簡単に踏み潰される蟻なんだなって、自分でもう、まざまざとわかる。でも、このぐらい大きくならなくちゃいけないという課題があるときに、それに向かっていかなければいけないわけじゃない?目標としてのね」

---それは用意されてる・・・?

「用意されてるわけじゃない。それはただ単に中学校3年生のリーダーというだけ。たぶんね、4年先、5年先に見せられる先輩っていうのが、やっぱり目標になっているんだよね。で、結局、例えば水泳だったら水泳章っていうね、ひとつの特修章っていうのがあって、それを取るためには例えばクロールとか平泳ぎとかフリースタイルだとかバックだったりとかっていうことと個人メドレーを含めて、例えば全部100メートル以上泳がないといけないの。泳ぎ以外でも例えば水泳の知識としてレポートを提出しなければいけないんだけど、これもまた厄介で、例えばどういう・・・泳法によってどのぐらいその、なんていうのかな、泳ぎ方の身体に対する負担が変わるのかみたいな話とかね、書くわけよ。で、書いて、実技で通って、レポート通って、初めて一個もらえるわけ。で、救護章とか結索章・・・結索章っていうのは要は(ロープの)結びだよね・・・例えば「〜結び」って言われて、バーってできないといけないってみたいなヤツを100種類ぐらい自分の頭の中にインプットしておいてガーっとやって、で、レポート提出やって、やっと結索章一個もらえるわけよ」


「で、これがね10個揃って、やっと見習いから初級に上がれる試験が受けられるんだけど、その試験っていうのが全部来るわけよ、一気に。わかる?全部一気に来て、全部クリアして、且つ、こっちのさらに膨大なレポートを出さないといけない。で、やって、やっと一個上がるわけよ。で、今度もう10個とか15個取らないと、二級にいけないわけよ、また。凄いよ、それ。だから、わたしは禁欲的っていうのは、それをやらないと自分がどんどん上に上がっていけない。もう、けちょんけちょんね。やっと上がってって、初めて菊になったときに・・・日本で何人かしかいないっていうみたいなね感じの菊まで上がる・・・もう相当な・・・やっぱり。ところが菊までいって中学校3年になりました・・・高校入ったら(ボーイスカウトを卒業するので)また一度ゼロに戻っちゃうわけ。またシニアスカウトっていう(組織の中の)一番下。今度、高3っていうのがいるわけよ(笑い)。キラキラしてる、目が(笑い)」

---一同笑い

「うわー、今度またね、テクニックが上がっちゃうわけよね。あの、結索章とか、今までの結索はいったい何だったのかっていうぐらい結び方が出てくるわけよ。おい、ちょーっと!っていう・・・」

---一同笑い

「手旗とかもね、例えば「あいうえお」って今でもできるけど、そういうその手旗信号みたいなものをさ、ボーイスカウトのときにはね、手旗から始めたの。「あいうえお」できて、50音できました。で、向こうから言葉言って、ぱぱぱぱぱぱってやって、伝わりました・・・オッケーですねってやるわけじゃない? で、シニアスカウトになると、今度全然違って、とりあえず千葉の、例えば海岸で、まずは櫓作れって言われて、櫓全部ひとりで作って、櫓の上にこのぐらいの・・・5メートルぐらい櫓、自分で作ってさ。櫓作って、もうひとつ櫓作って、で、向こうと交信してやっと、オッケーもらえるんですね。全然発想が違う。つまり櫓を作るという知識の中には、今までの必要な知識が必要になっているわけよ。で、それもかなり高度でないと、崩れる櫓を作ったらヤバいわけだよね。で、そういう櫓がチェックされて、だけどそれは手旗信号のための手段なのになんで俺は櫓作っているのかなあっていう・・・」

---一同笑い

「まぁ日本で一番・・・世界ジャンボリーで日本のリーダーになって行ったぐらいの人がやってる団だったから・・・(笑い)。ま、たまたまそんなとこに入っちゃったのが間違いなんだけどさ。その、新座の第3団っていう。で、そこでやられちゃったっていうか、なんかたぶん上昇志向ってそこからきてるんじゃないのかなと思ってるのね。で、高校のときにも例えば関東ジャンボリーっていうのがあって、それで群馬の山の自衛隊の駐屯地みたいなところでキャンプやってさ。で、配給係とかって県から任命されてさ・・・かっこいいよねえ、配給係・・・人の、人命とか、食はやっぱり基本じゃん、みたいな感じで。朝の4時ぐらいからですね、栃木とか群馬とかすっごい広いところに点在して団がいろいろキャンプ張ってるわけよ。で、あたしら配給係がここら辺に行ってさ、トラックがダンダンダンダンと朝の4時ぐらいになると、巡回しながらさ、自衛隊みたいにこう、食糧落とすの」

---一同笑い

「リヤカー、うわーって持ってって、ガーって積んで、で、いろんな団回りながら配るみたいな。ふうっと終わったら今度、昼の・・・昼食を出す時期が来るのね。ガーっと・・・昼の配給が11時ぐらいに来るの。ウガーってやって、で、今度終わってたあと、フッときたら今度、夕方の、また夜の配給が来るんですよ。あまり量が多いからさ、一括して3食分やれないの。だから全部運んでって、最後は・・・夜は、偉そうなさあ、代議員みたいな人がいるわけだけど・・・60歳とか70歳ぐらいの人たちのお酒とかついだりとかして。と思ったら2時ぐらいになって、また4時のね・・・地獄のような一ヵ月だったんだけど。で、そこまでやったら表彰とかされるんだけど、そういう中で耐え抜いて生き抜いていくっていうことっていうのは、凄くやっぱり身をもって学んだっていうか。だから基礎体力みたいなところを含めて、精神力とかそういうもの。寝ててさ、水なんかガアーって流れてても起きないし、みたいな」


「そういうあのムチャムチャな生活しながらも、それもひとつのなんか癒しのひとつとして、わたし夜景見てたような気がしたんだよね。どっかやっぱハードな部分とソフトな・・・自分にご褒美を与える部分で、綺麗なキラキラしたものって、ちょっと癒されるっていうところっていうのがあったなぁって気はするのね。だからホント、言えない経験ってたくさんあるわけよ。小さな子どもたちがね・・・例えば小学校、ね。深夜ぐらいになると、高校ぐらいになると、小6のボーイスカウトの面倒を見ないといけないしさ。ホームシックにかかる・・・ホームシックにかかったら、どう治したらいいのか。キャンプに来て3日間、トイレに行かないっていう。一緒にトイレ入ってお腹さすりながらさ、うんこさせてあげるわけよ。例えばそういうこととかも全部やって、やっぱり身にしていくっていうことなんだよねっていう。決してなんかその、高いところから何かをやってきたっていうわけじゃなくて、割とこう、地べたに這いつくばっているっていうか、そういう感じで過ごして、立教に来たっていう(笑い)、ことなんだよね」

---ボーイスカウトって凄いんですね。僕はカブスカウトから一年間、ボーイスカウトやってたんですけど。全然普通に火とか起こしていたし・・・(笑い)

「だからそれって団によって全然違う・・・」

---違うんでしょうね。あとは、クリスマスのときにキリストの誕生劇をやったり・・・それだけでしたよ。

「うちはでも、大会でバリバリだったからね。ホントにそれはそれでありえないぐらい。でもホントにそれがね、やっぱり基礎になって体力とか精神力とか、その生命力っていう。よくあの、例えば、会社員とかなってくると、言われるのが・・・これは独立して言われたのが、「ひとりでいて寂しくないですか?」っていうことをね。だいたい組織の中に入っているとね、こう、グループになってくると、だいたいみんな誰かに頼ったりとか、誰かがいるから自分に安心感をね、もたらすっていうところがあるんだけど、全くそういう意識って言われるまで気付かなかったぐらい何も思ってなくて。で、そもそもがひとりじゃんっていう。頼っているってこと自体、おかしいっていうか。で、頼ろうと・・・基本的に、ま、人の繋がりみたいなの、ビジネスとか当然生まれてくるんだけれども、それはビジネス上の話で、生きるっていうことに関しては、全くひとりでしかないわけなわけ。その、寂しいとかっていうような、そういう感覚って出なかったっていうのが、またちょっと、その辺がたぶんボーイスカウトのね・・・結局、誰かと一緒に死のうっていうわけじゃないじゃない?」

---一同笑い

「死ぬんだったら自分が栄養失調で死ぬわけだし、誰かが生き残るって話だし(笑い)。自分が死にたくないから自分を守るしかないわけじゃない?だから自分は常にひとりだっていうことをそのときにめちゃめちゃ実感してるわけよね。それはまぁ、一応ね、組織の中では誰かとごはん食べにいこうって言ったら、みんなと一緒にごはん食べにいったりとか、そういうことはするんだけど。それはね凄く・・・わたしの友だちが言っていたんだけど、神戸のね震災があったときに、凄く、ま、変な話なんですけど、人ってやっぱりどっかおかしくなって・・・っていうのがあって。どういうことかっていうと、地震でね、全部倒壊しちゃったわけ。壊れちゃったんだよね。で、そうするとここに大通りがあった・・・人がね、真っ直ぐ歩いてないんだって。大通りが普通に残ってるんだけど、ビルが倒れてるから。で、ふらふらふらふらって、歩いてる。なぜかっていったら、人ってね知らず知らずの間に、例えば立教通りなんかもそうなんだけど、こういうビルとか空間が埋められていて、なんとなく感覚的に、ここにこうなって・・・っていう立体的なバランス取りながら、真っ直ぐ歩けるようになっている。っていうかね、そういうふうに歩こうとしちゃってるんだよ。っていうぐらい、環境に知らず知らずにすんごい影響受けてる。ところがこれが一気に無くなっちゃうと、道が真っ直ぐ歩けなくなるっていう」

---ちょうどなんか、片目塞がれてるような感じになっちゃうんですね。

「うん・・・というか、感覚自体閉ざされちゃうよね、きっと。で、なんかそれに例えて、なんかやっぱり、知らず知らずのうちに気付かない間にそういうものに頼って人は生きてるっていうことが、そういうことで凄くよくわかったんだって。でも彼は思ったのは、そんなものがなかったとしてもっていうのはあれなんだけど・・・不謹慎なんだけど、そういう周りにビルが無かったとしても、道は自分で作って真っ直ぐそれに向かって歩いていけるはずなんだよね、きっと人は・・・って思ったときに、やっぱりそういう歩けるだけの意志の強さであったりとか感覚であったりとかオリジナリティみたいなものはやっぱり持ちたいみたいな。なんか地震のそれを見ることによって、なんか思ったらしいんだよね。それもなんか凄く一理あるなってちょっと思ってて。環境性っていうのかな・・・知らず知らずのうちにそれに頼っていたりとか、友だちに頼っていたりとかっていうこととかそうだし。で、そういったところで自分というものを失っていってね、で、そういう失っていく中で自分が何かやろうと思ってる・・・何か、何かを考えようと思っても、ほとんど失っていくものだから、だんだんだんだん考えられなく、やっぱり、なってきちゃうんだよね。いっぱいいっぱいになってきちゃう。許容力がどんどんどんどん減ってきちゃう。やっぱりそうなる前にもう一回、人としての、その、何ていうのかな、動物的な部分っていうのをもう一回立ち返って甦らせるっていうこと、凄く大切なんだなっていう。そのためには普段どれだけ五感を使ったりとか、頭の中のイマジネーションをね、喚起したりとかして、自分を動物的な部分としてキープしていくのかっていうことが凄く大切なんじゃないのかなっていうふうには思うね。まぁちょっと、とりとめもない話なんだけど」


飽きるほど夜景を見たい

---丸々さんは夜景を見るっていうのが昔の趣味だったと思うんですね。それを仕事にしていて凄い多忙な生活をされてると思うんですけど、さっきちょっと言われたんですけど、夜景は人を癒すためにあるとか・・・

「うん・・・」

---僕もそんなふうに思うんですね。だけどそういう多忙な生活で夜景に追われて見るのがイヤになっちゃうとかそういうことはありますか?

「・・・これがないんだねえ。なんでないだろうなっていう・・・変態だからかなっていう話もあるんだけど・・・(笑い)。逆に夜景の種類を使い分けているんだよね。例えば、オレンジ色とかさ、黄色とかさ、そういった暖色系の色彩って刺激が結構強い。だから気分を割と高揚させるんだけど、逆に青っぽい色とか緑色っていうのは、逆にこう、リラックスさせるような色じゃない? で、夜景も見る場所であったりとか見方であったりとか、そういったところによって自分が受ける感覚ってやっぱり違っていて、ま、いきなり例えば羽田のトンネルかなんかをクルマでガーンと行くとね、夜中なんかにオレンジ色のトンネルのライトにいきなり目が覚めれる感じってやっぱあるじゃない? 夜景の関わる効果っていうのがあると思うんだけれども、ま、そういう感じでわたしでいえば、自分の精神的な部分であったりとか、肉体的な部分のトラブルっていうのはなんか夜景を見ることによって、既にこう、バランスを取り始めている感じなんです。だから、飽きるというより逆に利用してるという感じの立ち位置で、今日も徹夜してちょっと頑張らなきゃいけないなと思ったときには、例えばちょっと通り道して大井の埠頭辺り行って、クレーンの夜景かなんかをドワァーっと見ておいて、それから家に戻るとかね。で、あの例えば時間を惜しまずに、思索的に・・・あの、企画力とかイマジネーションというものが忙しすぎてちょっと落ちてるなあと思うときには、ちょっと東名で遠出してね、例えば大井松田とか秦野中井とかね、あの辺まで行って、山の上に登って、ちょっとパノラマ的な夜景を見て、30分とか一時間ぐらい見て、また東京に帰るとか。そうやってね、なんていうんですか・・・飽きるという感覚を全然持ったことがないだけでなく、逆にそういう使い方をして、自分のその、自分自身を保つために利用しているっていう、そんな感じなんですね。まぁ、変態ですよ、だから(笑い)」


「ただ、それは凄くね、大切だなぁって思って。例えば深夜の一時間でも凄く原稿書くのがもう、来るのね。惜しいなあって思うわけよね。でもその一時間の効率って、自分がよくない状態であればあるほど、やっぱりはかどらなかったりとかするから、だったらその一時間を、相当大変な苦労をしなくちゃいけなくなったとしても、一時間かけてどっかの夜景を見にいって、リセットしておいたほうが、絶対その後の効率はよくなるはずだからっていう感じで、うまくこう、なんていうんですかね、回るようにして生かしていくような感じなんですけどね。でもね、飽きないんだよ・・・ホントにね、全部違うんだよね。人と同じようにね。夜景って。女の人も男の人もみんな顔かたちが違うように、夜景も見る時間帯とかで全く同じ・・・例えば冬の漁火の向こうにね、雪がぱらぱら落ちてきて、それがクルマのヘッドライトに当たってね、で、広がって・・・広がる日本海の例えば、冬の夜景みたいのってやっぱり、そんなものもあったりもするわけじゃない? で、それにまたちょっと崖の上から見てたら、雪がこう、舞い上がったりとかしてさ。で、それがこっちのライトでパッと当たって、キラキラキラってしながらもさ、下にちょっと街の生活の灯りみたいな、ポンポンポンポンある。そんな夜景もあれば、ホントに高層ビルのね、ガーンとした燦然と輝くようなきらびやかな夜景が一方ではあったりするし。で、そのきらびやかな夜景の中にもいろんなバリエーションが、やっぱりあるしね」


「わたし、だから常に夜景ってやっぱり美術作品みたいっていうことで、鑑賞っていう字を・・・観光の「観」を使ってないのね。かねへんの「鑑」賞で、美術鑑賞の「鑑」と同じ漢字を使ってる。つまり夜景って作品であって、日本と世界中の建築とか、ま、住んでいる人たち、全ての人が作る作品。我々の生活の灯りをひとつ、灯す。家に帰って電気をひとつ照らしたりするだけで、どこからか見てる誰かからすればそれは夜景の作品としてあるわけだよね。そんな感じでね、全ての人が参加して生まれた、いわば価値ある文明の中のね、価値ある作品であって、全くその同じものっていうのは、一分一秒と存在しないっていう。だから全てを見たいと思ったときに・・・そこも上昇志向でヤバいって、全て見たいと思って・・・絶対見れるはずないんだけれど、うん、全てを見たい・・・くまなくいろんなものを見ていきたいって考えていくと、逆にもう、飽きるほど見たい」

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