世田谷区議会議員上川あやさん
2004/01/18@立教大学
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立候補は、究極のカミングアウト

 これからは女性として生きていくことに決めた上川さんは、裁判所に申し立てを行い、名前を変えます。が、性別までは変わりませんでした。

「私の書類上の表記って、いっつも“あや・男”だから(苦笑い)、どの書類もやっぱり実質的に使えないって思ってた。確かに制度の上では使えても、人の心が邪魔をするのね。多くの人が身分証明の手段に使う運転免許証には性別欄がないんだけど、私は運転免許を持ってないから、身分を証明する方法がなかったんですね。結局、ビデオレンタルの会員にすらなれなかったんですよ。親に迷惑かけたくないから家を出る、って決めて、賃貸契約をしようにも、住民票がいる。住民票にも“男”って書かれている。私、2時間泣きながら不動産会社を説得して家を借りたの。やっとのことで住み始めて・・・周囲の人は何も気がついて無かったと思う。単に女性が引っ越してきたって思ってる。それから女性として4年間働いた。経営者も同僚も私の過去の事情は知らなかった。履歴書に“女”って書いたら、そのまま信じるだけだから。でも「正社員に」って言われると断ってきた。なぜかっていえば、社会保険には性別欄があるから。私の過去と現在の間にはどうしてもひっかかる溝があるって思ってたから・・・年金手帳も雇用保険も、ケガをしたときに下りる労災保険も、国民健康保険とかも、会社の企業年金とかも全部、性別が引っかかるんですよね。だから・・・人を安定させるための社会の仕組みそのものが、性を変える人の存在を想定してないから用をなさないものとなっていた。制度そのものが刃を向けてきた」


 保険証を持っていくとトラブルになるからと、地元のお医者さんにも行ったことがなかったという上川さんは、選挙にも行ったことがありませんでした。入場券には性別欄があり、それを目にするのは、近所の人たちかもしれないからです。そんな状態から政治の世界へ入ろうと決意したそのきっかけとは・・・?


「社会の制度は、大方の人に対してはやっぱり使い勝手がいいようにできてる。でも、それはマジョリティに対してであって、いろんな状況で、さまざまな選択で結果として多数派に属さなかった人たちには使いにくいものって、たくさん存在してるはず、なんですよね。困っているなら“困ってるって言えばいいじゃない?”って思っても、それすら差別を受ける可能性を持つ人には、簡単じゃないんですよ。だから私も、困ってたのに「困ってる!」っとは表向き言えなかった。それを口にすることで更なる逆境に置かれてしまうの怖かったんですよ。日本では96年に埼玉医科大学がいわゆる「性転換手術」の研究していることがマスコミに取り上げられて、98年になって初めて公式の手術が行われた。それ以降は、国立大学だった岡山大学の付属病院でも扱うようになって、最近では札幌医大、大阪医大にも広がりを見せています」


「実際、性同一性障害って言葉で認識されだした歴史は非常に浅いんです。医療機関が増えてきたけれど、現状で十分とはやっぱり言えなくて、実際には長い期間にわたる経過観察が必要で、書類とは逆の社会生活を送れると証明してみなさい、ってことを求められる。こうした過程を証明し、力を貸してくれる医師すらそんなに多くないのが実情なんです。だから、飛行機に乗ってでも診察に訪れる人がいる、アルバイトのお金を叩いて新幹線に乗って定期的な診察を受けるって人がいる。ホルモン療法を受けたとしても、万能な薬じゃないわけで、個々人がどこまで変わるのかはわからない。ましてや手術だって、国内で男性から女性に変わるには100万以上はかかるし、男性に変わる2回の手術には、4、500万を見込むべきかもしれない。そしてこの手術には健康保険も利かないんです。こうした数多くのハードルをようやく乗り越えて、体の性を自分の心と調和させた人たちが、各地の家庭裁判所に一斉に性別訂正の申し立てをしたんですよ。個人の実生活と、制度上で与えられている書類上のたった一文字のために、こんなに暮らしにくいのはおかしいっていうのは、自然な願いであるはずですけど、でも日本の裁判所はどういう判断を示したのかといえば一斉申し立てをした人に対しては、全部却下だったんですよね」


---理由は? なぜ?


「法的に、変えてあげられる余地がないという判断なんでしょう。結局、現行の法制度の枠内では限界があるっていう消極的な判断です。私自身も女性として社会生活を送る上で、書類の性別が大きな障害になってきた。だからハローワークに掛け合ったり、社会保険事務所に直接出向いて善処を求めたこともあった。でも、一人が訴えても行政の対応は変わらなかった。「そういった運用になっていない」「前例がない」っていうことだけが理由だった。なのに司法に訴えてもやっぱり変わらなかったという事実に打ちのめされた。司法判断は最高裁でも同様でした。行政もだめ、司法もだめ。じゃあどうしたらいいのって考えると立法だけしか残っていなかったんですよね」


 仲間たちと陳情のため国会へ出かけていくようになりました。多くの議員と面会をしていきました。その中には、薬害エイズ原告団の中心人物・民主党の家西悟氏もいました。


「すごく真剣に聞いて下さったんですよね、何時間も。で、彼はすごくシンパシーを持って多くの熱い言葉をかけて下さったんですよ。彼の言った言葉はすごく考えさせられるものでした。「こうやって議員に働きかけるってことも必要だけれども、この問題に対して社会の意識が高まっていかないと、なかなか動かないよね」って。そうじゃないと、国会も議員もなかなか動かないっていうことをおっしゃったんですね」


 家西氏の言葉を自分に照らし合わせて考えていたところに、知人から思いがけない言葉をかけられます。


「「あなたも議員になればいい」って話があって。初めは「まさか」って言ってたんだけど・・・でも自分の心の中では“待てよ”って考え始めちゃったんですよね。議員になるなんて考えたこともなかったし、政治に対しては不信感すらあったほうだと思うんです。でも自分らしく生きようと懸命に努力してきても、やっぱり社会の側の制度とか、人の心の壁が変わらないと、どうしても生きていくことが困難だという実感があった。常に社会の壁に直面してたわけですよね。実のところ、正社員にもなれず常にリストラの最前線で仕事をしてたし、常に制度の抜け道を探して、自分の生活を何とか守ることに汲々としてた・・・。一方で政治の世界に出ることってどういうことなのかなって考えたら、社会に自分たちの存在を訴えることでもあったし、政治の現場に届かなければ変えられない問題の所在をはっきり届けられるかもしれないと思った。偏見変えてくためには、リスクはあっても顔や声を晒す必要があるんだと思ってました」


 それまでは、取材に応じるときでも顔写真はNG、声も加工してもらって・・・という状態。立候補をする・・・それは社会に自分を晒し尽くすことを意味します。その一大決心を、家族や友人たちの励ましが後押ししたのです。


「「当選しなかったとしても、すごく意味があることだ」って言ってくれた。「でも、友だちであるあなたが、社会のいろんな目に晒されるってことを考えると、複雑な心境だよね」って。家族はなんて言うのかなって思ってたら、うちの父親はすごいポジティブだったんですね。「社会の偏見は、1回や2回の選挙じゃ変わらないかもしれない。でも誰かが訴える必要があるだろう、おまえが正しいと思うんだったらやればいい」って。私の彼も、性同一性障害の当事者なんです。彼も自分らしく男性として仕事を続けてきて、二人でアルバイトしながら支え合って暮らしてきてた。不安定な仕事から手術の費用を一生懸命貯めていたのに、彼も片手間じゃ手伝えないからって、仕事辞めて、手術のためのお金を選挙費用の足しにと出してくれました。親や友人にも頭下げてお金を借りて、それで選挙に出たの。私、それまでは男性だった過去は絶対人に知られたくないって怯えてのに、「私はかつて男性でした」っていう一言から街頭で話したんです。そう言えばちゃんと振り返ってもらえたから」


「初めはすごく驚かれました。上から下までなめ回すように見られたり・・・正直をいえばやっぱり辛かった。でも、少しずつ周りの空気が変わってくるのが私もわかった。差し入れを下さる方なども現れて「あったかいコーヒー、あのお姉ちゃんに持っていきなさい」ってお子さんから渡して下さる方がいた。トラックの運転手さんが「あんた頑張んなよ」と、車を止めて声をかけてくれたりしたこともあった・・・そういうことが増えていって、多くの方がボランティアの方がボランティアとして力を貸してくださったんですね。最終的には200人くらいの人がボランティアとなってくださったんです。たぶん一番世田谷区でお金がない選挙事務所だったんだけど、でも一番贅沢な選挙をさせてもらったのだと思います」


 上川さんは5024票を獲得、6位当選を果たしました。


声を上げられない人の声を汲み上げる

 晴れて議員になった上川さん。事前に抱いていたイメージと比べてみて、議会の印象はどうなのでしょうか。


「議会に入った初日は「あー、あれがマスコミでばんばん報道されてる上川さん」っていう感じで遠巻きに見られる感じがあったんですけど、接して実際に話してみる上川は、結局のところ多くの共通点をもつ一人の人間でしかないってことを多くの方が感じてくださったように思います。議会事務局も、その他の各所管の職員の人たちも、同僚議員もごく自然に接してくれてます。これまで一人の区民として「困ってます」と行政の対処をお願いしに行っていたときと今とでは、相手の反応が大きく異なります。特に問題が議会に持ち込まれる場合には対応のレベルが大きく異なるという印象があります。こういった区民対応の鈍重さというものは基本的に今も払拭しきれていない問題だろうと思います。対応議会という言論の府に問題が持ち込まれ、公の議論に乗ることになれば、区の見識が厳しく問われることになります。出方次第では自分たちが多数の方々からの批判の矢面に晒される立場になるわけですよね」


 議員になってから上川さんが力を入れている活動の一つが、オストメイトの人たちに対する環境整備です。オストメイトとは、人工膀胱や人工肛門を付けている人の国際的な名称のこと。直腸ガンや膀胱ガンなどが原因で排泄機能を損なってしまったときに腹部に穴を開けて、そこに医療用の袋を付け、排泄物を受け止める・・・俳優の渡哲也さんがオストメイトであることはよく知られています。


「渡さんの勇気によっても、少しは認識が広まってるってとは思うんですけど。オストメイト用の舗装具は服の上から見ただけでは、なかなか気がつかれないんですよ。だから舗装具を着けるようになったことを周囲には明かさない方も多いんです。お腹につけた袋で排泄を受け止めていているわけですけど、生きてる限り、排泄って必ず必要ですよね。健常であれば括約筋を使って便意をコントロールできるけれども、オストメイトの人たちにはコントロールできません。普段、会社で仕事をしていようと、友だちと会ってお茶を飲んでいる間であろうと、排泄物は溜まるんですね。そういう人たち舗装具をきちんとケアできるトイレが世田谷にあるのかっていうと、世田谷では、私が議会で取り上げるまでは小田急線の改札の中、2ヵ所だけだったんですよ」


 実際にオストメイトの人に話を聴きにいってみたところ、事の深刻さ・切実さがひしひしと伝わってきたといいます。


「7割以上の人が出かけた先で排泄のケアをするんです。医療用の接着剤で袋はつけてるけれども、自分の取りたいときだけ外せて、それ以外に外れないかっていうと、出先で思いがけず外れて、洋服が汚れたりした経験を持ってる人が半数以上なんですね。だから明日、人と会うってときに、絶食をする人がいるって言うんです。食事を制限してトラブルの可能性を小さくしたいということなんです。あるいは洗腸っていって、(お腹の辺りをさして)手術で作った腸の出口から水を入れて中を洗い、内容物を洗い流す方法もあるそうです。この方法は体質に合わなくて非常に苦しむ人もいるということなんだけど、そういいったさまざまな対処がオストメイトになった当事者の側だけが背負う形で行われているわけです。でも7割の人が、外で排泄のケアするって言いましたけど、それに見合う施設は無いわけです。ではどういうふうにやってるのかというと、排泄物ですから・・・手を洗うところで流すわけいきませんよね。で、だからトイレの便器に中身を捨てる・・・でも排泄を任意で調節できませんから1回付け直すことも必要です。トラブルに見舞われたらその袋を洗って付け直す必要も出てきますが、手を洗うところでは袋を洗えません。お話をお聞かせくださった方によれば、トイレの水を何度も流して、その中に手を入れて洗うほかないんだそうです。それに一般の公衆トイレでは狭い室内で汚れた服をどうやって着替えるかってことも問題ですよね。でも(そういうふうに)困っているから、ちゃんとケアできる流し台を作ってくれって言いたくっても、服の上からは気付かない人工肛門や人工膀胱を告げなければならないと考えると、それだけでも重たいハードルになるんです。だから困っていても、容易には声が上げられないことも自然なんです」


 ところが、そういう深刻な状況を区の人たちに話してみても、「そんな要望は聞いたことがない」と、にべもなく言われてしまうのでした。


「区の担当所管にたずねると「聞いたことがない」という一言。じゃあ何もやらなくていいっていう判断は違いますよね。声が聞こえないなら存在しないんじゃないんですよ。本当に困ってるっていう方は存在しているけれども、病気や排泄にかかわる悩みでは、なかなか声が上げられない構造があるってことを想像できないから、そんな発言になるんだろうなって思うんですよね。でも、翻って考えて、障害者統計には内部障害としてカウントされています。区内に500人近いオストメイトの方々がいるんですよ。それにオストメイトの袋、福祉制度上の交付対象なんですよ。だから、何人いるかって把握はしてる。そういう人が抱えてる問題の特性を考えたら、普通のトイレじゃ困るなって、勉強すればわかるのに、「声がないですね」って、終わらせちゃう」


 これは絶対におかしいと思って議会で取り上げたところ、オストメイト用のトイレが区役所に付くことに。


「付いたけれども不十分。オストメイト仕様のトイレには、一目見てそれと分かる標準化されたサインがあるんですけど、そのマークの表示、区役所ではしてないんです。私、これもう、証拠写真撮りました(笑い)。 今度議会で取り上げるつもりですけど。どこにオストメイト仕様のトイレがあるのかわからないような表示の仕方してても、しょうがないでしょう。何十ヵ所とある、区庁舎のトイレを1個1個ドアを開けて探さなきゃいけないトイレなんて、本来おかしいじゃないですか。結局言われたから設置しただけ。当事者の視点になんか、立ってないんですよね。実際の使い勝手とか、必要な配慮とかだって、声が上がらなくとも設置する側の対処として聞くくらいのことはすべきじゃないかって、私は思うんです。こういう基本姿勢については、議会の質問でも既に言ったんですけどね。このオストメイトへの区の対処から見えてくる問題点は、庁舎を管理する所管だけに限られたものではありません。みんなに聞いて欲しい問題点であって、行政に携わる側、全体に求めたい姿勢です。データというヒントを役人が握っているのであれば、実在する当事者に声を聞きにいくくらいの姿勢を持って、事に当たって下さいって言ったんですけど」


 想像力を研ぎ澄ませ、まだ聞こえない声の発信元へと飛び込んでいく。そして、そこで拾い上げた声を、多くの人々へ向けて上げていく。当選時には並みの国会議員以上の注目を集めた上川さんですが、自分なりの目標・課題を見つけて、こつこつ地道に議員活動に取り組んでいます。


「自分なりに足を運び行政に訴えてみても、なんでこんなに対応が変わらない?んだろうともどかしく思った経験がバネになっています。議員っていう立場になって、心に感じる疑問を公の議論に乗せることができるようになりました。一人の議員ではあっても、議員として自治体の意思決定に対し、正面から発言できる意味は大きいと思います。一人の議員の議会質問であっても、議論としてどちらの側に分があるのか、公の論戦で問われることは、行政にとっても非常に大きなプレッシャーであることは確かだからです。議会の議決を要する議案については、多数決の論理がことを制します。この点、一人の人間、一人の議員として、ほかの議員とどう繋がっていくか課題もあります」


「また一方で、私が多く取り上げる社会の少数者の問題が多数決によって決められるという矛盾も感じています。こうしたなかで私が議員活動していく上では、他者の中に刷り込まれたイメージを、ある意味払拭していかなければいけないとも思っています。“あ、こいつはバカじゃない、色物なんかじゃないんだ”って、一目置いてもらわなきゃいけないって思って活動してきました。議会活動をはじめた昨年、私のテーマは、基本的にどの質問でも、区側の対応にYesを取ろう、だったんですね。幸いにして、世田谷区は議員一人あたりの持ち時間は基本として平等ですから一人で活動している私でも質問機会は多いんですね。議会での公式の質問機会では議論でまず所管に負けないくらいの勉強をしてデータと実際の声を揃え、理論武装のうえでいます。絶対やらなくちゃおかしいっていうことを認識してもらって、“あ、こいつはバカじゃない、色物なんかじゃないんだ”って、一目置いてもらわなきゃいけないって思ってます。でこの秋は私は全部で7回、いや8回質問したのかな。私としては取り上げた全ての質問で前進を果たせたと思います。かつては明らかに私をバカにしてるような態度の人、私の周りにもいない訳ではなかったんですけど、こうした活動を持続させるなかで見る目が変わりました。面白いことにそういう人こそ、簡単に態度が変わるんですね。今後とも課題はすごくあるし、続けていくっていうことの難しさに眩暈がしそうだったりとかするんですけど、やっぱり、地道に一生懸命にやっていかなきゃなー、っていうふうに思ってます」(終わり)

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