8憩 初の広い島の山と海-

島県次市/庄原市/島市/山市/三原市/岡山県笠岡市- 第2
三次(みよし)

(第2日朝食)
N08-004(第217号) 朝食ヴァイキング@三次グランドホテル →
 霧の町として知られる三次の朝は、うっすらと雪化粧も施されて、幻想的な趣が柔らかに広がっていた。ホテル直下には芸備線の線路が敷かれている。時折、トコトコと軽快な音を奏でながら1両編成のディーゼルカーが通り過ぎてゆく。この線路には福塩線の列車も乗り入れているから、朝の通学時間帯は割合賑やかである。
 芸備線は広島と新見の間を三次、そして今日これから向かう備後落合を経由して結ぶ路線だが、三次を境に運転系統が分割されている。三次から広島方へは、国鉄型の古いものではあるが屈強なディーゼルカーが、2両編成以上で走る場合が多い。一方、備後落合方へは、JRになってから新造された車両ではあるが小さく如何にも軽量なディーゼルカーが、1両編成で走る場合が多い。先程、ホテルの部屋から覗き見た車両である。
 三次駅は芸備線広島方面・備後落合方面、三江線、それに備後落合方の塩町から乗り入れてくる福塩線の事実上4路線が集うターミナルとなっている。側線には沢山の車両が所狭しと待機していた。険しい中国山地、その本番を迎えるに当たり、前哨基地の雰囲気が漂っている。
 三次を出発した列車はあっという間にホテルの下を駆け抜けていった。軽快な走りを披露する列車に引っ張られるように、曇り空も晴れてきた。窓の外には明るい雰囲気に包まれた風景が広がる。それでもやはり三次から先はローカル線の風情が少しずつ濃厚になってきている。駅舎らしい駅舎はなく、荒天の際には殆ど役に立たないような簡易的な待合所しか設けられていない駅が目立つ。どんなに小さな駅でも物置小屋のような駅舎が一応用意されている北海道では考えられないワイルドな光景に思えた。この辺りも冬の気候は厳しいはずなのだが。列車は三次から30分ちょっとで隣の庄原市の玄関口・備後庄原に到着した。
 ところでこの三次10時47分発の列車こそ、2週間後に迫ったダイヤ改正で削減対象となる列車なのである。三次発車時点で4人ほどいた乗客は全て備後庄原で下車、終点の備後落合まで一人旅となった。なるほど、これでは削減対象になっても致し方なしと思う向きも多かろう。しかし4人「も」乗客がいるのに運転を取り止めてしまうことなど、北海道基準ではなかなか考えられないことだ。第一、平成の大合併以前の段階でも三次には4万弱、庄原にも2万余の人口があった。背後には100万都市広島が控えてもいる。それなのに4人「しか」乗客がいないと云うのも、これまた北海道の感覚からすれば信じられない。幾ら並行してバスが走っているとは云っても些か酷い。国鉄民営化から四半世紀…ローカル線へ投資らしい投資をしないJR西日本の態度が招いた結果である。
 芸備線に乗っていて印象深かったのは民家との距離の近さ、それに減速区間の多さだ。減速区間は三次を過ぎてから出現するようになるのだが、備後庄原からは特に目立ってきた。少し山間の区間に突入するとすぐにノロノロ運転に変わってしまう。これまた保線費用を浮かすためにJR西日本が採っている作戦である。線路上に岩石が落下していても、ノロノロ運転であれば脱線転覆はしないだろうとの算段だ。対岸の道路では車がスイスイと走っているのがよく見える。これ見よがしに嫌々やっている仕事に感謝する人は、余りいないものだ。
 終着・備後落合の少し手前、比婆山駅を過ぎてから加速度的に秘境感は増していった。但し、山間部ではあるのだがそこまでの山奥と云うわけでもない。過度の減速運転があたかも登山鉄道にでも乗っているかの如く山奥気分を増幅、高揚させるのだ。やがて左手下方に家屋の群れが見えてきて、更に木次線の線路が寄ってくると備後落合である。
備後落合(びんごおちあい)
 備後落合の第一印象は、小ぢんまりとしているなァと云うものだった。芸備線と木次線が交わるこの駅は現在でも外形上、中国山地に幾つかあるターミナル駅の一つとなっている。三次で運転系統が分かれていたように備後落合でも芸備線は、三次方と新見方に運転系統が分かれている。したがって三次方面・新見方面・木次線の事実上3線のターミナルとなっている。嘗ては陰陽連絡急行も走っていた。ホームに面している便所に乗換で賑わった往時の姿を夢想する。しかしその割に駅構内は手狭だ。芸備線を宗谷本線に重ね合わせていた私は、この駅にも関心を抱いていた。三次が名寄なら備後落合は音威子府に相当する。しかし雑草の乱舞する広々とした構内の音威子府とは対照的に、備後落合は元より手狭で堂々たるターミナルの風格は余り湧き上がってこない。山と川に挟まれた僅かな土地に、駅の機能を詰め込んでいる感覚が伝わってきた。それだから余計に喧騒が辺り一面にこだまして、その栄華は強烈に人々の記憶に刷り込まれていったのだろう。この駅はある種の旅人には非常に人気がある。
 小ぢんまりとした趣の駅構内だったが、駅舎内もまた小ぢんまりとしている。ダイヤ改正後の時刻表や木次線運休・代行バス運転案内などが掲示されていた。木次線の備後落合と出雲横田の間は冬に大雪が降るとそのまま春がやってくるまで運休状態になる。保線に金を掛けるよりもバスやタクシーで代行輸送する方が安上がりに済むからだ。決して金が無いわけではないのに兎に角、ケチな会社である。鉄道マンとしての矜持なども特段無いらしい。
 音威子府村の中心にある音威子府駅と、西城町の一集落に過ぎない備後落合駅の差、だろうか。窓口は当然の如く閉鎖され、無人駅である。火の気も全くない。しかし無人駅とは云えども人が全く存在しないわけではない。この駅には夜間滞泊の設定がある。つまりこの駅で一夜を過ごした後、翌朝の始発列車を運行する運転士が存在するのだ。だから待合スペースの狭小さに反して駅舎それ自体はそこそこの大きさがある。
 駅前スペースもまた狭隘だ。道理で代行バスが乗り入れてこないわけである。その中で目立つのはやはり、現在の備後落合観光の際には必ず話題に上るタクシー会社営業所跡とそこに佇む専用呼び出し電話の残骸である。片足で辛くも大地に根付いている有様の見事な廃墟だが、タクシー会社自体は存続していて、芸備線新見方の小奴可駅で営業しているらしい。
 線路側も、そして道路側にしても、家屋は、山と川に挟まれた僅かなスペースにこびりつくようにして建てられている。ここは正しく駅しかない場所なのだ。駅が出来たからそれでも小市街が広がっているものだが、このように殆ど平地とも呼べないような貧弱な平地しか確保することが出来ないから、ターミナル性のある駅が存在してもそれに見合った市街地が展開されずに、結果、さほど山深くも無いのに稀に見る秘境感漂う「備後落合」が誕生したのであろう。
 川沿いを暫く歩くと運休中となっている木次線の鉄橋が現れた。三次市街に比べれば雪深いものの、雪っ気の皆無な線路に大雪の為に運休している現実を見失いそうになる。ところで橋桁には「小鳥原川」と記されているが、小鳥原と書いて「ひととばら」と読む。恐ろしく難読だ。先程来、人気も無ければ、車の通行も殆ど無く、それは静かな山里だ。ところがこんなところにドライヴインがある。
 何を隠そうこの店で昼御飯にありつくべく、ダイヤ改正前に駆け込みで備後落合へとやってきたようなものだ。ダイヤ改正後、三次発10時47分発の列車は、臨時の場合を除いて運行取り止めとなる。すると食事時に適当な便が無くなってしまい、この辺りの食の光景に出合うこともまた、ほぼ不可能な状況になってしまうのである。
 備後落合と音威子府に似通った印象を抱いてきたことは先述の通りであるが、音威子府駅は独特の黒い蕎麦でも知られている。栄えし頃の備後落合駅にも同様に「おでんうどん」と云う名物があった。人気のない今の駅の姿から俄かには想像し難いが、大いに賑わった備後落合の象徴的存在である。その「おでんうどん」が今でも、このドライヴインにて供されている。
 冬季限定のものだから、本当にここを外したらもう後のない「今しか食べられない」代物だ。鉄道の時代から道路の時代となり、道路の中身も一般道から高速道へと変わっていった。その度に山間の集落は人々の意識から忘れられていった。皆、先へ先へと急ぐが、しかし大地は変わらず、不動である。一部の人たちはそこに価値を見る。

(第2日昼食)
N08-005(第218号) おでんうどん@ドライブインおちあい →
<おでんうどん> ¥460(込)〜
トッピングを全部乗せて貰ったのがこの御姿。結果、幾らになったのか…それは失念してしまった。蕎麦は具が少ない方が美味しいがうどんは具沢山でも中々イケる。それもおでんだから相性は抜群に良い。たおやかに馴染み合う。これを乗換時間に駅ホームで食したら、中々の御馳走になる。今も寂しげな山間の地で温い気分と腹持ちに第一にさせてくれる優れモノである。
形状→★★★★☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★☆☆

三次駅構内に残る転車台。東武鬼怒川線SL運転開始に際して2016年、鬼怒川温泉駅に移設と相成った。
三次(みよし)
 人気(にんき)はあった方が良いものだが人気(ひとけ)もあった方が良いものだ。ホッとさせられる。外は肌寒い。しかし荒れた備後落合帰りの身には、こたつ机の上でお茶を飲んでいるかのような気分である。賑やかな昼下がりの三次の街を行く。
 今さっき「三次の街」と記したばかりだが、実は厳密な意味合いでは、ここは「三次の街」ではない。三次と云う町は、馬洗川を挟んで並立する三次と十日市、この二つの街が合わさって出来た町である。今日、三次駅や市役所が所在し、ホテルや商業施設も立ち並んで三次の顔として振舞っているのは、十日市の方である。それでは本来の三次の街とはどのようなところなのか…日本版ミネアポリスとセントポール的存在を前に、興味は大いに掻き立てられる。
 三次滞在2日目にして初めて目にした「三次」の街は、落ち着いた表情を湛えているように見受けられた。振り返って今まで居た十日市と比べると、歴史の風を感じさせる。やはりミネアポリスが十日市。三次は、セントポールだ。
 橋を渡ってすぐのところにちょっとした歓楽街があった。風に吹かれた横丁は、映画のセットのように佇んでいる。が、しかし、ここは現役だ。日も暮れれば、惚けた調子のカラオケが木霊し、妖しく影絵が動き回る世界が広がるのだろう。
 三次の街には溜息の漏れる美しさがあった。薄化粧、すっぴんの美を今に残している。その三次の街の中央を突っ切るように、三江線の線路が高架で通過している。次に私は、三江線の駅もある尾関山へと向かうことにした。
 1954年に三次と十日市が合併した際、繁栄の中心は既に十日市へと移っていた。しかし自治体名には三次の名が採用されたように、伝統ある三次地区には歴史的史跡が目立つ。三次の地図を見ていた私は尾関山公園に「キリシタン灯籠」なる史跡があることを知った。元々、三次市街を眺めるために尾関山には向かうつもりだったのだが、折角の訪問である。この珍妙な史跡も見物することに決めた。
 途中、それらしきものに随分と遭遇したが、目当てのものは中々現れない。もしや見落としたのではなかろうか…引き返すことを考え始めた矢先のことだった。
 何か拍子抜けしてしまったが、目当てのものがあった。看板が無ければ分からずに通り過ぎる地味さである。最近は余り見かけない、ほにゃららとした雰囲気の説明書きの字体の方に寧ろ、経過した時の流れを感じた。
 小学生の頃だったか、時々、学校の机を彫刻刀で彫り込んで怒られていた人が居たが、そんな記憶を彷彿させる彫り込みがあって十字架の形になっている。云われてみれば確かに…と云う代物であった。尤もこの彫り込み(割れた際の修復跡のようにも見える)があるからキリシタン灯籠であると云う訳ではなくて、その由来は全体的なデザイン性にある。他の場所のものを見るとすっきりとしていて、こんなに傷付いたような有様ではない。しかしながら、この彫り込みが無かったなら、それとは気付かないレヴェルだ。
 一旦来た道を戻って、尾関山公園の正面へと回った。持参した地図からは灯籠の先に公園への入口が繋がっているか分からなかったからである。段々と高度を上げながら街並みを眺めるのも悪くない。園内に入って暫く歩くと、先程灯籠に辿り着く前にも遭遇した「三次小唄」の歌碑が、今度は比較にならないほど立派なものとなって登場した。余程大変なものらしい。確かに西条八十も中山晋平も、名の知れた存在である。その先もう少し歩くと、小ぢんまりした展望台が見えてきた。

三次市街。文化会館や裁判所、法務局と云った施設が点在する静かな文化行政都市である。

手前が三次市街。川を挟んで奥が現在の三次中心市街となっている十日市市街。

三次市街に居ながら、「左折すると三次市街」の図が何とも奇妙に思える。無論、「三次市街」の意は英訳にもある通り、「三次中心市街」の意である。
 十日市の街に着くと、いつもの世界に戻ってきた感覚に襲われた。人通りこそ無いが、こちゃごちゃっとしていて中々に賑やかだ。今の三次市の表玄関の風格がある。これに対して三次の街は、裏と云うよりも奥座敷の趣だ。中年女性に対する老婦人の気品があった。十日市と三次の併存が三次市の魅惑度を大いに増進させていることは、間違いない。
(第2日夕食)
N08-006(第219号) 盛り合わせ弁当 梅ちりめん@三次駅(はなわ) →

N08-007(第220号) クリームパン@三次駅(沖田製パン) →
N08-008(第221号) スペシャルブレッド@三次駅(沖田製パン) →
<盛り合わせ弁当 梅ちりめん> ¥420(込)
改めてパッケージを眺めて気付いたのは、仁多米にここで初めて出合っていたのだと云うことである。関東では馴染みの薄いこのブランド米とはその後、ちょくちょく遭遇することになる。ただ、その御飯が余り美味しくなかった。梅ちりめんの馴染みに深みが無い。おかずはマァ、普通か。
形状→★★★☆☆ 風味→★★☆☆☆ 総合→★★☆☆☆
<クリームパン> ¥125(込)
如何にも昭和の雰囲気満載の一品で、しっかりとした生地感とねっとりとした重めのクリームが印象的だ。
形状→★★★★☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★★☆☆
<スペシャルブレッド> ¥125(込)
パッケージデザインには相当なスペシャル感があるのだが、中身にスペシャル感は余り覚えず。要はメロンパン。ジャリっと立体感を覚える食み心地もなく、のっぺらとしている。この温厚さがスペシャルか。
形状→★★★☆☆ 風味→★★★☆☆ 総合→★★☆☆☆
→第2日旅程→
三次 10:47 →芸備線 普通(354D)→ 備後落合 12:05
備後落合 14:36 →芸備線 普通(361D)→ 三次 15:59
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