人の世を構成する三要素は、金・土地・理念である。この三つが時として互い違いに絡み合って、人の世は構成され、動き回っている。うごめき回ってもいる。土地の側の人間が理念と結んで金の側になったり、金の側の人間が理念と結んで土地の側の人間を演じたりすることも、原理的に有り得る。起こり得る。したがって、あの人は右派なのにこのように振る舞うこともあるし、この人は左派なのにあのように振る舞うことも、ある。それは不思議なことではない。人の利益、行動スタイル/パターンは、取捨選択された理念によって決するからだ。それゆえに最も大事なものとは、理念である。理念によって金も土地も、如何様にも使われることになるからである。









したがって宗教が理念の部分を最も代弁するのはとても自然なものであるし、それが宗教の第一の役割でもある。しかし政治は、金と土地とを増やすことによって、つまりは国民生活を物質的・可視的・認識可能的に富み豊かなものとすることに、その役割がある。それゆえに幾ら理念が第一に大事なものであるからと云って、そこに溺れて、理念の実現を第一に励んでいては、政治の原則から逸脱をすることとなる。これが政治の宗教化であり、広い意味での「政教一致」状態と云うことになる。某党ではないが、またその党を指揮した人の師匠筋の言葉ではないが「国民の生活が第一」。これが政治の基本だ。政とは、民の生活の安寧を図ることにある。しかしそこに理念のコーティングが無ければ、バラバラの政策が無駄に展開されるだけともなる。






中国の躍進が世界史に大きな影響を及ぼしていることは間違いのないことである。嘗て宗教化した政治、神と化した人間の手によってその名も「大躍進」政策が展開され、案の定華麗にスっ転んだ中国だったが、「白猫でも黒猫でも鼠を取るのが良い猫」のケ小平が最高指導者として君臨してからは、本来の政治の姿に立ち戻り、忽ち近代化・大国化を果たしてしまったものである。








尤も、毛沢東が理念一辺倒の人間だったのかと云えば、それは疑問である。彼にとって理念は白猫であり黒猫だったのだ。即ち、権力を奪取し、これを維持するために有益な理念こそが彼にとっては最も重要なのであり、それが共産主義であったのだとも云えよう。理想に燃えた若い頃の自分を免罪符として自己消化しつつ。

毛沢東の失敗を挽回したケ小平以後の中国の発展はアメリカ資本の力によるところも大きい。何度も崩壊危機が叫ばれながら安定性を維持しつつ大発展を遂げた現代中国の成功は、世界の「金」を拠り所とする人々の意識に大いに影響を与えた。即ち、自由で民主的な政治体制を採らなくとも、否、自由で民主的な政治体制を採らない方が、経済発展を遂げるのではないのか、自分たちがより金儲け出来るのではなかろうか、と。

そもそも近代国民国家の誕生とその後の自由化・民主化の流れは、民衆に一定の権力を付与させて当事者意識を持たせることで国富の増進を図る狙いがある。民衆を一人の国民として、消費者として成長・成熟させることが自分たちのビジネス展開に有益に作用すると云う理念の下に、自由主義・民主主義国家は発展したのだ。そして近代国民国家の下で民衆は国民として、或いは市民社会の担い手として肥育されてきた。

しかしそれが今や足枷にしかならないと云うことを彼ら「金持ち」が悟ったとするなら、現体制は可及的速やかに衰亡の方向へと導かれることになろう。主権国家は尚、世界を構成するプレイヤーであり続ける。が、しかし、固有の領土と国民性に縛られた主権国家の限界性は明白であり、超世界的な方向へと人類が進むのは、必然なのかもしれない。



第1話 TPP、私たちの希望。
はじめに

 TPP(Trans-Pacific Partnership=環太平洋パートナーシップ協定)は、2016年2月に署名されたが、その後、これに反対する立場のドナルド・トランプがアメリカ大統領に就任したことから、未だ発効段階には至っていない。アメリカの離脱によりTPPは終わりかと思われたが、日本も主導役となってアメリカ抜きでのTPP発効を目指す動きが活発化している。アメリカでも日本でも左右両派からTPPは評判が悪い。これは国民生活の悪化や、国家主権の浸食等がTPPの内容に含まれているからである。

 民主党政権時の自民党は安倍晋三現首相含め反対に回っていたが、政権奪還後は一転して、主導側へと回っている。TPPを巡っては安倍政権支持者の中でも応対が分かれていることからも想像の付くとおり、本来的には野党時の自民党の対応、即ち反対に回ると云うことが、彼らの強調する「保守性」「愛国性」の観点からは自然なものとなる。それにも拘らず、安倍政権は何故これを強力に推進したがっているのか、これは無論彼らの支持層でもある財界の後押しもあってのことだが、それだけではあるまい。寧ろ、安倍政権にとってはこれを推進することの方が、彼ら本来の性質に合致しているとさえ思うのである。

TPPは第3の開国だ

 TPPはしばしば、ペリー来航に始まる幕末維新、1945年の敗戦による民主化に続く「第3の開国」なのだと評されてきた。これは全く適切な物の見方と云うもので、TPPは日本社会の有様を根本から変える革命的事業と云うことになるだろう。TPP反対派もこの革命的転換を、惨憺たる状況変化が容易に見込めるのだと云うことで大反対の拠り所としているわけだが、しかしペリーを飽くまでも拒絶して、またはハリスの恫喝を突っぱねて、或いは勅許に拘って日米修好通商条約を締結していなかったならどうなっていたか。

 古き良き日本社会は、先ずは守られたであろうが、近代化への船には乗り遅れる結果となり、その古き良き日本社会も数十年後、津波に襲われるが如く根こそぎ壊滅的な被害を蒙ることになったであろう。日本社会は不平等条約でもあった日米修好通商条約以下の諸条約によって、国民生活は破壊され、それは社会秩序の崩壊にも繋がった。しかしそこから幕末維新のダイナミズムが生まれたこともまた事実である。一部に於いて半植民地化された部分はあったが、全体としては植民地化されずに済んだのは「妥協」しておとなしく開国したからである。頑なに横柄な態度を取り続けた清や朝鮮はその後どうなったか。そう考えると、「保守」「愛国」の安倍政権のTPPへの推進態度と云うものも自ずと理解することの出来るものとなる。倒幕維新新政府の「長州」を支持母体に持つ安倍政権が現代版日米修好通商条約であるTPPに賛成するのは寧ろ、自然な成り行きなのである。

日本を取り戻すTPP

 TPP反対派は、TPPが発効すると外資/多国籍企業がこの日本に来襲して好き放題に振舞うようになり、日本国民はこれに隷属することを余儀なくされ、社会は壊滅すると主張する。この主張は一面に於いて正しい。TPPの肝は、関税の撤廃ではなく非関税障壁の撤廃にある。一言で表現するなら、日本社会特有の商慣習等を改めて、アメリカ型のものと合致させると云うことだ。非関税障壁には言語的な部分も含まれるから、あらゆる場面で日本語と英語の併記が要求されることにもなろう。しかしこれらの生みの苦しみを経て、日本人の国際的競争力は、倍増される。

 TPP反対派を眺めてみて思うことは、なぜそこまで悲観論に陥るかと云うことである。確かにこのまま日本に留まっていては、今までのような生温い環境下で生きてゆくことは不可能となろう。しかしTPPによって非関税障壁が取り払われ、「国際化」されることで、アメリカ市場があたかも日本国内のようになるのである。この先、日本は少子高齢化が一段と進む。しかしながら移民受け入れは拒絶している。1億2000万人を誇る総人口は9000万、そして6000万人へと激減する。

 ところがアメリカはどうか。現在3億人超、西側先進国随一の人口を誇るアメリカだが、西側先進国で唯一、将来に亘って人口が増加基調なのである。TPP体制に順応した日本人が海外、特にアメリカに進出して経済活動を行うことで、痩せ細るジリ貧の日本で失われた財産を、彼の地にて取り戻すことになるわけなのだ。日本を、取り戻す…正しく自民党の選挙スローガンそのものではないか。アメリカへ打って出ると云う発想が出てこないものか。無論、皆が皆、そのように出来るものでもない。アメリカで稼いだ人間が日本国内へその一部を還元させる仕組み作りは、必要である。

TPPは土地中心から人中心への大転換だ

 人類は元々、移動しながら生活していた。今日まで遊牧民として存続している人々も存在するが粗方、農耕化による定住化が図られている。土地と云う概念が厳密になったのは、農耕化による定住化が図られてからである。遊牧民の土地に対する概念は、それに比べて遥かにアバウトなものだ。土地に縛られる要素の希薄な遊牧民には、国境と云う概念もまた希薄だ。国境を管理するために遊牧民の定住化を図ったり、或いは遊牧民にだけ越境を認めるようなケースもあると聞く。

 いずれにせよ農耕社会の確立によって人は、土地に縛られる存在となったわけである。基本的には古代国家から近代主権国家に至るまで、強弱・濃淡の差はあるが、国と云うものは土地の上に成り立つ性格のものである。社会変革は、必ず土地をどうするのか、と云う観点から進められてきた。後三条帝の荘園整理は、摂関政治終焉のエポックメイキングを告げるものであった。武士の世に於いて土地は主従関係の基礎を成した。イギリス産業革命発生の古典的理解としては囲い込みによる余剰労働力の創出と云うものもあった。アメリカ南北戦争は南部の大農場に縛られた奴隷を、北部工業社会へと組み込みたい流れに於いて起こったものでもあった。GHQによる戦後社会の民主化工程では、農地解放がその眼目となった。国共内戦で中共が国府に大勝した理由の一つには、土地を「解放」して農民の支持を集めたことがあった。共産主義は土地と云うものに最も拘った考えなのかもしれない。

 資本の論理が土地に縛られることを嫌い、反資本の論理は土地に縛られようとするところは面白い。これは人間の本質を、或いは人間社会の本質を、遊牧面に求めるのか、農耕面に求めるのかの違いでもあろう。また、左派だから土地に縛られていて、右派だから土地には縛られないと云うわけでもない。左派的文化人は総じて「国境のない世界」を夢見てきた。地域共同体を重要視する右派はとりわけ土地所有に拘りを見せる。資本の論理の許容度合いによって、土地に対する意識や態度も変わるのである。

 TPP体制下では、日米間の国情の違いと云うものは相当程度消えることになる。産業革命の頃のように、人々は土地から「解放」されて、身一つで動き回るようになる…否、そのようにさせられるのである。TPPは日本と云う土地から私たちを「解放」する。日本では従来より農村と都市間の人の流れは自由化されている。農村出身者が簡単に都市住民になれる。しかし中国では、農村戸籍と都市戸籍に分かれている。今の日米間の関係性はこのようなものだ。それがTPP体制下に於いては、日本国内の農村と都市の関係のような性格のものへと変容することになろう。非関税障壁が撤廃されて世界化・アメリカ化することで「自由の身」となった日本人は、アメリカと云う巨大な青い芝生を手にすることとなるのである。

正常な精神性は感情ではなく理性に依拠する

 「精神力」と聞くと何か捩り鉢巻きでもして困難へ突き進むようなイメージを抱きがちである。如何にも、精神力とは感情的なもののように捉えがちだが、それは異常性精神力であって、本来的な正常性精神力と云うものは、感情ではなく理性、即ち知性と静謐な心根とに依拠するものである。即ちそれは、頭の問題であり、最終的には頭が心を制御することが出来るか…と云う問題となる。

 もし現下の日本の状況のままで、より正確に述べるなら現下の日本人の精神状況・精神構造のままで、TPP体制下に組み込まれたならば、TPP反対派が喧伝するとおり、日本社会は破滅的状況へと追い込まれる可能性は相当程度、高いと云わざるを得ない。それは、どれだけ節約して安い生活コストで便利に過ごせるかどうかが、「賢い消費者」のバロメーターのように機能しているからである。品質や哲学よりも、価格面や利便性を絶対的指標とする傾向が強ければ強いほど、TPP体制の波には乗れずにただただ呑み込まれてしまうだけの存在に堕するであろう。

 例えば多少高くはなるが、臭素酸カリウムを使って手抜きをしている安いパンではなく、そんな添加物には頼らずに…臭素酸カリウムどころかイーストフードさえも使っていない…きちんと手間を掛けて作られたパンを買っているかどうか…こんな些細なこともその試金石となる。国産小麦を使ったパンをなるべく買うようにしている…そんな心掛けがTPPを克服する第一歩となり得る。或いは日々の生活や旅行の場面で、自家用車を乗り回さずに公共交通機関を使うと云った、利便性第一の思考/志向から脱却した態度が、TPPを克服するためには大切なものとなる。

 TPP体制下では、関税が撤廃されるから輸入品は一段と安くなる。加えて、例えば「添加物を使っていない」とか「地球にやさしい」とか、「国産品である」と云った謳い文句が「非関税障壁」であると見做されて、規制されることになるだろう。私たちの側から情報にアクセスをして確認をしなければならなくなる。つまり、私たちの側にそれらの価値を尊ぶ精神性が内包されていなければならないのである。悪貨に良貨が駆逐されないためには、高い精神性を持つことと知恵を持つことである。例えば、日用品であるなら猶更だが、安物を購入するのを一回休めば、次に少し高価なものでも買えるようになる。毎日の生活習慣が結局は、社会と云うものを形作るのである。

 左派の人間は規制を作りたがる。規制によって社会の安寧をもたらすわけである。しかしその安寧は、規制の力で強制的に守られていることにより達成されたわけであり、私たち自身の人間性や人間力が向上することにより、社会の安寧が守られているわけではない。寧ろ私たち自身の精神的成長はそれらの規制のせいで妨げられているとさえ云える。左派の人間が宗教を軽視ないし無視する理由もそこにある。規制さえ敷けば、どんなにダメ人間が溢れても、社会が大きく乱れることはないからである。

 しかしあらゆる既存の規制を撤廃し、或いは特に知財分野では顕著だが、新たな規制を敷く側面もあるTPP体制下では、私たちの精神性と云うものが試される。私たちが意識を高く持って、価格や利便性に拘らない心根を持つのであれば、TPPのデメリットはメリットを下回ることになるだろう。しかしそれらに流されるようでは、確かに、社会は壊滅化する可能性が極めて高い。それゆえにきちんとした教育を施すことが重要な鍵となるのだ。「「君が代」を大きな声で歌うから愛国心があります」的な表層的なものではない、真の愛国心と云うものが、「土地の縛り」から解放される世では、却って求められることにもなるのである。

おわりに

 TPPとは正しく、私たちにとっての「希望」である。TPPから得られるメリットがデメリットを上回るかどうか…それは私たち自身の精神性に係っている。人間性・人間力に依存している。

 現在のところTPPは発効していないが、しかし二国間協議等によって社会のTPP化は確実に進行している。TPPの魅力はその包括性にあった。包括性があればあるほど、多国籍企業だけではなく中小企業や一般の日本人が活躍することの出来る素地が広がる。しかし二国間協定の色が濃くなるほど、包括性は減じられるから、そのことにより利益を得るのは多国籍企業ばかりと云うことになりかねない。結局のところTPP化が進むのであれば、きちんとTPPを導入した方が良いのだ。

 「希望」と云う文字を、文字どおり解釈するなら、「希な望み」となる。TPPが日本にとって良き果実を結ぶものになるかどうかは、正に、現下の日本の状況を鑑みれば、非常に希な望みと云うことになろう。しかし日本に住む人々の精神性が低いからと云って…そのせいで厄災ばかりがもたらされるからと云って、TPPに反対することには、精神性と云うものを尊び、これを重視する立場からは、甚だ遺憾であると断じざるを得ない。TPPの荒波が日本人を、日本社会を大いに成長させ、飛躍させる格好の材料となることだけは、間違いのないことである。


興國演義 表紙
uploaded 2018.0201 by 山田系太楼どつとこむ
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