世田谷区議会議員上川あやさん
2004/01/18@立教大学
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Profile:
1968年東京生まれ。
法政大学経営学部卒業後、都内の公益法人に就職、広報部門スタッフとして5年間勤務。
1995年、男性として働くことから来る極度の心労により体調を崩し、退職。 「自分には女性として生きることしかできない」ことを決心し、ホルモン療法など、性別移行の手続きを始める。

1997年、TNJ(注参照)の催しを通じて現在のパートナー (やはり性同一性障害の当事者) と出会う。

1998年、精神科医より「性同一性障害」であるとの診断を受ける。
同年6月、世田谷区へ転居。以降パートナーとともに区内に在住。

2000年1月より2003年5月までTNJ運営メンバーを務める。

2003年5月より世田谷区議会議員。(オフィシャルサイトより転載)
注 TNJ:Trans-Net Japan TSとTGを支える人々の会


性同一性障害とは・・・

「性同一性障害の性別の取扱いの特例に関する法律」の施行に伴い、2004年7月から性同一性障害の人たちが戸籍上の性別を変更することを、一部認めるようになりました。当事者にとってみれば一歩前進の出来事と言えそうですが、まだまだ不自由な状況に置かれていることには変わりありません。上川あやさんは、2003年4月に行われた世田谷区議会議員選挙に立候補して、見事に当選を果たしました。自らが性同一性障害の当事者である上川さんは、ありのままの自分を出していける社会、さらには性同一性障害に限らず、マイノリティーが快適に過ごしていける社会をめざして、積極的に声を上げています。性同一性障害という言葉は、最近ではかなり一般的になってきましたが実情はどのようなものなのか、自らの経験を踏まえたお話を伺いました。

「性同一性障害って耳にする機会って増えてるかもしれないけれども、じゃあ、いつからそういう言葉が社会に出てきたかっていうと、1996年頃なんですね。だから、そんなに昔のことじゃない。で、私、来週で36になるんですよ、あー、やだって感じだけど(笑い)。でも36だから、まあ、96年っていったら、もういい大人、だったわけですよね。で、社会人として過ごしていて、一人の市民として存在してはいたけれども、でも自分の内面というものを直視したり、それに言葉を与えることすらできなかった。自分がなんなのかわからないっていう状態だったと。で、今は性同一性障害って言葉があるから、ある程度の説明はしやすい。だけど、一つの言葉って、持たれるイメージとか、その定義とか、必ずしも全体をこうやって、含めて、表現できるものじゃないから、「本当の正確なところってどうなの?」っていうのはあるし・・・難しいんですけど」

一般的に性同一性障害は、心の性と体の性が一致していない状態だと言われますが、そう簡単なものではないようです。世の中には男と女の2種類の人間しか存在していないと思い込まされているのが問題だと上川さんは言います。

「性同一性障害って、心と体が一致していないって言われるわけですが、一つの見方として、まあ、誤りではないですけど、それだけじゃ足りないだろうなって私はすごく思ってるんですね。例えば、体の性別と心の性別が食い違ってるって言いますよね。で、体だったら、男と女があって私は男側にあった、心だったら、男と女があって、私は女側にあった・・・っていうことで、話の整理は一見つけやすいんだけど、じゃあそれは、性というもの、一人一人みんなが持っている自分の性っていうものを考えたときに、その二つの基軸を基準にものを考えて正確なのかっていうと、そうじゃない、と思うんですね」


「で、それを説明しないで、性同一性障害っていう一言だけで終わらせるだけでは、伝えられないことがあるなって思うんです。医学的に見ても、男と女って体の性を見たときに二つだけかっていうと、決して本当はそうじゃないですよね。例えば遺伝子レベルでXYっていう性染色体を持っていたら男の人が生まれる、XXだったら女の人が生まれる、ってまあ高校とかでは習うのかもしれない。でも、実際はXX,XYっていう2種類だけじゃない。これは染色体レベルの話。XXXとか、XXYとか、まあ、定型化されて考えられているものとは、異なる人も存在している。で、典型的でない場合には、クラインフェルター症候群っていう名前だったり、ターナー症候群っていう名前だったり、別な名前を与えられて、医学的には存在してもいる。で、染色体レベルでも、二つに分けるのは正確じゃない、と」


「で、もっと言えば、XYっていう性染色体を持っているから男だって思ってると、表面的には女性の体を持って生まれてきたりするんですよね。例えばそれは遺伝子の中で細かく見ていくと、SRYっていう部分があって、そこが欠損していると、女性になる。性器の形成に関わっている部分だったことが近年になってわかってきている。で、他にも例えばですね、アンドロゲン不能症っていうのもあるんです。アンドロゲンっていうのは、男性ホルモン。あの、性って、ホルモンを体が出しても、出しているだけではあんまり、それだけで意味があるわけじゃなくて、投げ手がいたら、受け手・・・レセプターが必要なんですね。そのレセプターが十分に働かない場合もある」


「だから、女性として一見疑いないような外部生殖器を持っておぎゃあと生まれて・・・染色体までは見ませんよね。おちんちんがあるのかないのか、で、男の子女の子って分けるけれども、女の子って分けられて、で、大きくなって、胸も出てきて、自分の性の認識も女性かもしれない、でも生理がやってこない、と。で、なんでだろうって検査に行ってみると、実際には「あなたの体の中には睾丸があります」って、突然宣告されたりする。それは、自分に睾丸はあるから、ホルモンは出てるかもしれない。でもレセプターがないと、性の分化っていう過程では女性側に分化してしまう、っていうことがわかる。まあ、体の構造からいえば、男と女って、二つの性器に分けきれないっていうのは歴然としていて」

生まれた瞬間に外見から男と女、どちらの性別なのかはっきりと峻別できない人は、二千人に一人という数字に上るそうです。

「でも、男と女って、どっちかに分けて学校では扱われるし、戸籍も届けるし、親も育てようとするし、迷う場合も多いから、大人が決めてしまうことがこれまで多かったんです。だから、ともすれば性器を、どちらかに恣意的に大人たちが選んで手術をしてしまう、それで届け出て育ててしまう。でも、大きくなって自分の自己認識、自我に目覚めたときに、与えられた、勝手にあてがわれた性別・性器っていうものが、心と一致するとは限らないですよね。だから、考えなくちゃいけないのは、男と女って、二つだっていうのは、思いこみ、ある意味幻想。一人一人の座標軸はどこにあるのか分からないってことですよね」

では上川さん自身は、自分の座標軸をどこに置いているのでしょうか。

「「私は女性だ」って、一応聞かれると表現するんですよ。それは今、女性として暮らしていて、社会も女性として許してくれることが多くなって、自分もそういう生活をしながらそれほど大きな違和感を抱えていないから、今は割と、割と近いかな・・・というよりは、不自然だと思わない、女性だってことに。そう感じてるから、「まあ女性です」って言うことにはしてる。でも、例えばみんなの多くは、体と心って一致してますよね? あんまりその、なんて言うのかな、改めて考えたことがない。でも、例えば私とかは、「なんで女性だって思うの?」ってよく聞かれたんですね。で、この姿になってしまうと、人は不思議なもので、女性に見えるから改めては聞かないんですよ。そう感じてるんだろう、と姿から類推するんですね」


「でも、それってどこかレトリックじみていて、あるいは中落ちじゃないですか。私はかつてサラリーマンで、見た目が男性だったから、男性の体だったときに、自分は男性だって思えないって言うと、「なぜなぜ?」って聞かれるわけですよ。なんか、姿形が変わると、反応は変わるっていう例だと思うんですけど。同じことをひっくり返して、みんなに照らし合わせてみると、皆さん「えっ」て考えこんじゃう。体っていう根拠をなくしてしまって、「なぜあなたの心が男性なの、女なの?」って言われると、どうやって表現したらいいのか、何を根拠においたらいいのか、すごくあやふやなはずなんだけど。人はなんて言うのかな、一致してるのが当たり前だって思い込みがある。心の性っていうのも、男だって思える人、女だって思える人、素直に表現できる人もいるかもしれないけれども、でも実際には、男とも思う、とか、女とも思えない、って感じる人たちも存在している。どっちでもあるような気もするっていう言い方をする人もいる。うーん、女に近いかなって思うけれども、男の部分もあるのかもしれないな、みたいな言い方をしたり、でもそういうのってなんか、一人一人照らし合わせたら、何をもって女っていうのか、男っていうのかなって、心の性を峻別する物差しって唯一絶対なものが本当にあるわけじゃないから、いろんな言い方ができるんですよ」


「だから、個々人が、素直に感じることを表現したとして、どれもその人にとっての真実であって、良い悪いでも何でもない、わけですよね。だから心の性も、男と女、って綺麗に分けて、性同一性障害・・・“体は男だったけれども、心は女性です”って説明するとわかりやすいけど、でもそれは私にとって真実に近いかもしれないけれども、性の多様性を考えたときに、それだけじゃ足りない部分はいくらでも残っちゃう。だから、体のレベルと同じで、心のレベルというのも、男と女(手で幅を示して)、どっかに一人一人がいるに過ぎない、わけですよね。で、さらに言ってしまうと、体、心、誰を好きになるかって、組み合わせ自由なんですよね。でもね、私のように「男性から女性になりました」っていうと、社会は、男性が好きなんだろうなっていう思い込みがあるの。でもそれは、全然正確じゃないですね」


「女性に変わった・・・男性から女性に変わって、でも私は女性が好き、レズビアンっていう自覚を持つ人もいる。その逆に、俺はゲイだ、って思う人もいるかもしれない。バイセクシャルかもしれないし。で、実際にこれはヨーロッパなんかでは、女性に変わって女性が好きな人は4割、残りの人たちはバイセクシャルって言ったり、あるいはアセクシャルっていう言葉があるんですけど、誰かに惹かれるって気持ちが自然に湧き上がるように、好きだっていう対象の反対側には関心が向けられない、性的に関心が向かない側もあるわけじゃないですか。両方に関心が向かない人もいるんですよね。それをアセクシャル、エイセクシャルといったりする。だからいかに多様か、組み合わせによっていくらでも性の形があるってことになる。だから、一人一人に性がある。で、その形は一人一人の形である、っていうことなんだと思います」


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