17年5月31日、総選挙速報発表日の一コマ。AKBグループの殆どのメンバーが参加する選抜総選挙だが、登場人物5人(篠崎彩奈・大和田南那・横島亜衿・岡田彩花・村山彩希)の内、村山は不参加、大和田は既に卒業、横島と岡田は卒業予定につき不参加で、総選挙立候補者が篠崎のみと云う相当珍しい状況が展開されている。選挙期間に突入した篠崎の緊張と焦燥、それを弄り倒す大和田と云う悲喜こもごもの図が面白いが、同じ不参加者でも選挙に参加しないことが当然視される大和田・横島・岡田と、今後もAKBに残りながら不参加の村山の間に流れる雰囲気の違いは実に対照的だ。すっかり他人事の大和田と横島、篠崎と同期ゆえに完全に他人事とは云えないが気楽な岡田に対する、村山の生気の無さが印象に残る。
速報発表は公演出演メンバー立合いの下、AKB劇場で行われ、各グループの劇場でも同時中継される。公演に出演していないメンバーは自宅でこの模様を見届けることになる。自身のアイドル人生を左右するものとなるだけに、全メンバーの関心の全てが集中して、緊張と狂喜・悲嘆、諦観に覆い尽くされるさまは圧倒的なものがある。殊に田中美久の揺れ動く様子は興味深く、自身の名が呼ばれる前にライヴァル矢吹奈子の名が呼ばれた直後の絶望感は印象深い(上記映像27:10−)。前年暮れに行われたNHK紅白歌合戦出演メンバーを決める投票では、田中は矢吹の後塵を拝しており、矢吹の名が呼ばれた以上は、自身が呼ばれることなどないことを察したわけである。
16期公演プロデュースに続いて、若手選抜公演のキャプテンを任されることになった村山。劇場を棲家とする人間として、後輩・若手を引っ張ることが、より一層求められている。これは村山以外の劇場公演重視メンバーには見られない処遇であり、総選挙不参加のネガティヴ要因を差し引いても村山が運営から重宝されるメンバーであることの表れでもある。無論、総選挙に出ない以上、別の部分で運営に貢献して貰わねばならない観点からの起用と云う面もあることだろう。
プロデューサーとして客観的・俯瞰的に若手メンバーを見渡していれば、自ずと個々の若手メンバーのみならず、グループ全体や運営に対する認識も深まることになる。それは「上から目線」で意見することにも繋がるわけだから、反発の声が湧き上がることになる。人気の割にアンチの少なかった村山だが、最近はそうとも云えなくなってきた。「成長」を「生意気」になったと捉える人間も少なくない。謙虚さ・無欲さを前面に出して嫌われないように過ごすことは、責任を背負わずに自己本位でいることの裏返しでもある。


はじめに

 AKB48の選抜総選挙は今年2017年で開催9回目を数えたが、2013年の第5回開催時より立候補制が採られている。通算4回、1位(センター)を獲得している指原莉乃は、選抜総選挙に出馬する意義をハレの舞台性に求める。国民的アイドルグループ・AKBが最も世間的に注目を浴びる大きなイヴェント、つまりAKBが最も国民的アイドルグループとして輝くのが、この選抜総選挙だからである。AKBに所属する最大のメリットがこのイヴェントにあると云って過言ではないだろう。現に指原がここまでの地位に上り詰めたのも、総選挙1位の賜物だ。今年の総選挙で速報1位、最終5位に輝いたNGT48の荻野由佳が、直後からメディアに注目され、AKB選抜の常連格となり、AKB運営所属からホリプロへと栄転し、NGTの次期シングルでセンターに指名されたのも、総選挙パワーのお蔭である。

観念の増殖とリアルの後退

 ここ十数年の政局同様に、劇場型の展開を特徴とするAKB。今年の総選挙でも悪天候による開票イヴェントの中止と公民館での代替開催、壇上に於けるメンバーの結婚宣言等、その激情的劇場性は大いに発揮された。急転直下のスキャンダルから頂点へと上り詰めた指原莉乃は、このグループのそう云った劇場性を最も上手に活用したメンバーだ。

 AKBのもう一つの特徴として…本来はこちらのほうがこのグループの原点とでも云うべき特徴となるのだが…観念的なものではないリアルな劇場と云うものが秋葉原に存在する。この常設の専用劇場で公演を行うことで、AKBは「会いに行けるアイドル」と云う最大の特性を獲得してもきた。

 しかしAKBが爆発的に売れ始めた2010年前後からグループ内に於ける劇場公演の比重が頓に低下した。代わってヴァラエティ番組ウケするメンバーが幅を利かせるようになった。比重の低下はまず質に現れ、次に数に現れた。AKBの主力メンバーは現在隆盛を極めつつある坂道シリーズのメンバーと比較して、総じてヴァラエティ番組に強く、総監督だった高橋みなみなどはAKB内のヴァラエティ担当班よりもトーク力・リアクション力があるほどだ。総合プロデューサー秋元康と共に主力メンバーも時代の寵児・メディアの寵児となるのは当然の成り行きだった。

 メンバー全員が運営直属マネジメントとなっている坂道シリーズとは異なり、AKBの主力メンバーとその周囲に居る中堅若手メンバーが運営から離れてプロダクションに所属していた点も、この流れの形成には一役買っている。島崎遥香・横山由依等を輩出した9期生までは流れにうまく乗って知名度をそれなりに獲得していった。サプライズやスキャンダルに彩られた観念的劇場グループとしてのAKB像が強化されたのもこの時代である。

村山彩希と云う、劇場型アイドルグループの劇場ニッチ

 ところがAKBが頂点を極めた後に頭角を現してきた10期生以降は、グループ内では人気があってもそれが一般知名度に繋がらない状況が生じている。一因として乃木坂46の台頭が挙げられるが、プロダクションへの移籍がパタリと止んだことが大きな要素となろう。AKB運営はグループの売り出しには長けていても、個々のメンバーの売り出しを得意とはしていない。次第にメディアのAKB枠が狭まる中では、全盛期に知名度を獲得したメンバーばかり重用される傾向が更に強まる。以前よりも注目を浴びる選択肢が減ったそれ以外のメンバーにとってみれば、依然として一大注目イヴェントとして君臨する選抜総選挙への比重は、嘗てないほどに高まった。指原莉乃だけではない。総監督だった高橋みなみも数少ない注目を浴びる舞台としての総選挙の意義を強調していたものだ。

 だが、すっかりスキャンダラスな劇場型アイドルとなったAKBの中で秋葉原の劇場に拘っていたのが13期生の村山彩希である。劇場公演を重視するメンバーは他にも居るが、村山のそれは常軌を逸したものとさえ云える。公演に出るのが兎に角好きであり、代打としてどの公演にも出られるように常に準備を怠らずにいる。出られない公演があろうものなら病んでしまうくらいのモメンタムで、まるで中毒状態のようになっている。リアルな劇場に参加することに関しては異常な執着を見せる村山だが、しかし観念的劇場の権化である選抜総選挙には、立候補制となった2013年以降、背を向け続けている。

 AKBに在籍しながら最大のイヴェントである選抜総選挙に参加しないことに際しての村山の云い分としては、選抜入りするとメディアでの仕事が増えて劇場公演に穴を開けることも多くなるから、それなら選ばれない方が良い、と云うものになる。選挙に全力投球出来ない以上、自分を押し上げるために多額の金銭支出をファンに強いらせることには耐えられないし、仮に良い順位が貰えてもそれが今後へ向けての自信には繋がらない、と云うことにもなる。

ユートピアがもたらした苦行を巡る慟哭

 元来、選抜総選挙と云うものは、運営側のマネジメントに不満を持つファンの声を受けて始められた試みで、ファンが思う最適な選抜メンバーを、ファン自身の手によって選出しようと云う草の根民主主義的なものである。それは事務所幹部の意向や芸能界の力関係によって全てが決められてしまう従来型のマネジメントに比べて、非常に希望に満ちたユートピア的なものだったはずだ。

 ところがファンによって直接の審判を受けることそのものに加えて、細かく順位や票数が定まることで序列化の軸足が「群」から「個」へと移行して白黒がハッキリ付いてしまうこと、毎年開催されることによる対前年比評価の確立と通信簿化が、メンバーに多大なストレスを与えることになった。投票開始1日を受けて行われる速報発表から開票イヴェントに至る2週間の選挙期間は、緊張と悲壮と疑心暗鬼と蛮勇に包まれた混沌の日々が織り成される。大半のメンバーにとっては苦行でしかなかろう。総選挙に参加することは、ファンによって支えられるAKBらしさの体現であり、多額の金銭をファンから貢がせることは運営への貢献にもなる。苦行と引き換えにAKBの一員としての存在意義を、精神面・経済面双方から押さえる・・・それがメンバーから見た総選挙である。

 思うに全員参加制から立候補制に変更したのも、メンバーにのしかかる過度な精神的負担を考えてのことであり、万が一自殺者が出た時のことを考えて、自発的参加の体裁を整えるための措置であろう。しかし物事の推移と云う代物は皮肉なもので、立候補制を採ったことで却って精神的負担が増してしまったのが、誰あろう村山だった。総選挙に苦行と云う要素が色濃く反映されていることは、そこからの忌避にあたかも兵役逃れをしたかのような反応を生じさせる。殊に選挙に強いメンバーのファンは、選挙の価値を低下させる行為・言動には敏感であるし、選挙を使って序列を上げてきたメンバーからもそう見られがちだ。

 また嫌々ながらも「苦行」に参加しているメンバーからも逃げてズルいと思われるだろうし、その空気を敏感に感じ取ってしまうのが、不参加メンバーの性とでも云うべきものだろう。立候補制とは云え、卒業予定もないのに立候補しないことはファン、メンバー、そして運営からしばしば白い目で見られることになり、立候補するよう陰に陽にプレッシャーが掛けられることになる。事はAKBグループと云うアイドル界では巨大だが実社会と比較すれば小さな村社会で展開されており、ただでさえ同調圧力の強い中で更なる強力な同調圧力が発揮されることになる。ここを凌いで総選挙不参加を貫くことは、楽なものではあるまい。いっそ参加してメンバー皆と同一の行動を取り、苦難をも共にする方がよほど気楽かもしれない。そこまでの圧力は感じなくとも、選挙一色となり、交わされる会話もそのことばかりとなる中で、そこに自分が参加していないと云うことは単純に疎外感を覚えるものだ。

 総選挙に立候補すれば苦しむのは選挙期間2週間だけである。太く、短い。しかし立候補しなければ事あるごとに選挙不参加を槍玉にあげられることになるのだ。活動に協力的でないからと運営に干されるリスクも看過出来まい。それら諸々の要素を鑑みると、総選挙に立候補しないことが「逃げ」なのであるとは、とても思えないのである。

責任分担から逃げず寧ろ積極的に受け止めた村山

 しかし村山がプレッシャーを嫌って、少しでも気楽な状態に自分を留め置き、自身のしたいこと、即ち劇場公演ばかり打ち込んできたこともまた事実だろう。だが村山は今年20歳を迎えた。沢山の後輩を抱えているわけで、もはや、何も考えずにただ自分自身にのみ集中することが許されるような若手ではない。中堅に差し掛かっている。それは責任を分担する立場になったと云うことだ。親友の岡田奈々は、主力メンバーとしてAKB本店を引っ張る傍ら、新設されたSTU48のキャプテンに任ぜられ、AKBグループ全体の将来を担う存在になりつつある。

 選挙に参加してこなかった村山もまた、劇場公演の貴重な担い手としての立場を超える責任の分担が求められ、それは運営から公式に若手への指導係に任ぜられる形で結実した。16期研究生公演のプロデューサーと云う形での貢献は、劇場中毒の村山の適性にも合うものだが、自主的に気楽に行う指導ではなく、オフィシャルな立場から仕事としての指導を引き受けたことは、今までのプレッシャーを嫌う村山の流れからは余り考えられないことだ。加えて村山は、18名に上る16期研究生をふるいにかけて16名から成る公演メンバーを選出しなければならなかった。これも自信が持てずプレッシャーを嫌う従来の村山の性格からは酷な作業となる。

 ところが村山はここから逃げなかったどころか、公演レヴェルに達しなかったとして脱落者2名となる当初の予定を覆し、1名増しの3名脱落としたのである。劇場公演に対する職人的拘りが、生身の人間としての自分自身を突き抜けた瞬間でもあった。これ以降の村山は反発を過度に恐れることが無くなり、プロデューサーとしての立場や経験を踏まえての提言をするようにもなってきている。メンバーの相次ぐ卒業で空洞化と若年化が進行しているAKB本店だが、村山の果たす役割はそれに比例する形で相対的に大きなウェイトを占めるに至っている。劇場公演に憑りつかれてきた村山が、最も彼女らしさを発揮するその領域を使って、責任を引き受けられる一回りも二回りも大きな存在となる・・・これもまた一つのAKBドリームの発露だと感じるのだ。

AKB乃坂道 表紙
uploaded 2017.1028 by 山田系太楼どつとこむ
©山田系太楼 Yamada*K*taro