ひたちなか海浜鉄道社長吉田千秋さん
2010/03/01@那珂湊駅

吉田千秋社長 - 駅猫おさむと共に。

1964年11月24日生まれ。
富山地方鉄道、加越能鉄道を経て、万葉線株式会社総務課次長。
全国初の3セク路面電車となった万葉線を再生させた手腕が評価され、
2008年4月1日より、湊線を運行する ひたちなか海浜鉄道株式会社代表取締役社長に就任。

 

◆社長就任2年


‐‐‐もうすぐ社長就任
2年ということですが、正直な感想はいかがでしょうか。

 

「そうですね。どうにか、絶対ダメじゃないなっていうことがわかって、ちょっと一安心しているような状況ですね、今は。実は2年目迎えまして、今年も恐らく3000万をちょっと切るくらいの赤字にはなるだろうと。ただお客様の数は、最盛期の350万から70万切るかというふうに出ていたんですけども、今年は76万ぐらいで去年よりも若干多くなりそうだと。去年うちでも70万まで落ちているお客さんが、もうちょっと減ってもしょうがないんじゃないかと言われたとこを75万まで持ってこれたので、そういう面では今言ったみたいに、どうにかぎりぎりで合格点をもらってるかなと。ただ、赤字のほうは相変わらず3000万弱出ていますので、これをとにかく3年間のうちで頑張って解消していこうというような感じで今、目途が立ったような状況ではありますね」

 

‐‐‐目途が立ったという話ですけれども、ずーっと3000万の赤字が続いたら、やっぱりこれは、近々また廃止ということになってしまう…

 

「そうでしょうね…」

 

‐‐‐ひたちなか市の支援も無限ではないという…そういう感じなんですか。

 

「そうですね、正直なところを言うと、今の3000万が例えば2000万ぐらいの赤字だったら、それはそれでもいいんじゃないかなという気は、個人的にはしているんです。というのは今あちこちで言うんですけども、“ひたちなか海浜鉄道”という鉄道が残ったお陰で、全国の旅行誌だとか、それから地図帳だとか時刻表にも全部“ひたちなか海浜鉄道”という名前が載ると。こういう宣伝効果だとか、それからよく言われるバス化したら途端に、昨日まで鉄道だったときのお客さんが6割逃げてしまったというのが定番としてあるので、この鉄道が無くなってしまったら、ひたちなか市内の勝田と那珂湊の交流が無くなっちゃうよということもあるので、それを含めたら2000万ぐらいの投資は安いんじゃないかとは思うんですが、世間はなかなかそうは見てくれないんで」

 

‐‐‐(同じ)茨城県には鹿島鉄道というのがあって、やっぱりバスになったら、ますますダメになっちゃったという実例もありますもんね。

 

「そうですね…ということもあって今は何とか、黒字化が出来ないかなということを模索して、どうにか、ちょっと道はついたかなという状況ではありますね」

 

‐‐‐この2年間でいろいろイヴェントも打ってきましたし、それから定期券の改革等もやっていますけれど、一番効果があったのはどの策だと思われていますか?

 

「そうですね、周りの皆さんから支えられたというのが一番大きいんですけども、それ以外でいうとやっぱり…定期券についてはまだちょっと力不足だなと。実は今まで5割ぐらいしか割り引かなかったのを思いっきり7割近く下げた分を、お客さん2割増やして収入も増やそうということまでは考えていたんですけども、そこまではいかなかったんで、ちょっと悲しいなと」


「ただ、政策的にやっぱり成功したのが、こまめにツボにハマったようなイヴェントをやったというのが、ちょこちょこ来ていますし、あとはあちこちで言うんですけども、やっぱり、近くにおさかな市場という年間
100万人以上のお客様が来る観光地があると。それからちょっと離れた所に大洗のアクアワールドという、ここも100万人以上来る水族館、さらにひたち海浜公園…今年は下手したら150万いくんじゃないかという話ですし、そういう所と今提携しまして」


「去年はその第一段階として、ひたち海浜公園と提携を組んで、終点の阿字ヶ浦から…ちょっと歩くと距離があるので…無料のシャトルバスを出して、あとは向こうの入園券もかなり割引をしてもらいまして、セットで
1000円というクーポンをやるとこれが大ウケしまして、ゴールデンウィークなんかで1000人も来てくれればいいかなと思っていたところ、3000人…」

 

‐‐‐そんなに!

 

「そうなんです。その辺りがやっぱり、見えてきますね」

 

‐‐‐鉄道輸送というのは、そういう拠点がしっかりしていると強いですよね。

 

「そうですね、やっぱり特に都会の方にとっては、“自動車は…”って言われる方が多いんで。ちょっと遠回りして高くても鉄道のほうが安心できる…というのがやっぱり強いみたいですね」

 

◆鉄道界に入ったきっかけ


‐‐‐そういう現状ですけれども、社長の経歴を見ますと、最初、富山地方鉄道…そのあと万葉線のほうに入ってということなんですけれども、富山地方鉄道の話というのは、社長の経歴の話の中でも、あまり上ってこないような気がするんですが…

 

「そうですね、べつに隠してるわけじゃないんですけども(笑い)

 

‐‐‐ええ、そうなんですけど(笑い)。やっぱりあまり注目されない…?

 

「そうですね、やっぱり万葉線が全国で初めて、第3セクターの路面電車ということで、再生やったというインパクトが強すぎて、その前をなかなか見てもらえないのかなという気はしますよね」

 

‐‐‐元々…富山地方鉄道に就職なさったということは…学生時代から鉄道に興味があって、ということですか?

 

「そうですね、学生のときのゼミがですね、地方経済…経済地理学という学問を…あまり人々は知らないんですが、その中で最後に卒論のテーマで当時ちょうど国鉄が改革で全国に…今、三陸鉄道とかありますけど…それが第3セクターになるっていう節目の年だったので、そういう関係で富山県にも神岡鉄道という鉄道が出来たので」

 

‐‐‐ああ、今はもう無い…

 

「無いですよね。あれを卒論のテーマにしたという縁もあって、地元の鉄道会社に入ったのが鉄道との繋がりの始まりですね」

 

‐‐‐地方鉄道では、どのようなお仕事を?

 

「まず駅に配属されて、あの頃はまだスタンプじゃなかったですから切符切ったりだとか、売上の計算とかいうことを大体、1年くらいやって、そのあと乗車券の管理ですね…審査部門というんですけども…売上を全部チェック入れて営業成績まで仕上げるというような仕事を56年やって…あとこれで鉄道にずっといるのかなと思ってたら、その審査部門から外れて、庶務の仕事…鉄道全体を見ろと…という仕事をほんの3か月したときに、急に辞令が出て加越能鉄道という子会社行けと」

 

◆万葉線との繋がりの始まり


‐‐‐子会社なんですか。

 

「そうです。この加越能鉄道という会社が万葉線を当時運行してたっていうのが、万葉線との繋がりの始まりですよね」

 

‐‐‐それは出向ではなく移籍という形で…?

 

「まぁ一応、形は出向ですけども、聞いた話では加越能まで行って戻ったヤツはいないという話だったんで…」

 

‐‐‐(笑い)

 

(笑い)…転籍でしょう、っていう」

 

‐‐‐なるほど。望んで加越能に行ったんじゃなくて…行けって言われたから…

 

「そうですね。紙が1枚出てきて行っちゃったというのが…そうですね」

 

‐‐‐それが大体、1990年くらい…?

 

「会社に入ったのが昭和63年…1988年。加越能に行けと言われたのが平成6(1994)年ですね。そこでまぁ、(ひたちなか海浜鉄道の前身の)茨城交通と同じで加越能鉄道というのは主体はバスですから、鉄道がほんのちょっとあるだけで。お陰でバスの勉強もさせてもらったんですけども。行った当初から万葉線というのがもう“廃止だ、廃止だ”っていう話で…」

 

‐‐‐当初からそうだったんですか。

 

「そうですね。それが平成9年ぐらいに国の…当時は赤字の鉄道会社10社ぐらいに国が欠損補助していたんですけども、それが無くなるということで、本気でやめようという話になって、地元がそれは困るということで1年か2年ずっと話し合っていた結果が、平成13年を前にして、何とか残そうということになって…それが平成1441日から第3セクター万葉線株式会社という会社で鉄道を引き継いで、全国で初めて第3セクターの路面電車が始まったっていう経緯ですよね」

 

◆地元の熱意に絆されて


‐‐‐その
(3セクの)万葉線になる中で社長は、最初はあまり中心ではなくてそれを見守り、眺めているような感じですか?

 

「そうですね、加越能に行った頃は、もう富山地方鉄道のほうが親会社ですから、親会社にいた時点で見ていたのは、正直、何をやってるのかなと。もう数字的にも完全に落ちているし、いつまで不採算路線を引っ張っているんだろうというつもりで見ていたんですけども、いざ加越能に行って付き合ってみると、地元が凄く鉄道に対して残したいという意志が強くて、これは一筋縄ではいかないわと。どうやって叩きのめして潰そうかなという話だったんですけども…(笑い)

 

‐‐‐ええ(笑い)

 

「それが…いや、地元があそこまで熱心にやって…市町村辺りも、二つの市でやっていたんですけども、おカネ出してもいいから何とか残したいということまで言いだして…まぁ、それが非常に珍しいんですよね、やっぱり。(普通は)おカネかかったらやめちゃうわけで。それもあって、これは残るんじゃないかなという話をしてたところに悪魔の囁きがありまして」

 

‐‐‐ええ…?

 

「地方鉄道にしてもどこにしても労働組合が強いんですね。私鉄総連というのがあって。ということは、組合対策も非常に大事な仕事になってくるので、取り敢えず、組合の勉強をしようということで、非常に珍しく事務役から富山地方鉄道の労働組合の副委員長ということで組合専従にしばらくなりまして、それで平成11年から12年ぐらい、活動していて。それとちょうどこの万葉線の加越能からの分離の話がリンクしちゃったんですね。そしたら市のほうは県と一緒になって万葉線を引き取ることにしたと。引き取るようにしたというのはあったんだけど、はたと困ったらしいんですね」


「結局、富山地方鉄道だと人もいるけども、加越能鉄道はバス会社なんで、現業だけ引き負っても鉄道側からの人間が誰もいないぞと。こんなもんだけもらってもどうしようもないだろうということで、いろいろ人を探してたら、どうもたまたま富山地方鉄道で鉄道の業務をやってて、尚且つ組合に出ていて仕事していないヤツがいるじゃないかと…
(笑い)。ということで市のほうから、会社のほうに声がかかったらしくて。一人出せないかと。会社も会社で、“いやぁ、そんな人間出せません”とか言うのかなと思ったらストレートにこっちに話が来て、“こんな話が来てるけどどうだ?”っていう話があったんで。会社から“どうだ?”って言われても…会社行かないのかなと思ってるのかなと…(笑い)

 

‐‐‐(笑い)

 

「じゃあ、まぁ…」

 

‐‐‐やるしかない(笑い)

 

「飲ましていただきますということで、加越能鉄道から万葉線株式会社に鉄道と一緒に分かれてきたというのが始まりですね」

 

‐‐‐万葉線に来て、そのまま何となく仕事をするっていう選択肢も無かったわけではないと思うんですけど、それでも一生懸命やろうと思ったのは、やっぱり地元の熱意に接していたからですか?

 

「そうですね。あとはもう、いろんなところからお客さん増やすとか、少しでも違いを出すということが至上命題になっていましたんで、何とかしていこうっていう…それが割とうまくいったというのもあったんですけどね。あとはわかっていたのは…内部がよくわかっていたので、どうしてもやめようという考え方で会社を運営していると、そこに投資だとか、営業成績なんかぶつけないんで、何もしないでジリ貧になっていくというのが、正直なところだったんで、何かすれば何とかなるだろうというのがあって、ちょっと頑張ってみたというのが万葉線のときですね」

 

◆万葉線立て直しのための施策


輸送人員(単位:人) 通勤定期 通学定期 定期外
昭和47年度 1,959,996 994,011 1,799,011
平成14年度 142,147 166,718 693,795
平成18年度 147,692 257,720 743,018
※吉田社長提供資料より作成


‐‐‐万葉線の中で効果があった取り組みというのは具体的には?

 

「やっぱりこのとき一番大きかったのは、通学定期の割引ですね。結局、定期券が高いって言われて、何とか安くなる方法はないかなと思いつつ見ていたら、高校生が…路面電車ってスピードが遅いんで、みんな定期を1年生のときは親から買ってもらうんですけど、3か月定期買っている子は、3か月経ったらみんなそのまんま…親から次の定期を買う(ために渡されたおカネ)(はず)が小遣いになって、そのまんま自転車で行っちゃうってのが凄く多くて…」

 

‐‐‐(笑い) これはいいお小遣いになりますもんね。

 

「そうですね…なもんですから、思いっきり安くして、しかも計算もしやすく、100日分もらったら1年間乗れますよっていう定期を作って…だから、350円の区間だったら往復700円ですから7万円と。これでもう夏休みだろうが雪が降ろうが槍が降ろうが、もう電車で行けますよということで、親御さんには入学の前の入学説明会のときに、こういう安い定期があるからとにかく買いましょうよと」

 

‐‐‐入学説明会にわざわざ出かけて…

 

「そうです、そうです。今、服とか買うのが大変だと思いますけど、もうひとつ我慢して、もう7万円払ってくれれば、もう何の心配もありませんよと…いう話をしたら、結構ウケまして。割引を大体、5割から7割まで下げたんですけども、毎年2割ぐらい増えていって、最終的には倍近くに増えてますよね。収入的にもプラスになっていると。これが輸送人員としては一番大きかったですよね。あとはもう、いろんなイヴェントとか…」


「ビール電車っていうのも、どっかの会社がそこそこやっていたんですけど、これも面倒臭いやり方をすれば、手間かかるだけなんで、もう
1両、貸し切っちゃえと。5万円出してくださいと。出してもらったら夕方に1往復出しますんで、と。中にビールが積んであるんで、好きに飲んで下さいと…いうやり方をしたら手間はかからないわ、おカネは入ってくるわで、おいしかったというのはありますよね」

 

◆隠れた成功要因


‐‐‐さっきからのお話を伺っていますと、内部のことを知っていたということが、何か大きいような感じがしたんですけれども。外からやってきて指図するよりも、予め内部の人間として居て、どうやったらスムーズにいくかっていう…(それが)実は隠れた主要な…

 

「そうですね。それは強かったと思いますね」

 

‐‐‐通学定期券にしてもビール電車のヒットにしても、確かにそれももちろん、要因の一つですけど、あくまでそれは、表側はそうかもしれないけど、裏側っていうのはやっぱり、組織動かすとか理解っていうのは大変でしょう?

 

「そうですね、その辺がやっぱり強かったんでしょうね。少なくとも…そこの万葉線という会社の職員の眼から見たら、少なくとも富山地方鉄道で7年間鉄道に携わってきたということで、プロだという見方はしてくれましたし、あとは組合にいたせいで労務関係もはっきりわかるし、組合の弱みもわかっているので…」

 

‐‐‐(笑い)

 

「そういうところも強かったのかなっていう気もしています」

 

‐‐‐仲間だっていう意識もあるかもしれませんしね。

 

「そうですね」

 

◆湊線との遭遇


‐‐‐その万葉線が成功しつつある状況にあったわけですけれども、最初に今のひたちなか海浜鉄道…(当時の)茨城交通湊線の話っていうのは、いつ頃耳に入ったんですか?

 

「今年が平成22年ですから…平成19年ですか。茨城交通のほうでも同じように鉄道が不採算ということで手放したいという話が出たらしくて。その4月に一遍、茨城県とひたちなか市と茨城交通の三者で全国行脚して、先行事例がないのか探し回ったらしいんですね。そのときたまたま(万葉線地元の)高岡にも来ていただいて、そのときに今までの5年間のやり方を説明したっていうのが縁ですね。その説明の仕方がかなりはったりも混じっていて感動されたのか、実は4月に話をしたら5月に、今存続運動立ち上げたいんで、ちょっと応援の演説に来てくれという話があったので、最初は固辞したんですけども…」

 

‐‐‐そんなんじゃないと(笑い)

 

「ですね。それがやっぱり来てくれと言われて、恥ずかしながら喋ったんですけども、そんなこともあってか、最終的にその年のうちに同じ万葉線みたいなやり方で市民主体になって第3セクターの鉄道に移行するということが決まって。決まったけど、万葉線と一緒で、やってくれる人がいないんだと。そのときにまぁ、何を考えたのか、思い切って社長公募しちゃおうということをしたらしくて。で、その社長公募というときに、こっちにも連絡が来て、“まぁ、誰かいい人材はいませんか?”と。“いい人材いませんか?”って自分でダメですかと送ったら、“じゃあ来てください”と言われたのが…(笑い)

 

‐‐‐あぁ、そうなんですか(笑い)

 

「ええ(笑い)。万葉線も5年ぐらいお客さんが増え続けていて、ぼちぼちいい線行ってるのかなという気持ちになっていたところに、社長公募で万葉線とよく似たやり方でいきたいという話が来たんで、正直、“あ、今までの万葉線のやり方を認めてもらったんだ”というのが嬉しかったのが一つと、じゃあもう一個、自分でやってみて成功したら、それこそ素晴らしい話じゃないかという気になっちゃったというのが、こっちに応募した一番の理由ですよね」

 

‐‐‐応募はしたものの、結構選考の倍率が…

 

58人ぐらいいたそうですね、聞いたところによると」

 

‐‐‐割と最近そういう公募っていうのは多いみたいですね。千葉のいすみ鉄道とか。

 

「それもありがたい話で、公募した会社がコケていたら、他の会社も公募しようとは思わなかったんでしょうけど…」

 

‐‐‐そうですよね。

 

「一応、公募でもどうにかなると思ってもらっただけでもありがたいなっていう(笑い)。ちょっと可哀想だったのが、公募しようっていうことを考えたのはどうも千葉県のほうが早かったらしいんですけども、段取り組んで発表しちゃったのはこっちが早かった…」

 

‐‐‐やっぱりスピードなんですね、ビジネスは(笑い)

 

「そうですね、ええ(笑い)

 

‐‐‐それはやっぱりひたちなか市が単独だったっていうのは大きい…?

 

「それも大きいと思いますね」

 

‐‐‐ほかの自治体との協議もその分ない…まぁ、かかるとしても茨城県とひたちなか市しかないですよね。

 

「そうですね。あとは茨城県と千葉県の大きさの違いもあったんじゃないかと思いますね。茨城県は千葉県ほど大きくないですし、あとバタバタといくつもやめてって(※湊線以前に日立電鉄と鹿島鉄道が廃止されている)今度はどうにか…という気持ちもあったらしいんで」

 

‐‐‐(県都の)水戸も(ひたちなか市の)すぐ隣ですもんね。

 

「そうですね」

 

◆社長公募


‐‐‐実際、その公募っていうのは、どんな感じに進んだんですか?

 

「取り敢えず、書類選考だって言われたんで、履歴書送って…」

 

‐‐‐作文か何か出すんですか?

 

「そうですね。自分で書いていても、くっだらない経歴だな俺はと思って。出していたら、“来い”と言われたので、書類選考だけは通ったんだなと思って、行ってみたら、10人ぐらい当事者がいて。見た感じ凄いんですよ、やっぱり。紳士然として、ピシッとした、社長さんだなみたいな人がいたりだとか…」

 

‐‐‐(笑い)

 

「そうかと思ったら、顔見知りのコンサルタントの大社長さんがいたりだとか。“この中の一人なの?”と思って見ていたんですけど。ま、ダメだなと思っていたら本当に、“受け入れます”って来たんで正直びっくりしたっていうのが…あのときは…そうですね、やっぱりね」

 

‐‐‐周りの方の反応というのは、どうだったんですか? 富山から茨城へということに関しては。

 

「まず茨城の人が富山知らないですし、富山の人が茨城知らないわけで。誰もがびっくりしたらしいですね、本当に」

 

‐‐‐あまり実感としてイメージ湧かない…

 

「湧かないでしょうね。会社は困ったらしいですけどね」

 

‐‐‐あぁ、会社には内緒というか…

 

「そうですねぇ、まさか、他人の会社受けてますってことは言えないですし」

 

‐‐‐(笑い)

 

「高岡のほうは…富山県のほうは割と好意的でしたよね、やっぱり」

 

‐‐‐それはやっぱり成功していたから…

 

「そうですね。富山県がやっぱり、公共交通に目開いてて…っていうのを茨城でも認められてっていうのが、富山県としても嬉しかったんでしょうね」

 

‐‐‐富山県は本当に、富山市のコンパクトシティが凄く今、有名になっちゃっていますけど。

 

「あそこまでやっちゃうと、あとどうするのかなって気がしますけども」

 

‐‐‐(笑い)

 

「非常に面白いなと思ったのが、少なくとも万葉線並の…万葉線の場合は6000万の赤字はどうしても出るだろうと言われていて、それが5200万ぐらいまで…やっぱりお客さんが増えたこともあって来たんで、よかったねとは言われたんですけども、こっちはそのレヴェルじゃないですもんね。3000万ぐらいで済んでいますし…」

 

‐‐‐最初からそうですもんね。

 

「そうですね。で、さっき言った…周りにいろんな要素があるんで、収支改善の余地はいくらでもあるし、代わりに世間の目は厳しいですけども(笑い)。…というところでやりがいもあって」

 

◆[鉄道はサーヴィス業である] 社内改革に奮闘

輸送人員(単位:人) 通勤定期 通学定期 定期外
平成19年度(茨城交通) 144,660 273,180  287,599
平成20年度(3セク化) 127,320 291,000 336,543
※吉田社長提供資料より作成


‐‐‐それで中間管理職からトップへという形になったんですけれども、社員の方に対するスタンスとか、リーダーシップという点はどうなんでしょうか?

 

「最初の1年間ぐらいは、(相手は)やっぱり年配の方ですし、あとは、こっちは新参者だし、ずっと鉄道(湊線)を見ていた方だっていうことで…見せては頂いていたんですけども、やっぱり足りないところもいろいろあるし、こっちが優れているところも若干なりともあるんで、そういうところをちょっと表に出して今、前には進んでいる…お陰様でみなさんには、ついてきていただいてるんで、有難いですね」



‐‐‐第3セクターになって、会社を立て直して、前に進めていくに当たって、残っている社員の方々…基本的には雇用引き継ぎという形になるんですよね?

 

「そうですね、ええ」

 

‐‐‐社長のほうから、これまでの社員への一般的な問題点について、どういう感じに思ってますか?

 

「まずですね、自分たちの働いていた職場自体が、不採算でもうやめなきゃいけないという状況でずっと来ていたので、どうしてもやっぱり精神的には積極的にはなれないと。逆に自分自身がこれからごはん食べていけるのかという瀬戸際にあったものですから、どうしてもテンションが下がっていたんですよね」


「そこへもってきて、鉄道会社というのはどこでもそうなんですけども、どうしてもサーヴィス業っていうよりも、安全対策を重視するということで、お客さん相手がどうも苦手だという、非常に良くないところがありまして、そこをまず改革していかないと、とてもじゃないけど市民の皆さんの理解を得られないということから始めてますね」


「ですからまず最初にやったのは、取り敢えず駅のシフトを全部見直して、急にですね、取ってつけたように、“ありがとうございました”って言ってもなかなか大変だと思うので、それはまぁ声さえ出していただければ多少変でも…ということで、取り敢えずサーヴィス業であるということを自覚してもらうことから始めて、あとは勤務全体を見直して…長いこと、ほったらかしっていう状況だったんですよね…今やっていることをそのまんま毎日やってくださいと。ただ実際見てみると、まず無駄が凄く多くて」


「例えばお昼間なんか
3人も4人もいるのに何もせずに座っていたりとか、そういうのがあるんで、そういう方に対しては、仕事をちょっと探してくれと。例えば車両の掃除が合理化で今、行き届いていないんで、車両の掃除を3人の時間に1人行ってやってくれだとか、あとは何もすることはないということは絶対にないので、駅の窓口に出れば、多分、切符の買い方に迷っているお年寄りもいるだろうしと…」


「そういうのをちょっと気を付けて自分からお客さんに接するようにしてくれということは言っているんですけども…なかなか大変ですね
(笑い)。駅の掃除とかぐらいはすぐに対応できたんですけども、お客さん相手っていうことがなかなか難しいんですね、やっぱり」

 

‐‐‐やはり今までそういう安全面もそうですけど、まぁ、職人肌なので急にそういうコミュニケーション取れって言われてもなかなか…結構皆さん内向的というか…。

 

「そうでしょうね。特に若いうちには慣れるんでしょうけど、もう60歳過ぎた人が半分以上ということで…」

 

‐‐‐ああ、そうなんですか…

 

60まで40年間やってきたことを急に心入れ替えてって言われても…」

 

‐‐‐ちなみに今、社員の方は何人くらい?

 

「全部で役員も含めて30人ぐらいでやってるんですけども」

 

‐‐‐そのうち、もう半数以上が…

 

「半数というのは駅のほうですね」

 

‐‐‐ああ、駅で…

 

「ええ」

 

‐‐‐万葉線のときは、社長はそういうことは?

 

「万葉線のときは…割と世間の目が温かかったのは、駅っていうものがなくて、路面電車は」

 

‐‐‐停留所ですもんね。

 

「ええ。バスと一緒で運転手さん以外はお客さんと接することがないんで。お客さんも運転手さんに対してはあんまり極端な接客は要求しないですよね」

 

‐‐‐まぁ、そうですよね(笑い)

 

「それがやっぱり接客専門の駅員というのがいるっていうことでだいぶお客さんの見方が違いますよね」

 

‐‐‐苦情みたいなものは、やっぱり上がってくるものなんですか?

 

「あの、困っちゃったのは、“応援団”(=おらが湊鐡道応援団)とかその辺りが仲良くなってくると、こういうことが気になるとか言ってくれるんですけども、どうも一般のお客さんはもう、言ってもダメだと思って諦めていたんじゃないかなと」

 

‐‐‐ああ、確かにそういうのありますね。

 

「ほとんど苦情がなかったと。苦情が来始めたというだけでまだ進歩したのかなというのが正直なところで」

 

‐‐‐そういえば、そうですよね。確かに。

 

「そうなんですよね」

 

‐‐‐言いませんもんね。よほどの酷いものでない限り。

 

「そうですよね」

 

‐‐‐それが結局、リピーターを失わせる結果にも、なっているんでしょうね。

 

「そうでしょうね。特に地元の方なんかは、気持ちよく乗れれば次もお金払って乗ろうかなって思うんでしょうけど、イヤな思いをすれば、次からクルマにしようっていうことになっちゃんでしょうね」

 

‐‐‐今、社長としては、意識改革はどの程度の道のりまで来たかなという気持ちですか?

 

「今、やってもどうしようもないという部分もあるんで、外科手術も必要かなということで、申し訳ないけれども65過ぎた方々はもう年金ももらっていらっしゃるし、逆に茨城交通の時代に先が見えないということで入れ替えをしなかっただけということもあるので、ご同意のもとでお引き取り頂いて、新人を入れるような形で再教育する必要があるなという状況でいますね」

 

‐‐‐あの、ネット上で公開されている“応援団”の新聞ですか、ここに新入社員の紹介みたいなのがあったんですけれども、今の新人教育というのは、社長はどんなふうに進めているんでしょうか?

 

「まず変な話ですけども、鉄道会社でやることっていうのはその、微分積分解いたり、咄嗟の判断力というのはヴェテランがやればいいだけの話で、それまでに十分に簡単なことでも積み重ねをしていかなきゃいけないんで。簡単なことをちゃんとやって欲しいなと。さっき言った、せめてお客様には“ありがとうございます”と言うとか、駅の売上をちゃんと計算できるとか、その辺りをまず徹底してやって欲しいなという気はしますよね」

 

◆富山と茨城、意外と同じ。違いは東京との“距離”にあり


‐‐‐茨城県は凄く保守的な土地柄って聞いたんですけど、富山と比べて、感じるところありますか?

 

「それがよく言われるんですね。“茨城住みづらいでしょ?”とか“田舎でしょ?”とか。富山と似てるところがあるんですね、やっぱり」

 

‐‐‐どういうところですか?

 

「まず茨城県はこの間久しぶりに民主党が勝って大騒ぎになってますけども、そのくらい自民党が強かったんですよね」

 

‐‐‐そうですね。

 

「富山県の場合、未だに自民党が勝っていますから、もっと保守的ですけども…ということがあったりだとか、あとは“口が悪いでしょう”とか、“割と作物も取れて、産業もあって、住みやすいものだから、みんなボーっとしてて、やる気がないように見えませんか?”とか。それ、富山も全く一緒ですしね。富山もお米がとれて、割と産業も発展していて…っていうことで、場所が違うけど、凄く似てるんで、やりやすいことはやりやすいですね」

 

‐‐‐じゃあ思っていたよりは同じで、スムーズに移行している感じで…

 

「そうですね。よく似たところで、東京に近い分、凄くこっちは得だなっていうような気がしますよね」

 

‐‐‐それは鉄道というのが、大量輸送機関だっていうところ…

 

「そうですね、あとは東京の人たちから見てみたら、鉄道というのは信頼度が凄く高いですから。鉄道に対する見識も高いですし。あとはもう何よりも東京に近いと。富山から東京に行こうと思ったら、飛行機で1時間ちょい…」

 

‐‐‐そうですね、飛行機と鉄道に分かれますもんね。

 

「そうなんですね。ただ東京の人に、茨城に来てくださいねって言ったら、特急で1時間乗ったら来てくれるんで、その差は大きいと思いますね。お陰様でテレビにも結構取り上げてもらったりだとか、海浜公園にちょっとお客様呼ぼうって言ったら、ちょっと宣伝するだけで、東京圏から乗り切れないぐらいのお客様に来ていただいたりとか、そういうところは物凄く恵まれていると思うんですけどもね」



◆海浜鉄道 今後の展望

 

‐‐‐そういうふうに恵まれている環境であるという力強いお言葉も今あったんですが、課題を挙げるとすればどういうことになるんでしょうか?

 

「まず、市民の方の意識をこっちが一生懸命勉強しながら盛り上げていかなきゃいけないなということなんですよね。さすがに湊線の沿線の人たちには、どうにかしようということで頑張っていただいているんですけども、やっぱり相変わらず沿線じゃない方たちにとっては、“乗ったこともない”とか、“何か市のほうで騒いでいるけども、何か遠くの話だな”みたいに言われるんで、そういう…さっき言ったように、鉄道があるということでひたちなかの名前が売れるという、そんな面もあるので…沿線外の人たちにも非常にメリットがあるんだよということをわかっていただいた上で、鉄道のあり方を考えて欲しいなということが一つ」


「あとはもう、車両が古くて、駅が古くて、さっきも乗っていただいたときにわかったんですけども
(※このインタビュー収録に向かう際、偶々車内で出張帰りの社長とご一緒した)、長いこと、技術革新ということをあまりやってこなかったんで、今どき鉄道で、時速50キロで走っているって所、無いと思うんですよね」

 

‐‐‐銚子電鉄とか、そういう特殊な所を除くと無いですよね。

 

「そうでしょうね。これが例えば6070出したりするとサーヴィスアップになって、勝田の駅の乗り継ぎも凄いスムーズになってっていうことがいろいろあったりとか、気が付いていなかったことを掘り起こしていかなければなというのが一つと、あとは、さっき言った…せっかくバックに観光地がこれだけ控えているのに、それを黙って見ているっていう傾向が強いので、それを何とかしていけばもっともっと良くなるぞ、というこの二点ぐらいを攻めていけば、かなりいい会社になるんじゃないかなという気がしますよね」

 

‐‐‐じゃあ、手応え十分…?

 

「今どうにか手応えを感じてるとこですね。まぁ、やってみてダメだったら次考えないといけないですけどね(笑い)

 

‐‐‐じゃあ大体、向こう3年ぐらいで…

 

「そうですね、よく理想論で言っているのが、今赤字が3000()と。海浜公園が150()、それからおさかな市場が100万ちょっと。それから大洗のアクアワールドがやっぱり100万ぐらいと。合わせたら35060万、下手したら400万というお客さんがいらっしゃるので、その観光地に鉄道が1%4万人だけでも行くような営業施策をしたら、4万×1000円ずつ電車賃出してもらって、4000万で黒字になっちゃうよという非常に単純な論理ができるんで…」

 

‐‐‐ああ、なるほど。

 

「それをちょっとしてもらって、頑張ってもらおうかなという気はしますね」(おわり)

 


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