燦然たる輝きと云うものは衆目の一致するところとなるものなのだなと云うことは、この映像を眺めていても感じるところである。しかし映像公開日がドラフト会議の前日と云うところがね、、、ぐだぐだである。明日ドラフト会議があると云うことでAKB公式チャネルを確認した会議参加者の目に留まりやすいようにとの意図はあったのかもしれないが。



牧野アンナを全国区にしたのは、もちろん「牧野家」と云うある種の名門性もあるけれども、やはり安室奈美恵の存在だろう。表舞台は才能溢れる安室に譲って裏へと回り、そこから再度表の舞台へと別の形で上ってくることになった。柔よく剛を制す、裏を極めれば表を制す。





しかし表を一旦諦めた裏の人間の成り上がりによって表が牛耳られる結果、表の質が下がることについては考えなければならないだろう。そこを撥ね退けて伸びてゆく表の人間には余程の突出した何かが必要な状況になってもいる。



都と結びつくことは一介の地方を豊かに変える。今日、何某かの薫り高い文化を持つところにしても何らかの都との関わりを歴史的背景として持ってきた。特別感の多くは都との繋がりに於いてもたらされたものだ。



金沢と富良野はその点で典型例である。前者は江戸時代に藩主によって、後者は昭和後期に文化人によって都文化が入り込み、全国区の存在となった。





第7話 はじめに

 2018年1月21日に3回目となるAKB48グループ合同のドラフト会議が開催された。今回も本店と支店の全チームが参加したのだが、メンバー自らが選考した過去2回とは異なり今回は、各チーム付きのファンの手によって選考が進められた点が新しかった。このドラフト会議は、当初のアナウンスによれば、ファン代表と劇場支配人の協議によって進められることになっていたが、結局、ファン代表を選出することはしなかった。事前登録によって当日のSHOWROOM限定配信に参加した人が「ファン代表」と云う形になった。したがって劇場支配人との協議が行われることもなかった。碌な事前協議もなく、殆どぶっつけ本番となったことで、会議は右往左往するような状況となり、その結果、無難策=予定調和の応酬となった感があったが、しかし、指原莉乃ただ一人が本領を発揮した恰好となった。

博多は大宰府に非ず、都なり

 指原はHKT48=博多支店の所属である。元々、本店5期生だった彼女がなぜ博多へ派遣されたか…それは12年6月の選抜総選挙直後に発覚したスキャンダルに因る。当時のAKBは現在に比べてスキャンダルに厳しかった。最悪、解雇の可能性も無くはなかったが総合プロデューサー秋元康は、可愛がってきた指原を何とか助けたいと考えた。そこで劇場デビューから半年程度が経過し、問題山積の状態だった博多に大分出身の指原を移籍させることで体裁上、左遷のような形を採らせ、以て処分に代えた。

 当時の博多は未だメジャーデビューの目途が立っていない状況下にあり、未熟なメンバーを教育・指導し、引っ張る人材が必要だった。直前の総選挙で4位に入っていた指原は、その意味で打ってつけの大物メンバーであった。既に人気メンバーの地位を確固たるものにしていた指原は太田プロに所属しており、東京での仕事が途切れることは無かった。当初は福岡に引っ越す話だったが結局のところ、生活の拠点は東京に置かれたままであった。だからと云って博多での指原の存在が形骸化したわけではない。翌13年4月には現役メンバーでは初となる劇場支配人に、次席扱いながら就任している。13年3月に念願のメジャーデビューを果たした博多は指原の指導の下に力を付けていった。同年6月の選抜総選挙では遂に1位を獲得、支店所属メンバーとして初の快挙達成となった。籍こそ博多に移ったが、東京で事実上の本店付メンバーとして芸能活動を行い、更に博多と云う地盤を得、これを強力に育てたことにより、中央と地方、空中戦と地上戦、海洋と大陸双方に拠点を持ち、版図に収めることに成功した指原に対抗することの出来るメンバーは、遂に居なくなってしまったのである。豊臣秀吉としては関東に移封したつもりが却って強くなってしまったコ川家康を思い起こさせる。

 無論、秋元康は指原を弱めるために博多送りにしたわけではない。そこは秀吉と異なるところだ。指原個人にとっても、グループ全体にとっても大きなメリットが見込めると云う判断の下の決定だった。そんな指原に引っ張られるように博多の人気メンバー、更にはグループ自体も関東での活動を活発化させた。東京を中心とした関東がグループにとって、博多と並ぶ拠点となったのだ。博多は先行する栄支店(SKE)を凌ぐ勢いを見せ、第2のAKB本店と化した。

ドラフト会議で見せつけた第2本店としての博多

 以降指原は、引き続き劇場支配人を務めながら選抜総選挙で無敵の3連覇を達成している。更には自らプロデュース業に乗り出して新たなアイドルグループ「イコールラブ」を船出させた。船出と云えば、国内6番目のAKBグループとなる瀬戸内支店(STU)にも博多同様のメンバー兼(次席)劇場支配人と云う形で参画した。しかし流石にこれは多忙だったと見えて16年11月に脱退している。乃木坂・欅坂の坂道シリーズ隆盛及びAKBの地盤沈下ぶりがクローズアップされる中で、指原だけは、総選挙同様、一極集中的に大きな仕事が次々ともたらされて、ずば抜けた知名度を誇る売れっ子であり続けた。こうした状況下で第3回ドラフト会議を迎えたわけである。

 この席上に於いて指原は、なぜ自分が売れっ子なのか、勝ち続けているのか、自らの手でその証明をしてみせた恰好となった。今回のドラフト会議は、ファンの手による選考だったから、会議に臨席したメンバーがファンにあれこれと指示を送ることが基本的には出来ない。ところが指原は単なる大物メンバーであるばかりか劇場支配人を兼任しているから、この立場をフルに活用して、ファンに対して指示を与えた。そうは云っても「何某を採れ」と云った直接的なものがあったわけではない。指原が云ったことは「顔で選べ」「博多チーム志望者を全員採るな」と云う控えめなものだった。指原は自らが所属する博多チームHだけでなく他の博多のチームにも同様の指示を与えた。他のメンバーも指原に後押しされる形で「人数は足りているから余り採らなくてもいい」「一番イイと思った人を選べ」とファンに呼び掛けた。

 これらの結果、博多だけが特異な1巡目指名を行うこととなった。他のチームが無難に、自分のチームを志望する候補生を指名する中で博多だけが、他チーム志望の候補生(神奈川在住)を強行指名したのである。しかもその候補生は、横山総監督好きをアピールし、引越も困難である旨を述べていた。これを面と向かって覆せる存在は、指原を措いて他にいない。博多のファンたちも、最終的には指原の力でどうにか加入に漕ぎ着けられるのではなかろうかと思っていた節がある。確かに指原なら「入団説得」の際、秋元康に手紙の一つでも書いてもらうこと位、簡単なことだろう。

 そして驚くべきことに指原は、横山とのくじ引き対決を制して、この候補生に対する交渉権を獲得してしまった。会場の控室には候補生の他、その向かい側に保護者も臨席していた。見たところ、指原が当たりくじを引いたことが判明した際には、候補生が何か訴え掛けるような視線を投げ掛けていたから、ゴーサインは出ていなかったように思われる。しかし次の瞬間、その候補生は大泣きして隣にいた候補生と抱き合っていたことから、一応のゴーサインがこの間に出たと云うことだろう。希望していた本店には入れなかったにも拘らず、博多入りすることに感激の面持ちだったことから、候補生本人の本音の部分では、別にAKBグループでさえあれば所属先に特段の希望は無かったのかもしれない。つまりは保護者の意向が大きく反映されていたわけだ。しかしその場で保護者が取り敢えずの即決を済ませ、その後実際に引越する方向に動いたことに関しては、指原の存在無しには全く考えられないことである。博多に所属することで確かに地理的には、関東から九州へと移ることになる。新潟支店(NGT)発足後は、関東に於ける博多の比重は大幅に低下し、その新潟の地域密着戦略の成功もあって博多も、本拠地九州に根を張る方向へと舵を切っている感がある。しかし指原莉乃と云う東京の芸能界の最前線で活躍し、秋元康にも直接物が云える大物の存在が博多を、単純な一地方支店とはせずに、時に本店同等の力を備えた存在としているのだ。

 このドラフト会議では他グループに於いても、「余り採るな」「もう採るな」と云った意向を強く匂わせたメンバーは存在したようだが、ルールをただ単に生真面目に、バカ正直に守るのではなく、その運用に自ら積極的に関与する方策を指原は採った。他のグループのメンバーは、ルールを硬直的に解釈、運用した。それは生真面目であり、バカ正直であることと共に、余計なことをして他グループのファンからの、場合によっては自グループのファンさえもバッシングを浴びせてくるような事態に見舞われることがイヤだった…これが第一だろう。しかし指原は額に汗して、自分の意中の候補生を如何にファンの手で指名してもらうか、知恵を絞り、果敢に行動し、更には自らの手でくじまで引き当ててしまった。私の目にはこれこそが正しく、正しい意味合いでの、「正直者がバカを見る」と云うことの再現が為されたものと映った。その心は、生真面目さにかこつけて、何の工夫も施さずにただ座しているだけ・突っ立っているだけの者が損をすることになり、その一方でリスクを取りながら、汗をかいて動き回る者が成果を得る…と云うことである。

第7話 おわりに

 指原一人の力で博多支店は、九州に止まらない全国区の存在となってきた。時に博多は名古屋・栄よりも東京に近い存在であり続けてもきた。そして今や、有名メンバーが続々と卒業していったAKBグループの中にあっても指原は、これを全国区の存在として存続させている数少ないメンバーとなっている。しかしそんな彼女も今年26歳だ。そういつまでもこの場所にいる存在ではない。AKBグループ全体、或いは古巣である本店の行く末も気掛かりではあるだろうが、やはりいつまで経っても自分への依存から脱却することの出来ない博多の状況と云うものは、最も気掛かりなことだろう。指原が抜けたら博多は、一地方支店に成り下がるばかりか、指原が「左遷」されてきた当時同様の秩序立っていない状況に戻ってしまう恐れすらある。指原もそのことは心得ていると見える。瀬戸内からの脱退理由として博多の再建に注力する旨、挙げていたものだ。



AKB乃坂道 表紙
uploaded 2018.0609 by 山田系太楼どつとこむ
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