あの大組閣発表からもうすぐ丸4年経とうかと云う2017年12月8日になって、新たな組閣が発表された。チーム8の岡部麟が本店一丁目一番地のチームAのキャプテンに就任すると共に、チーム8の全メンバーが本店直属チームにメンバー入りする。支店からのメンバーも全員が兼任解除となり、大ナタを振るったと云って良い内容のものだ。



とは云え、切羽詰まってどうにもならなくなっての方針決定と云った感も漂う。最早、本店の概容は、8抜きには成り立たない。無論、8合流を見越してわざと崩壊過程を放置した面はあるにせよ、次代を期待された本店若手メンバーが大成せずに続々と離脱する中で、8のフレッシュ感は不可欠なものである。8を巡ってはメインスポンサーのトヨタ撤退の憶測が後を絶たない。全員が本店直属チームに兼任となったことで、トヨタ後を見据えた動きの一環としての組閣と捉えることが自然ではある。8の活動は今後も今までどおりに継続と云うことにはなったが、岡部麟がチームAのキャプテンになる位なのだから、即ち、チームA主体の活動をしても大丈夫な状態であるわけだから、従来よりも、8独自の活動が低調なものにはなるのだろう。


8のイヴェントではこんな感じで原則撮影OKとなっている(かっぱチャンネルから)。本店直属チームと比べると別物だなと云う趣が漂う。濃厚なチーム感覚、個々のメンバーの全体的な雰囲気、それから踊れるメンバーが多い…ざっと挙げるとそんなところだが、芋っぽさを清純に変えている。8を見た後に本店直属チームを見るとケバい感覚に襲われる。同年齢のメンバーであっても。結成当初はともかく、今の8は本店直属と比べても芋っぽさは目立たない状態であるのに。





支店からの兼任メンバーが全員解除となったことに関しては、兼任肩書が非常に現実離れした状態となっていたことに加えて、NGT48の荻野由佳と中井りかの躍進が大きく作用しているように思われる。即ち、「AKB48」の肩書なしで荻野はホリプロ、中井は太田プロと云う大手芸能プロへの移籍を果たしたことで、中央に於いて、AKB48の肩書は必ずしも要らないことが露見したわけである。これにはAKBブランドの低下をも意味する部分はあるから手放しで喜べるものでもないが、支店メンバーがAKB本店にも所属しているとの「大義名分」を持たずとも大成することの出来る恰好のモデルケースとなったことは間違いない。





本店兼任解除の運びとなった宮脇咲良と白間美瑠、そして件の中井りか、本店中核最前線を担う向井地美音、高橋朱里、岡田奈々と云った面々の揃った97年度生まれが「黄金世代」であることについては、疑問の余地など挟みようがないことである。正にそのとおり。しかしこれが最後の黄金世代となる危険性も孕んでいる。後にはこれほど粒揃いの世代が目下存在しないからである。この世代がアイドル最前線で活躍している内に少しでも全盛期のメンバーが見せていた存在感に近づき、且つ次世代がこの世代を追い付き追い越すような働きを見せることが出来るなら、AKBは今後も、メンバー要素的には安泰となるのだ。




はじめに

 AKB48グループ並びに坂道シリーズは小さな宇宙であると私は思う。AKB48(通称:本店)から始まったこのムーヴメントは、SKE48/NMB48/HKT48/NGT48/STU48と姉妹グループ(通称:支店)網を拡大させ、JKT48/BNK48/TPE48と云った海外展開を行っている。これらに加えて乃木坂46/欅坂(けやき坂)46と云う変種をも生み出してきた。日本国内だけで400人ものメンバーが、秋元康によるプロデュースを施された一連のアイドルグループに所属している。このようなことは世界史上、例に無いことであろう。

 「AKB」のメンバーやファンにとって日本各地は身近な存在である。各地に支店が存立している事に加えて本店には、「チーム8」と云う47都道府県代表から成るチームがある。「AKB」のメンバーやファンにとって世界は身近な存在である。2017年だけを見ても、伊豆田莉奈がBNK48へと旅立ち、阿部マリアのTPE48への移籍も発表された。他方、JKT48で採用された野澤玲奈、台湾で採用された馬嘉伶がAKB48へとやってきた例もある。このようなことは世界史上、例に無いことであろう。

 以上述べてきたように「AKB」は大人数である上に日本各地や海外にも及ぶ活動を展開している。それ故に「AKB」は日本の縮図であり、世界の縮図でもある。即ち、「AKB」は世界なのであり、世界は「AKB」なのである。それは幾ら何でも話の飛躍が過ぎると感じる向きもあるだろう。が、しかしAKBを見くびってはならない。たとえどんなに下らない連中であると思っていたとしても。AKBのことは嫌いでも、AKBへの関心を失うことは愚かである。

AKB本店過半数割れの波紋

 2017年9月10日、AKB48の50枚目シングルの選抜メンバーが発表された。AKB48黄金期を支えた元祖「神7」最後のメンバー・渡辺麻友の卒業シングルでもある。しかしこの大事なシングルの選抜メンバー28人中、AKB本店所属メンバーは、本籍を支店に置き、本店を兼任しているメンバーを加えて漸く15人を数えるに止まった。本籍を本店に置く純粋な本店所属メンバーに限れば僅か12人と、過半数割れを起こす有様だ。AKB48名義でのシングルなのに肝心のAKB本店メンバーが半数に満たない事態に、選抜入りを目指していた本店若手メンバーとファンを中心に不満が噴出する事態となった。各支店は独自のCD等を発売している。その上でAKB48名義のものに参加してきている。つまりAKB48名義ではあるが実際にはAKB48グループとしての作品になっているわけである。しかし支店とは異なり本店では、本店メンバーのみで構成されたCD等を発売しているわけではない。このことが若手メンバーとファンの根底に横たわる不満の元凶となっている。

大きなきっかけとなった大組閣

 AKBが本店支店の枠を超えたグループ化を急速に進めたのは、2014年2月開催の「大組閣祭り」からである。当時のAKB本店には、「A」「K」「B」「4」と云う4つのチームがあったが、大組閣前の各チームにはそれぞれ一定の個性や特色があって互いにしのぎを削っており、それが本店全体の魅力に繋がっていた。メンバー個人へのファンの他に、チームへのファン、そして本店全体のファン(箱推し)が数多く存在して、大いに活況を呈していたわけである。ところが先述の「大組閣祭り」にて、これらチームの解体が行われた。4チーム制こそ維持されたが、メンバーはシャッフルされて、名前こそ同じではあるが中身は全く新しいチームが出来上がった。同時に各グループ間での移籍や兼任による「人事交流」も加速された。移籍や兼任はそれまでも存在したが、今回は全グループに及び、中堅以下のメンバーも多く含まれたのが特徴的な出来事だった。この時点での元祖「神7」メンバーは、高橋みなみと小嶋陽菜、渡辺麻友が残り、大島優子が卒業待ちの状態だった。他に「神7」格のメンバーとしては柏木由紀が居る。指原莉乃は既にHKT48へと移籍済みである。

 大組閣後のAKB本店は支店からの兼任メンバーとして、SKEから松井珠理奈・古畑奈和、NMBから山本彩・矢倉楓子・小谷里歩・渋谷凪咲、HKTから宮脇咲良・兒玉遥・朝長美桜、その他SNH48から鈴木まりや(元々はAKBメンバー、のちSNHへ移籍)、更には乃木坂46から生駒里奈の計11人を迎えることになった。大組閣以前の6人からは、ほぼ倍増である。加えて完全移籍メンバーとしてSKEから木アゆりあ、NMBから小笠原茉由、HKTから中西智代梨を迎えた。JKTで採用された野澤玲奈が兼任を経て本店へ完全移籍したのもこの大組閣からである。他方、本店から支店への移籍者は当初発表では10人、最終的には7人に上った。

 大組閣は、AKB48グループのダイナミズムを見せつけるものとなった。大人数だからこその多様性と多彩な可能性と云うものを大いに示した。チームを一旦解体してシャッフルを施したことで、新たな化学反応を起こすものと期待された。支店間での人事交流もあったが、やはりその中心には本店がある。本店には各支店のエースや若手期待株が揃うことになった。

チーム形骸化/兼任制度形骸化と本店シングルのグループ化
 
 AKBの特色として「会いに行けるアイドル」と云うものがある。専用劇場を持ち、そこで各チームごとに劇場公演を行うことがAKBの活動のベースとして存在してきた。しかしAKBがブレイクするにしたがってメディア絡みの仕事が主体となり、元々収益性に優れているわけではなかった劇場公演の比重は低下した。どんなに忙しくとも握手会には出席する有名メンバーたちも、劇場公演に顔を出すことは、稀少になった。並行して総合プロデューサー秋元康もまた一段と多忙になったが、新たな劇場公演プロデュースへとリソースを向けなくなった。2015年以降は公演回数の減少が顕著となり、1週平均1回以下となることが常態化する。2017年のチームA並びにチームB公演に至っては、月に1-2回しか開催されていない。

 代わって幅を利かせ始めたのが、2015年9月開始の著名人プロデュースによる劇場公演である。秋元康ではなくAKBに関心や関係性を持つ著名人が、選曲やメンバー選定を行って公演をプロデュースするスタイルは、当然ながらチーム横断的なものとなる。また2016年7月開始の「僕の太陽」公演メンバー選出は、著名人プロデュースではないもののチームを横断する形で行われた。劇場でチーム別に公演を行うと云うAKB伝統のスタイルは、形骸化する一方となったのである。

 劇場公演の形骸化は、兼任制度に対する疑問を増長させることにもなった。兼任メンバーはAKBの各チームに所属し、そのチームの劇場公演に出演するのが建前だからである。しかし劇場公演自体が減っている上に、兼任メンバーの公演出席率も高くはない。他方、AKBのシングル表題曲に選抜される支店メンバーは増加の一途を辿り、AKBへの門戸は大きく広げられたが、兼任メンバーだからと云って選ばれるとは限らない。兼任メンバーであることへのステータスは大きく低下した。AKB50thシングルの選抜で、兼任メンバーを含めることでAKB本店所属メンバーが漸く過半数に達したことが、兼任制度を続ける最大のメリットと云うことになってしまっている。本店メンバー過半数割れへの非難の声に対して「兼任メンバーもAKBの立派な一員。排他的になるな」と言い返せるのだから。

世界化がもたらす損得勘定のズレ

 「選抜総選挙」や「じゃんけん大会」と云ったAKBを代表するイヴェントは元々AKB本店のイヴェントとして行われていたものだ。それを支店にも開放することで支店メンバーの売り出しに一役買うことになった。同時に、AKB48グループのイヴェントとして大々的に開催することで、次第に進行していった本店の人気低落傾向を支店参加によって補強して、全国的なイヴェントとしての格を維持してもきた。それは本店メンバーやファンの間に、ここにもシングル選抜同様の「危機」を巻き起こすことに繋がった。本店イヴェントに支店が参加することによって本店/支店の垣根を超えたグループのイヴェントになる・・・その結果、本店独自のイヴェントは消失することになり、本店メンバー活躍の場がそれだけ狭められる運びとなるのだ。その一方で各支店には独自のイヴェントがあって、本店ほどの注目は浴びないかもしれないが、そこでは当該支店のメンバーのみが躍動しているわけである。

 AKBが支店網を拡大し、グループ化を進めることで、同じ秋元康プロデュースの坂道シリーズなどのライヴァルに対抗する戦略が、一定の成功を収めていることは事実である。AKBのシングルCDは未だにミリオンヒットを継続していて、全盛期を迎えている乃木坂46をなお僅かながら上回っている。本店から大物メンバーが卒業してゆく中で1期生として各支店の確立に貢献してきたメンバーがその代わりとなって、グループを支えている側面もある。多様性はAKBの大きな魅力の一つだが、支店拡大によって大人数化が促進され、それらがオールスター的に本店に集うことで、本店の全国化=世界化が進んだことが、多様なAKBの魅力醸成に最も直接的な貢献を果たしてきた。

 扇の要となっているのが「本店」であることは云うまでもない。本店に各支店メンバーも集うことでAKBと云うプロジェクトの求心力は維持されている。例えばSKEがHKTのイヴェントに参加させて貰うのはプライドが許さない部分もあるだろうが、本店イヴェントに参加させて貰うことについては、不満を覚えつつも許せないほどのものでもない。これはファンやメンバーだけの話ではなく、通称「大人」と表現されるプロジェクトに関係する業界人たちにとっても同様である。本店が主宰者・幹事となることで、上下関係がハッキリして、支店間同士よりも利害関係が調整しやすい。本店イヴェントやCDを支店メンバーにも開放することで支店関係の「大人」たちに、当該イヴェントやCDへの協力、並びに収益を本店が確保することを了承させている。本店無くして支店も無し、だから本店に協力しろ・・・その見返りが支店メンバーへの門戸開放だ。つまりメンバーと大人たちは立場が逆なのである。グループ活性化のために多少の不公平を我慢しているのは本店メンバーと支店の大人、であるわけだ。本店の大人と支店のメンバーは損よりも得の方が大きい。

世界化がもたらすアイデンティティの希薄化と純粋化

 AKBの世界化が進み、各支店が実力を蓄え、その旨みを本店も享受する中で、軒先を貸したつもりが母屋を乗っ取られた思いに囚われているのが活躍の場を制限された恰好の本店の、特に若手メンバーとファンたちである。AKBの世界化が進んだ結果、その中枢としてのAKB本店はオールスター的な装いとなり、本店独自の色が希薄化してしまった。その一方、各支店は地域色を前面に打ち出せる環境下にある。

 「東京ばな奈」と云う菓子がある。東京土産の定番となっているが、東京は地方への土産物に困る土地柄だ。東京銘菓として全国の百貨店で取り扱いがあるものも多いからである。これぞ東京ならではの土産物と云う有難味は覚えつつ、手軽さと華やぎの双方が備わったものが無かった。東京ばな奈はその間隙を突いて出現したホープだった。全国展開するポテンシャルは持ちつつも東京限定に留め置くことで・・・それも空港を中心に展開することで東京土産主役の座へと躍り出たのである。土産物に困るのは東京が全国化=世界化して東京の多様性は進む一方独自性が希薄化している証である。東京ばな奈は全国展開せずに「東京地方」に止まることで独自性=アイデンティティを得て、大ヒットした。

 アイデンティティは、自己同一性と訳されるが、自分は他者とは違う何者であるのか、と云うのがその基盤となる。したがって多様性の氾濫は、社会から自分が認められる可能性を広める作用を果たすことにはなるが、それは必ずしもアイデンティティの確立に繋がるものではない。アイデンティティは自分が他者とは違う部分、即ち独自性、個性に求められるため、社会から許容されようがされまいが・・・アイデンティティの強弱には作用しても・・・アイデンティティの確立それ自体には関与しないのである。

 アイデンティティの拠り所は個人・集団双方に求められる。活動当初のAKBは全員黒髪だったがこれは運営方針によるものだった。世の中の年頃の少女たちが髪を染める中で、黒髪を維持することがアイドルらしさを体現するものだったわけである。今日でもファンの中には黒髪を愛好する者が比較的多く含まれる。AKBメンバーとしてのアイデンティティが黒髪にあった頃に、しかしお洒落なメンバーの板野友美だけは茶髪が許されていた。世間では一般的だった茶髪がAKBと云う集団の中では強力なアイデンティティとなって機能していたわけだ。AKB内部で茶髪が一般化するにつれて、その部分に於ける板野のアイデンティティは希薄化する。そこで板野は何か別の、自分独自の差別性を求められることになった。他方、茶髪が一般化することで他とは違うAKBの象徴が一つ失われたが、AKB内で黒髪を維持する行為が今度は、嘗ての板野の茶髪のように、個人的アイデンティティの拠り所として機能することになり、その分黒髪愛好者の熱も高まった。かくして黒髪の、アイデンティティとしての純粋化は、結成当初よりも進行した形となった。そこでは周りに流されない意志がより重要なものとなる。

 多様化や世界化が進行した結果、集団から集団の色、即ち集団としての独自性・個性・差別性が消えると、これまでのようにアイデンティティの拠り所を集団に求めにくくなるため、個人化、即ち個人単位でのアイデンティティを求めた闘争が活発化することになる。これをAKB本店に当てはめると、本店付きのファンは激減して、本店メンバー個人付きのファンのみが残ることになる。この状況下で本店メンバーが新たに売れることは至難の業だ。個人での強力なアイデンティティの獲得、そのアイデンティティをグループの力には頼らずにファンへと個人で訴求する力、その双方が噛み合って漸く成功がもたらされる。そのような奇跡を起こせる人などごく少数であるから、集団内に於ける不満は溜まる一方となる。

チーム8の躍進にみる世界化と純粋化の桶狭間合戦

 集団には集団ならではの独自性や面白みと云ったものがあるから単純な個人の足し算以上の力が得られる。世界化が進行して色を無くしたAKB本店の中で台頭したのが、チーム8である。チーム8には明確なコンセプトや特徴があった。47都道府県の代表各1名で構成され、スポンサーにはトヨタが収まっている。各都道府県代表と云う性格上、地域密着色も強く、オーディションからして地元テレビ局が担当しており、AKB運営色が総じて薄い。チーム8は独自性の高い制服を着用し、イヴェント等での撮影が原則認められると云った特徴もある。また地元在住のまま学業と並行して活動することが可能なことから、お嬢様的なメンバーが比較的多い。

 チーム8のメンバーは他の本店メンバーのように変にマセていたり、擦れてもいない。ひたむきさ、黒髪、恋愛禁止と云った初期AKBのコンセプトを最もよく保全している。これだけの特長を持ち、そして何よりも、チーム単位での活動が基本なのである。これは強い。そもそもチーム8メンバーもAKBの一員である。それなのに、AKBの他チームに「兼任」扱いで所属している。これは他の姉妹グループのメンバー同様の措置である。チーム8はAKB内の半独立勢力であり、AKBであってAKBではない。メンバーはAKB愛よりもチーム8愛を先ず強調する。このメンバーの熱に引っ張られるように、エイターと称されるファンの熱気も相当なもので、8同様、排他的存在感がある。チーム8のメンバーが他のAKBの活動に出張することに関しては歓迎しても、チーム8の活動に他のAKBが入ってくることについては大いに嫌う。

 本店ファンは少なからず坂道シリーズに流れている。坂道には流れずにAKBグループ内に留まっているファンは、指原莉乃が率いることになったHKTに先ず流れ、次いで地理的に首都圏に近いNGTへと流れた。そして初期AKBに最も近い8もまた、有力な受け皿として機能した。明確な特徴に熱量と排他性を帯びたチーム8の躍進は、多種多様、何でもアリでバラけてしまい色を失ったAKB本店の歩みによって生じた出来事である。私はこれを見てつくづく思う。「トランプ旋風」と同じではないか、と。但しその存在感の割にチーム8メンバーの選抜総選挙順位は必ずしも高くない。これは8のイヴェントには無料のものが多く、金を出して参加する習慣が付いていない点、或いは全国各地のイヴェントに参加するための旅費が高くついて選挙に回せる資金が多く残っていない点などの要因が挙げられよう。チーム8無しにAKBは成り立たないほどのものにはなったが、AKBを席捲して天下を取るにはまだまだ、ファンの質量が小さい。

 イギリスのEU脱退、トランプ当選、或いはルペンの台頭等、欧米に於ける反グローバル・国家主義・民族主義的流れは、世界化が進んだ結果、欧米各国からその国独自の色が希薄化した結末として生じたものだ。それは何も「ラストベルト」に代表される経済面だけに要因があるものではない。文化面・心理面でも「ラストベルト」は進行した。彼らは気付いたのである。「白人だけの文化・白人ならではの文化」が無くなってしまったことに。マイノリティたちは彼らの民族文化をなお保持し続けている。

 例えばフィリピン系向けテレビ局がフィリピン人のみを起用したドラマを制作しても問題にはならない。しかし元々は白人が絶対多数だった時代に国民一般に向けて放送していたテレビ局が今、歴史もの以外のドラマで白人ばかりを起用すると問題になる。フィリピン系を含む非白人を起用しなければならない。社会の多様化に合わせて、自分たち白人以外にも門戸を広げた結果、多様性は増して多彩にはなったけれど、他とは違う自分たちが築き上げてきた強い色は消えてしまった・・・移民たちには独自の居場所があるのに自分たちには自分たちだけの居場所が無い、それは彼らに門戸を開いたせいである、だから追い出せ・主流派から抜けてしまおう・・・これが今、欧米の白人の間で湧き上がっている感情であり、驚くほどAKB本店メンバーやファンの抱いている不満や焦燥と類似している。

 自分たちの居場所を取り戻そうとする動きが、欧米では右翼に向かい、AKBでは純AKBを求める声や、独自の色を持ち、チームとしてまとまっているチーム8やNGT人気へと向かったのだ。AKBは日本のみならず世界を映す鏡である。AKBだから・・・アイドルなんて・・・とバカにしてはいけない。AKBは社会実験の塊であり、ミニチュア版世界情勢なのである。したがってソリューションの青写真もまた、このミニチュア版の中から探究することが出来るのだ。

おわりに

 AKBがこの先も生き残るためには、「世界化」は欠かせない要素である。AKB本店が主導的位置に立って、各支店の参加を促し、まとめるスタイルは合理性がある。じゃんけん大会を例にとっても、AKBの大握手会があり、そこに本店・支店全メンバーが集うからこそ、予選等を開催することが出来たのだ。AKBが世界化を止めてしまったら、グループを巻き込んだイヴェント等の展開が難しくなり、地方アイドルの緩やかな集まりとしてのAKBグループと云う形に落ち着いて、弱体化が一層進むことになろう。AKBのシングルは純AKBにして、AKBグループとしてのシングルを別に出せばよいのでは、との意見もある。しかしこれにも難しさがある。

 ブランドマネジメントの観点から述べるなら、「AKB48グループ」「AKBG」と云った名義でリリースするのは(純)AKBと名称が似通っていて好ましいものではない。加えてAKB本店が全国区のアイドルでは完全になくなってしまうリスクも伴う。或いは「JPN48」と云った形でリリースする場合には、これまで築き上げてきたAKBの圧倒的知名度とそれに付随するブランド力が相当程度破壊されることになる。そのことが「抑圧」されている本店若手のためになるのかどうか。大きなリスクを冒す割に「JPN48」の知名度やブランド力は、大して上がるものでもない。中身は従来の「AKB」そのままだからだ。

 またAKBG/JPN48の握手会には選抜メンバーだけが参加するのか、全メンバーが参加するのかと云った問題、AKBG/JPN48としての活動に支店各レーベルは同意するのかと云った問題など、AKB本店が他の支店と同格になることによって生じる懸案は山ほどある。結局は本店シングルへの支店メンバーの選抜入りを過半数以下に抑えることが、最も現実的対処法となるのだが、さて・・・。

AKB乃坂道 表紙
uploaded 2018.0110 by 山田系太楼どつとこむ
©山田系太楼 Yamada*K*taro