ダンサブルな「制服のマネキン」、バラッドな「君の名は希望」…代表曲を構成する二大要素を乃木坂は初期の、生駒センター時代の段階で差し押さえられた。以降、加速するグループ人気とは裏腹に乃木坂の曲は、まるで質に取られたかのように浸透しなくなった。


その状況が多少変化を見せたのが日本レコード大賞受賞曲にも選ばれた「インフルエンサー」のヒットである。繰り返された白石麻衣と西野七瀬によるダブルセンターが、乃木坂に一つの完成形をもたらしたわけである。

ただし総合的な地力は、白石と共に乃木坂のヴィジュアルを支えた橋本奈々未が卒業センターを務めた前作「サヨナラの意味」の頃の方が高かった。




渋谷の街はいつも大勢の人出で賑わっている。が、しかしそれに見合う売上を各店舗にもたらしているとは云い難い。購買力の低い若年層が多いことと、観光目的・見物目的で訪れる人が多く、彼らを消費者としてしっかりと捉えることが出来ていないためである。

そこでセゾングループ亡き後、再び渋谷の主に返り咲いた東急は、ヒカリエを建設して渋谷の大人化に着手した。更に駅周辺では再開発案件が目白押しである。

しかしこのことにより、渋谷の「駅袋」化が進行し、渋谷の繁栄の象徴となっていた、街を往来する人々の数は大きく減少することになろう。多くの有望な店舗も駅周辺の高層ビルに入居する商業施設へと移動することになり、渋谷らしいストリート感溢れる風情が壊滅する危険性を孕んでいる。東急にとって今の渋谷の繁栄は、セゾン堤清二によってもたらされた棚ぼたの感が強い。東急ハンズや109、Bunkamura等によって渋谷の文化形成に寄与してもきた東急ではあるが、その手腕は未知数なものであり、この会社が商業面では全般的に余り芳しい成果を上げてこなかった点に不安を覚えるものでもある。




欅坂46のデビューシングル「サイレントマジョリティー」のミュージックヴィデオの舞台は、再開発に明け暮れる渋谷を記録したものとなった。この東横線渋谷駅跡は、それこそ今は何の跡形もなくなっている。少年少女の青春の夢の跡のように。

乃木坂にとっての文字どおりの「二人セゾン」は、白石麻衣と西野七瀬であろう。生駒「渋谷駅・東急東横店兼任」里奈が招き入れそのまま街へと流した人たちを、しっかりとファンへと変えて取り込んでいった。スペイン坂が君を待っていると云わんばかりに。


第6話 はじめに

 2018年1月31日、生駒里奈の乃木坂46からの卒業が、本人が日刊スポーツのインタビューに応じる形で発表された。2011年のグループ結成当初は、必ずしも中心メンバーと云う扱いではなかったが、その後、翌12年のCDデビューまでにはグループの顔となり、そこから5作連続でセンターを務めた。近年は西野七瀬や白石麻衣がセンターを務めることが多くなったものの、それでも生駒=センターと云うイメージは色濃く残り、16年夏にフジテレビ系音楽番組で披露されたAKBグループと坂道シリーズのドリームチームによるパフォーマンスでは、当然の如く、センターを務めて、強い印象を残したものだった。

知名度抜群=不人気抜群の怪

 テレビのヴァラエティ番組で見掛けることも多く、グループの顔として乃木坂一の知名度を誇ってきた生駒は、秋田出身と云う出自を濃密に感じさせる素朴さ・清純さでお茶の間を始めとする外部からの評判も良好なものだった。昨年来、写真集爆発的ヒットによる白石麻衣の知名度急上昇が起こる前は、乃木坂と云えば生駒しか知らない人も珍しくなかった。

 生駒の知名度が高いことには、幾つかの要因がある。先ずはデビュー曲から5作連続でセンターを務めたこと。これによりメディア露出は当然ながら生駒中心になった。次に生駒センター期の曲が軒並み乃木坂の代表曲となる一方、その後の乃木坂からは代表曲が生まれなかったこと。乃木坂がメジャーな存在になるにつれ、メディアで流れる乃木坂の曲やパフォーマンス映像も増加したが、それらは概ねその時点での最新曲の他は生駒時代に発表された曲ばかりだった。売上こそAKBに比肩する存在になりながら、しかしそれは完全に握手人気に頼ったもので、AKBのような誰もが耳にしたことのあるヒット曲が生まれたわけではなかったことが、生駒の知名度独走状態を温存させることとなったわけである。「センター」は、その曲の顔なのである。

 加えて、14年のAKBグループ大組閣時に交換留学生として乃木坂には籍を残したまま、AKBへと移籍したこと。この頃のAKBは未だ国民的アイドルグループだったから、生駒と後続との知名度の差は更に開くことになった。この年行われた選抜総選挙、暮れにフジテレビ系人気ヴァラエティ番組にて披露されたAKB相手のドッキリ企画でも、生駒はAKBの一員としてしっかりと登場している。

 このような状況だから乃木坂のことを詳しく知らない人は、生駒を乃木坂の顔と認識すると共に、乃木坂で一、二を争う人気メンバーなのだろうと云うように漠然と思うわけである。ところが実際は全く違う状況なのであった。生駒は寧ろ、乃木坂全体の中で下から数えた方が早い位の不人気メンバーだったのである。この歪な構造の原因は、一体どこにあったのだろう。

乃木坂で浮く生駒の存在感

 乃木坂46は「AKB48の公式ライバル」として発足した。目の前にはAKBの高い壁が立ちはだかっている。AKBはガツガツとがむしゃらにチャレンジし、時に人間性が剥き出しになるグループだ。そこで乃木坂は余りガツガツとした雰囲気のない、お嬢様的品の良さをアピールしていった。肌の露出は控えめにし、態度や言葉遣いにも気を配り、かわいい女の子・綺麗な女の子が勢揃いしている見せ方を心掛けた。握手会での対応も丁寧に行った。秋元康や業界人から島崎遥香の愛想っ気のない「塩対応」が面白がられたこともあり、握手対応に雑なメンバーも多かったAKBとは一線を画した。ファンの中には異性との交遊経験が乏しく、内気な人間も多く居る。優しく対応してくれる乃木坂への人気は高まった。乃木坂運営も握手人気を重視したから、選抜メンバーへの切符を手に入れるために握手対応に相当程度力を入れたメンバーが複数現れた。いわゆる「釣り師」の存在である。秋元真夏や衛藤美彩は握手人気を背景にフロントメンバーにまで上り詰めた。

 ところが生駒の握手対応は、これらのメンバーに比べて素っ気ないものであり、優しさに満ちたものではなかった。AKBの中では普通の対応でも、乃木坂では「塩対応」のように映る。また生駒の素朴でボーイッシュなヴィジュアルは、センターとしてなら周囲との違いが明瞭に出ているから映えるのだが、それはしかし、乃木坂内での存在感が浮いていることを意味するものでもあった。乃木坂は、乃木坂と云う名前が付いているように東京のグループ、都会のグループなのである。メンバーの実際の出身地が田舎か都会かと云うことは余り関係が無い。どれだけ都会的雰囲気が出せるかと云う話である。乃木坂の御三家と称された白石麻衣・橋本奈々未・松村沙友理、或いは後にエースへと抜擢された西野七瀬、キャプテンの桜井玲香などと比べて生駒は、如何にも田舎者で子供っぽく、艶やかな要素が一点もない存在だった。お茶の間では有利に働いた生駒の特性は、しかし、乃木坂を好きになる人の嗜好には、ハマらないものだったのである。

生駒里奈は「渋谷」だ

 しかし生駒が東京に染まらなかったのかと云えば、それは全く違う。彼女は非常に原宿が好きな様子であり、そのファッションは一癖あるものだ。乃木坂では伊藤万理華が非常にファッションに強い文化系女子的立ち位置だったが、余り男ウケのする方向性ではない。乃木坂のファンは圧倒的に男性が多いから、都会化された生駒のファッションが乃木坂内での人気に繋がる要素は弱いものだった。

 そんな原宿好きに相応しく、私は、生駒里奈とは渋谷なのだなと思う。

 渋谷って…どんな街だろうか。若者文化の中心地・発信地として受け止められてきた。新宿・池袋と並ぶ山手、そして東京を代表するターミナル、繁華街である。知名度は抜群に高い。メディアに於ける露出が非常に高く、内外を問わず観光客がやってくる。ハチ公前のスクランブル交差点は、ニューヨークに於けるタイムズスクエアのように、東京を代表する景観が展開されている場所と見做されている。

 しかしターミナル・繁華街としての渋谷は新宿・池袋に比べて一段階劣る。JR東日本の利用客数ランキングでも2016年度時点で1位新宿、2位池袋に対して渋谷は6位に低迷している。これは副都心線に利用客が流れた結果でもあるが、東横線との相互直通運転開始前の2012年度時点でも渋谷は3位であり、東京や横浜と競った状況だった。新宿と並んで東京を代表する街としての圧倒的知名度を誇りながら、実態としては新宿は愚か、池袋の後塵をも常に拝してきたのだ。ところが渋谷の街の人通りは、池袋の街のそれを凌ぐものがあり、これが渋谷の繁栄を支えてきた。繁華街の広がりも奥の方へと続いており、また、明治通り沿いに渋谷と原宿の街は一体化してもいる。駅周辺に商業地がまとまっている感のある池袋とは大いに異なる様相だ。

 池袋には西武と東武の本店がある。売場面積、売上高いずれを取っても日本屈指のものだ。渋谷には東急の本店と東横店、それに西武があるが、東急東横店は池袋の西武・東武と同じく、いわゆるステーションデパートとして駅に直結している。

 池袋の西武と東武は非常に強力なコンテンツを誇り、池袋に用のある人の内、少なくない割合がこの両百貨店へと吸い込まれる。その分、池袋の街へ繰り出す人の数は減る。ところが渋谷の場合、東急東横店と云う駅直結の百貨店が存在しながら、デパ地下以外に目ぼしいものがなく、渋谷に来た人々は皆、駅を出て、街の中へと繰り出すのだ。これが繁華街・商業地としての渋谷の勢いを支えてきた。西武や109はそれでも比較的駅から近いが、パルコや東急ハンズへは若干の距離がある。渋谷の場合、駅からかなり遠い所にも商業地が広がっているが、これも駅に強力な商業施設が存在しなかったからこその広がりである。

 生駒を見て私が感じるのは、生駒は乃木坂の渋谷だったのだと云うことである。テレビ等のメディアに乃木坂の顔として生駒が出ている。生駒の純朴そうな雰囲気に、悪く思う人は余り出てこない。対外的な乃木坂のイメージは、生駒のお蔭で良好に、健康的に、保たれる。そんなある日、生駒の隣に佇んでいるメンバーを見た刹那、「あれっ? 生駒ちゃんの隣に座っているこの綺麗な子、誰なんだろう?」と云うことになるのである。それで乃木坂に興味を抱き、色々と調べる内に、白石たち美麗なメンバーや秋元や西野のような釣ってくる可愛いメンバーの虜となるわけである。

 もし初期からの乃木坂のセンターが生駒の代わりに総合人気No.1の白石だったらどうなっていただろうか。恐らく、白石の個人ファンばかりが増えて、乃木坂全体や他のメンバー付のファンの数は今日ほどの広がりを見せなかったのではなかろうか。白石と云う西武と東武の池袋本店が強過ぎて、乃木坂46と云う池袋の街全体に人が行き渡ることなど無かったのではなかろうか。私は橋本環奈と云う、これまた美少女として評判となった人のことを思い起こす。彼女は非常に有名になったが、彼女の所属するグループ(Rev. from DVL)の知名度も、他のメンバーの人気もさほど上がることは無かった。彼女が突出したヴィジュアルの持ち主であり、比肩し得る存在がグループ内に見当たらなかったことがその原因だ。乃木坂で一、二を争う美麗なヴィジュアルを誇った白石をセンターに据え続けていたなら、乃木坂は、「白石とそれ以外のメンバー」と云った様相を呈していたであろう。今日の欅坂46の「平手友梨奈とそれ以外」と云う状況に近いものがあったかもしれない。

第6話 おわりに

 現在の乃木坂46は、AKBグループと互角、AKB本店単体には圧勝の勢いと強さを見せている。それもこれも生駒の功績である。生駒が初代センターとして、そしてセンターから外れた後も、乃木坂の顔としてメディア露出の際に頑張ったからこそ、東京に染まってもなお、秋田の素朴な匂いが消えなかったからこそ、そして真面目な姿勢を失わなかったからこそ、乃木坂のイメージは崩れることがなかった。「この子がセンターなら or センターをやってきたグループなら、きっといい子たちのグループなんだろう」と生駒を通じて漠然と刷り込まれていった。そして何かのタイミングで他のメンバーの姿を目にした時分に、生駒とは違った華やぎのあるヴィジュアルに心奪われて、しかし彼女たちからも生駒同様に、AKB的品の無さが感じられなかったことで、乃木坂のファンは増加の一途を辿ったのである。

 生駒里奈は渋谷駅であり、東急東横店であった。そしてここから白石麻衣や西野七瀬と云うセゾングループの商業施設が散らばる渋谷の街へと、人がどんどん流れ出ていったのである。生駒をセンターに頂いたことは、乃木坂にとって、とても幸運な出来事だった。半面、抜群の知名度を誇ることで握手人気は下位ながら、常に選抜入りを果たす歪な構造が形成された。それが原因で生駒は、心無いファンからの罵声を一手に引き受ける恰好になっていた。このことは生駒に大きな苦しみを与えたことだろう。だが生駒がセンターでなかったなら、グループの顔として君臨していなかったなら、乃木坂は失敗していた。生駒は単にセンターとして乃木坂の真ん中に居たわけではない。乃木坂繁栄の要因のセンターにも、ちゃんと君臨していたのである。




AKB乃坂道 表紙
uploaded 2018.0217 by 山田系太楼どつとこむ
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