(Japan Train Viewingチャンネルから)
これはペルーのクスコからプノへと向かう観光列車の壮大な車窓風景である。途中、チベット鉄道が開通するまで旅客鉄道世界最高地点だった場所も通る(4時間45分付近)。軌間は標準軌のため、大きく頑丈そうに見えるが、線路状況は甚だ悪い。そのため速度が出せず、橋梁部は徐行運転を強いられている。観光列車だから速度を落として運転しているわけではないのだ。また市街地内では踏切が整備されておらず、加えて全般的に人や動物の侵入があるため、やはり徐行を強いられる。線路間際、或いは線路上にマーケットが開かれている途上国でお馴染みの光景も展開されている(8時間47分付近など)。ペルーの旅客鉄道は、観光客の多いクスコ周辺を除いて壊滅状態であるが、しかしこの映像を見る限り、貨物輸送に関しても盛んであるようには見えない。





(PHX Sub Railfannerチャンネルから)
長大且つパワフルなアメリカの貨物列車。この国の国富と云うものを存分に感じさせるものがある。圧倒的な物量を目の前にして、総力戦ではとても勝てないと思うのは今も昔も変わらない真実であろう。日本とは異なりアメリカを始めとする海外では、大型コンテナを二段重ねにして運ぶことが一般的である。


(Andrija Petrovicチャンネルから)
貨物列車がこれだけ長大なのだから、それを支える貨物ヤードもまた広大である。とてつもない。




(Fan Railerチャンネルから)
冒頭からいきなり闊歩しているのがアメリカ随一の高速列車「アセラ・エクスプレス」。ボストン-ニューヨーク-ワシントンの北東回廊は旅客鉄道の勢力が比較的強く、アセラが有力な移動選択肢として飛行機と互角以上の戦いを演じている。北東回廊はアメリカでは珍しいことに電化されているが、TGV等と同じプッシュプル方式による機関車運行で電車ではない。上記映像からも分かるように、線路は高速新線ではなく在来線との共用であり、急曲線や先行列車接近等による減速運転を余儀なくされる。





(Thailand Train & Travelチャンネルから)
バンコク都心部に程近いラックシー駅を発着する列車。ラックシーはバンコクの羽田空港「ドンムアン空港」にも近い。バンコク内ながら電化はされておらず、日本製と思しきディーゼル車と客車が混在する。目下、高架化工事が進行中の様子でこれが完成した暁には路線の近代が一気に進むこととなろう。確かに高架化さえすれば沿線住人による線路内立ち入りは根本的に消失する。また、駅構内を自在に横断する光景も見られなくなることだろう。



(Pierre2427チャンネルから)
日本から譲渡された中古車両が走るタイのお隣・ミャンマーの最大都市ヤンゴンの環状線。しかしその速度は非常に遅く、まるで路面電車のようである。タイとの差は歴然だ。





(Pierre2427チャンネルから)
アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスの地下鉄は、昔の丸ノ内線の車両が走っていることで知られる。「南米のパリ」と云う表現がぴったりの歴史を感じさせる地下鉄に似合う車両である。

第3話 鉄道、社会を映す鏡。
はじめに

 鉄道が好きだ。この乗り物はとても面白い。それと云うのも、日常の中を走りつつ、日常からは少し距離を置いた目線を提供してくれるからである。それは鉄道と云う交通機関が、あたかも日用品のように利用される一方で、生活空間が直に展開されている道路からは離れて…つまり街路とその集合体である市街地とは別の世界を形作っているからである。

 その人の、人となりを見るには靴を見ろと云う話がある。鉄道はまさに、人や物を運ぶ足の役割を果たしているわけだが、しかし、自動車や道路と云うものが日常に密着して存在する中で、それとは別個に存在している交通機関でもある。それは余所行きの際に履く靴のような存在だ。兎に角、裸足から足が守られれば、それで良いのか…それとも履き心地や見栄えを考慮するのか…良く手入れされているのか、ほったらかしになっているのか…etc. 靴が人を映す鏡のような役回りをしばしば演じるように、鉄道は、社会を映す鏡となっているのだ。

今日に於ける鉄道の存在地

 嘗て鉄道は陸上交通の王者であった。20世紀前半まで、世界は汽車と汽船の時代だった。その後、これを大いに脅かす存在が出現した。自動車と航空機である。鉄道は小回りの利く代物ではない。当たり前のことだが鉄道は、レールの上でしか動かない。タテ移動は楽だが、ヨコ移動は不可能である。入れ換え作業を眺めれば分かるように、行ったり来たりしてジグザグに走行することで、漸く転線することが出来る。これが自動車なら、ガッとハンドルを切れば楽に済む話だ。

 鉄道は一度に大量の人や物を運ぶことが出来るが、小回りが利かず柔軟性に乏しい。いわば、象のような存在であり、自動車は、その周りを縦横無尽に走り回る小動物のようだ。或いは鉄道はスズメバチのようであり、自動車はミツバチのようである。通常なら大きく強いスズメバチは、ミツバチを圧倒する。簡単に蹴散らしてしまう。ところがそんなスズメバチも、無数の集団となったミツバチに襲われると、熱殺されてしまうのである。鉄道に乗りながら、道路を行き交う車の列、無数に並び、或いは散らばる駐車された車を見る度に、私はこのことを思い起こす。

 自動車だけではない。航空機の存在もまた、鉄道の優位性を、特に旅客面で大きく崩すことになった。何と云っても飛行機は早い。早い割に速度を感じない。ガタゴトと鉄道に揺られている間に、スーッとあっという間に到着してしまう。離着陸時の緊張感とか耳が痛くなるとか、所要時間の割に疲れる部分もある乗り物だが、或いは保安検査や空港から市街地までの多少の距離感と云った面倒さもある乗り物だが、点と点を直に結ぶ早さに対する魅力と云うものは尽きることがない。

鉄道、太くて繊細な代物

 鉄道はレールから外れて移動することの出来ない交通機関だから、ハンドル操作を誤ったり思いがけずスリップして反対車線等に侵入して事故を起こす自動車と比べると、かなりの安全性がある。しばしば眺望の良さから観光化されてもいるが、物凄く切り立った崖の上を走る際も、安全確保のための柵が設けられていない場合が殆どだ。これは道路ではなかなか考えられないことだが、レールの上しか進まない鉄道の特性が、このようなことを可能なものとさせている。

 レールのお蔭で日常的安全性では自動車を上回る鉄道だが、一旦このレールから外れてしまうと…つまり脱線してしまうと大惨事にもなりかねない。自動車の場合、道路を面的に捉えて走ることが出来る。しかし鉄道は、線路と云う言葉から分かるように、線上しか移動することが出来ない。したがって線の上に障害物があればそれをかわすことが出来ず、また線路が整備不良により、歪んだり、破断したりして、線として成立しないレヴェルになっていた場合も、かわせずに脱線してしまう。これが自動車なら舗装がボコボコの悪路状態になっていても、さんざん縦揺れに見舞われ、真っ直ぐには進めずに横の方へ逸れてしまっても、運転不能の状態には滅多にならないものである。鉄道に於ける脱線と、道路に於ける脱輪は、全く異なる次元の概念である。

 一度に大量の人や物をいとも簡単に運べる勇壮さと、線上の移動しか出来ずに寸分のミスも命取りとなりかねない高度な技術性が要求される繊細さ。鉄道は実に好対照なこの二面性に包まれた交通機関である。

競馬のように複数の要素が重なり合って生まれる鉄道

 したがって鉄道は、作ったらある程度そのままほったらかしても大丈夫な道路とは違い、その維持管理には手間暇の掛かるものである。道路は舗装さえしておけば、あとは個人所有の自動車の性能によって市街地の外へ出れば、いとも簡単に速度が出せる。さほど良くない舗装でも80-100`は比較的容易に出せる。ところが鉄道は様々な要素が組み合わさって成り立っている。主役の競走馬に、馬主、調教師、騎手らが絡んで物語を作り上げる競馬のように。

 まず単線か複線か、と云う問題がある。主要な道路であれば対面通行の確保が当然となるが、鉄道は途中に交換設備をこしらえて、他は単線と云うケースが多い。当然、複線にした方が速達性は向上する。鉄道は曲線と勾配に弱い。蒸気機関車の時代なら速度もそれほど出ないから問題にならなかった線形も、最新型の電車やディーゼル車で速度が出せるようになると問題視されることとなる。また蒸気機関車時代の名残でスイッチバック等が設けられている場合も多く、これらの解消を兼ねて、新線を建設することも少なくない。それから線路自体の問題もある。レール幅を広軌にするか、標準軌にするか、狭軌にするか。レール幅は広く取った方が安定して走行することが出来て、速度が向上する。しかし曲線部に関してはその分、半径を大きく取る必要が生じる。それからレール自体の重量の問題もある。運ぶ貨客が多いほど、出す速度が速いほど、重く頑丈なものが必要となる。枕木も大切だ。最近はマクラギとカタカナ表記するように、木で作られたものではなく、コンクリート製のものが使われ、速度向上に寄与している。レールや枕木を立派なものとする以上、その受け皿となるバラストも厚みのあるものとしなければならない。或いは、信号や閉塞システムの問題もある。タブレット閉塞のような手段が使われていれば、なかなか速達性向上は望めない。

 その上で今度は車両の話となる。先述したように曲線の多い区間を走る場合には、車両を振り子式にするなどして、速度向上を図ることとなる。電化した方が従来は速達性が向上したが、最近のディーゼル車の性能は決して電車に引けを取らないものも多くなった。また架線等による電化を行わずに、蓄電池車を走らせる試みが広がりつつある。

 鉄道運行には幾つもの要素が絡んでいる。特に線路の整備状況は大事であり、折角最新式の車両を導入したところで、線路がそれに見合うものでなければ、宝の持ち腐れとなる。この点が、取り敢えず舗装されてさえいればあとは何とかなる道路との大きな違いだ。加えて特に発展途上国では、住人による線路立ち入りがどの程度あるのかと云ったところも重要な観点となる。これもまた、障害となる存在をかわすことの出来ない鉄道ならではの問題である。

鉄道と国情

 このように鉄道は、ある程度そのままほったらかしても大丈夫な道路とは違い、その維持管理には手間暇の掛かるところがある。また自動車交通に比べて痒い所に手が届かず、航空機と比べて速達性に劣る。したがってこの両者に可能な限り、代替させようと云う発想が働くこととなる。そして、それでも補えない部分に関しては、鉄道に任せようと云うことになる。

 鉄道の黄金期は20世紀前半のことだったから、主要な鉄道網もその頃までに構築されたものが殆どだ。つまり、鉄道網が発達している国は、20世紀前半までに産業が発達し、社会投資が活発であった土地であることを示している。しかしながら現在は自動車と航空機の時代だ。それでも現在に至るまで鉄道網が発達している要因として以下の事柄が考えられる。

 一つは天然資源等、物量が豊富な国であると云うことだ。アメリカの鉄道は自動車と航空機の影響により、旅客面では、ほぼ壊滅的な打撃を受けた。が、しかし、アメリカは資源に恵まれ、広大な国土の内部を大量の物資が行き交っており、これを支えているのが鉄道貨物輸送である。したがってアメリカの鉄道網は、大枠では維持されている。物量に勝る大陸国家では、鉄道と云えば先ずは貨物用と云うことになる。

 二つ目は、人口が多く、人口密度も比較的高いと云うことである。鉄道は一度に大量の貨客を運ぶことの出来る交通機関だから、人の数が多ければ、それだけ鉄道の優位性も高まる。中国・インドと云う世界を代表する人口大国が揃って鉄道大国であることからもそれは頷けるものである。またヨーロッパでは道路が発達しているが、人口密度が比較的高い地域が広がっていることから、アメリカのようにはならずに、今日でも旅客面で鉄道は重要な存在であり続けている。貨物よりも旅客面で鉄道の存在価値が高い点で、日本はヨーロッパ以上である。日本の鉄道の殆どは、旅客輸送によって維持されている。

 三つ目は、道路が未整備で、航空機も高嶺の花の存在であると云うことである。途上国の多くに当てはまるパターンだが、鉄道は20世紀前半に頂点を迎えた交通機関であること、維持管理に手間暇が掛かることから、多くの途上国では鉄道網が発達していない。その結果、道路網構築の進展と共に、鉄道は衰退の一途を辿る場合も少なくない。中国やインド、ロシアと云った鉄道大国でも今後は、所得の向上や道路網、航空網の拡充に伴って、高速鉄道以外での長距離旅客輸送は苦戦を強いられる可能性がある。しかし貨物輸送が盛況なことから、鉄道網それ自体が衰微することはないだろう。

 以上のような観点から、鉄道を通じて国情を探ることが出来る。途上国と云えば、嘗てアルゼンチンは先進国で南米きっての経済大国だったが、工業化の失敗、財政破綻等により途上国へと転落した。現在、新興国群BRICsの南米代表はブラジルである。アルゼンチンが豊かだった頃、その旅客鉄道網もまた南米随一のものだった。ところが国が傾くと共にこれも崩れ去り、今では他の南米諸国と余り変わりのない状況である。そして先述の通り、現在南米一の大国はブラジルである。しかしそのブラジルも道路優先・バス優先で旅客鉄道網は非常に貧弱である。このことはブラジル社会に深刻な歪みが潜み、それを是正させようとする力も弱く、またアメリカとは異なり鉄道網それ自体が貧弱であることは、近代国家としての歴史や伝統とそれに伴い蓄積された社会に於ける資本や文化が欠如・欠乏していることを示している。したがってアメリカのような底力をブラジルには期待することが出来ず、脆弱で破綻リスクの高い国や社会であることを示している。

鉄道と国民性

 鉄道を通じて国情を垣間見ることが出来るのは以上見てきたとおりだが、より深く、国民性、社会の成熟度と云ったものも、この鉄道と云う交通機関を通じて覗き見ることが出来る。繰り返しになるが、鉄道は余程の大量の物資があるとか、人口が過密であるとか、そう云った特殊な事情を抱えている場合を除いて、無理矢理に道路と航空に転移させることが可能である。したがって人々の思考が単純的で二元論的な色合いが濃く、また、福祉的人権感覚に乏しく、強者の自由が横行して「弱者」にその皺寄せを強要するような国民性に支配された社会では、先述の「特殊要因」が無い限りに於いて、総じて旅客面で鉄道は苦戦している。アメリカとヨーロッパの違いはここにある。

 アメリカでも、人口密度が比較的高く、また伝統的に民主党/リベラル層の強い北東部だけは例外的に旅客鉄道が盛んだが、それでもヨーロッパや日本と比較して設備が古く貧弱な部分に、そう云ったアメリカの国民性・社会性と云うものが良く表れている。アメリカの長距離旅客輸送を一手に引き受けているアムトラックは、基本的には日本で云うJR貨物のような、線路を借りて使わせて貰っている立場だから、アムトラックの努力だけではどうにもならない部分も多々あるのだが。

 道路があるのだから、自動車やバスがあるのだから鉄道は要らないだろう、迅速に移動したい人は飛行機に乗れば良いのだから、鉄道は要らないだろう…そのような単純的思考に支配された底の浅い社会では、高所得者と低所得者に代表される二極分化と利己性の進んだ、歪んだ構造の社会となり、治安や世情も悪化傾向を強めることとなる。鉄道はある種の社会還元策であり、格差是正や社会安定性獲得のための手段でもある。例えば最近、ロサンゼルスでは漸く鉄道網が整備されつつあるが、これも道路渋滞改善策としての側面の他に、低所得者層居住地の風紀を改善させることがその目的となっている。同じアメリカのポートランドやブラジルのクリチバもまた公共交通機関を中心に据えていることで人間環境の良い都市となっている。クリチバは鉄軌道ではなく高度なバスシステムを採用しているが。

 鉄道の速達性は、バスと飛行機の中間に位置する。中間層がしっかりしている社会では、同じように旅客鉄道もまたしっかりしているところが非常に興味深い。社会が極端な思考にぶれないから中間が生まれ、また中間が拡充されてしっかりしているから、極端な方向性へぶれないわけである。社会的豊かさは、極端の排除と中間の拡大によってもたらされてきたのだ。

鉄道と云うトリクルダウン装置

 JRの中でもとりわけ北海道は深刻な問題を抱えている。軌条(レール)を使う鉄道だけに、このことと北海道の衰退は、軌を一にしている。しかしJR北海道にあっても札幌-釧路間の特急「スーパーおおぞら」は、石勝線の火災事故や道東道の順次開通前は、絶好調であった。従来、4時間半掛かっていた所要時間を在来線高速化事業によって一挙に3時間半にまで短縮したからである。度重なる不祥事により現在では最高時速を下げる措置が取られているが、それでも4時間で到達する。

 釧路へ行く選択肢に鉄道が入ることで、釧路が行き先として選ばれる可能性は急速に拡大する。高速バスに5時間以上揺られるのは、やはり辛い。飛行機は、いざ乗ってしまえば早いが、心理的壁が存在し、事前購入出来なかった場合の運賃はかなり割高なものとなる。鉄道が第一の選択肢に入ることで、観光であれ商用であれ、旅行に対する気軽さ、気安さと云うものを人々にもたらして、移動自体が活発化し、社会の活性化が図られる。このことは北陸新幹線開業後の金沢の盛況ぶりにも現れている。北陸新幹線は北陸に対する需要、眠っていたポテンシャルを大いに喚起させた。

 また、札幌-釧路間の特急の利用者が増えることは、その間にある沿線各地にも、鉄道路線の維持、地域輸送の確保と云う観点から意義深いこととなる。両端に大きな需要が生じることで、くまなく中間にもその利益が及ぶところに、鉄道の一つの特長と云うものが現れている。要は鉄道にはトリクルダウン効果に近いものを生み出す性能があるのだ。

おわりに

 結局のところ、鉄道が未整備な状態であると云うことは、地域や社会全体の進歩や発展に、一極集中や二極分化と云った歪みを生じさせて強靭化や成熟化を妨げ、しかもその歪みは拡大する一方であると云うことを意味する。

 鉄道網がどの程度発達しているのか、線路がどの程度整備されているのか、事故や定時性はどうか、列車を速く走らせることは出来ているか、高速鉄道だけでなく在来線の状況はどうか。それらの要素を探ってみることで、国や地域の状況と云うものもまた、見えてくる。鉄道は社会を映す鏡なのである。


興國演義 表紙
uploaded 2018.0303 by 山田系太楼どつとこむ
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